2 宣命盤

 目の前にいた小雪が立ち上がり、部屋の隅へと歩いていく。私はそれを目で追いながら、自然と、部屋全体を見回す。


 私が寝ていたのを含めて、真新しいシーツを張られたベッドが四床。

 磨り硝子の赤い窓のそばには、重たそうなカーテンが巻かれている。

 窓と反対側の壁に、人の背丈ほどの木製の戸棚が作り付けられている。中には、大小さまざまの薬瓶や薬箱、ビーカーやフラスコや試験管や、ぴかぴかの銀色をしたピンセットに鉗子、大小様々の刃物と鋏。液体に漬けられた剥製の空っぽの眼窩が、一瞬、ぎらりと光った気がした。


「ここって病院なんですか?」


 からからと戸棚を開けていた小雪の背中に、訊ねる。

 彼女は振り向かずに答えた。


「似たようなもんね。みんなは私のこと『修整屋しゅうせいや』って呼んでる」

「どう違うんです?」

「お、質問が増えてきたね」


 いきなり言われて、ドキリとしてしまった。


「すみません、つい」

「気になることなら何でも訊くのがいいよ。そういうの慣れてるし」


 小雪の手の中には、何か幾何学的な模様の描かれた木製の板。


「私がするのは、治療や診療じゃないんだよね。元の形に戻せるとは限らないから、修理して、なりを整えるだけ。だから修整。ハナちゃんも、ここにお世話になるときが来たらわかると思うけど……まだ、その時じゃない」


 小雪は、盤を片手に、私のそばに戻ってくる。


「それより、今はこいつね。これは宣命盤せんみょうばん

「せんみょう?」

「属性とか、能力とか、そういうのをわかりやすく文面化して見せてくれる都合のいい機械です」

「なんで丁寧語?」

「何となく」


 ベッドに横たえたままの私の脚の上に、小雪は宣命盤を乗せた。


 宣命盤は、ちょうど私の胴体の幅と同じくらいの大きさの板だ。

 表面には、墨跡も鮮やかに複雑な文様が描かれている。中央にきれいな正円があって、そこから放射状に、ひい、ふう……三十二本の線。線と線の間には、見たこともない文字らしきものがみっちり書かれている。線は板の端まで届いていて、その端の部分が角になっている。だから、宣命盤も三十二角形、というわけ。


「真ん中に右手を乗せて」

「こう?」


 小雪に指示されるまま、私は宣命盤に手のひらを乗せた。


 ふわっ、と、その上に薄く光る正方形の板のようなものが浮き上がって見えた。

 その正方形の中に、文字と数値が表示される。

 ゲームのステータス画面みたい。


====

 縹


木:989

火:897

土:945

金:979

水:999


魅了・被愛(木・火・土・金・水)


====


「おお、こりゃすごい。ハナちゃん、才能あるね。特にこの愛され属性がいい。思った通り」


 小雪は私の頭上に手を伸ばし、飛び回っていた御霊を鷲掴みにする。ぱちっ、と音を立てて、御霊はするりと小雪の手の中から抜け出してきた。

 ひゅーん、と、私の目の前に飛んでくる御霊。

 その青白い光を見つめながら、小雪が笑う。


「ハナちゃん、こういう低級霊に愛される性質なんだよ」

「それ、すごいんですか?」

「夕闇には、こういう連中は山ほどいるからね。コダマに鬼火、鎌鼬にサンドマン……そういう連中がみんなみんな、ハナちゃんを好きで、ハナちゃんにお近づきになりたい、って寄ってくるわけ。こりゃもうお祭り騒ぎ、よりどりみどりだね」


 うーん……ほんとにすごいんだろうか?

 騒々しいのは苦手なんだけどな……


「それに、低級な連中だけじゃなくって、ちゃんとした霊……物の怪とか妖怪とか、そういう連中も大きく見れば”霊”なんだけど、そいつらもハナちゃんのことを無碍に嫌いはしない。きっとハナちゃんにとって、ここは過ごしやすい街だよ」

「はあ……」

「どういう感じか、街の様子を見てきたらいいと思うよ。これからハナちゃんの暮らす場所なんだし、知っといて損はない」


 暮らす場所。


 ふと、窓の方に目をやる。

 磨り硝子の向こうは、いつまでも真っ赤な夕暮れの色のままだ。耳を澄ませば、得体の知れないざわめきがかすかに聞こえてくるような気もする。赤い空の下には、無数のちいさな低級霊や、私のような死者や、あるいはもっと別の妖怪とか……


 そんな場所で生活するのか、私? と、今更ながらちょっとビビってしまう。


 でもまあ、私もすでに幽霊のようなものだから、怖がることもないのか。

 しかも、小雪の言うとおりなら、私はここの霊たちには嫌われない。むしろ愛されてるらしいし。


 ひょっとしたら、生きてた頃より、こっちのほうが私向きなのかもしれない。


「……でも、私、どこに行けばいいんでしょう?」

「さあ?」


 さあ、て。いきなり無責任な。

 小雪は生あくびして、靴をつま先で無理矢理適当に脱ぎ捨てると、手近のベッドに白衣のままゴロリと寝転がった。頭だけをぐりっと私の方に向ける。


「まあ、行くとこなかったらうちに来ればいい。部屋は貸すよ、もちろん病室じゃないとこ」

「それはちょっと……申し訳ないというか……」

「何で?」


 遠慮する私に、小雪はベッドの上でもぞもぞと頭を左右に振る。


「別に騙そうってんじゃない、って自分で言うのも胡散臭いかな。でも、身ひとつの女の子を騙くらかしてどうこうする理由、私にはないもの」

「疑ってるんじゃないんです。親切にしてもらったから、よけい、これ以上の情けは受けられない、というか」

「自分が困ってるうちは、他人なんていくらでもつけ込んで利用すればいいんだよ。恩に着てるなら、自分が困らなくなってから返せばいい。時間はたっぷりあるんだもの」


 ……理屈はわかる。わかるけど。


「ま、最後には自然と収まるとこに収まるよ。ここはそういう街」


 そんなもんなのかなあ?


「私はもうお昼寝の時間だから、ちょい休む。おやすみ」


 小雪はそう言って、枕に顔をうつ伏せに沈めてしまう。おそろしく長い髪が、彼女の背中を守るようにベッド一面に広がる。そして、あっという間に小雪の呼吸は静かに規則的に変わる。

 寝るのめっちゃ早いな……ていうか、昼寝って。夕暮れじゃなかったの?


「なにもかも、いい加減だなあ」


 私を目覚めさせて、世話して、かと思ったらいきなり放り出して。何だか、ずいぶん気まぐれだ。

 それがこの夕闇の街の流儀なのだろうか? それとも、単なる小雪の性格?


 私は小雪と入れ替わりに、ベッドから出る。

 ベッドの脚の横に靴が並べられていた。シンプルなデザインの黒い革靴は、足を通すと、すっぽりと収まった。ひょっとしたら生前に履いていた靴だったりして。それとも誰かが、私のために揃えておいてくれたのだろうか。たぶん、小雪が。


 シーツを丁寧に畳んでベッドの足元のほうに片付けて、私は立ち上がった。ぜんぜん気にしていなかったけど、なぜか私は学校の制服を着ている。これも、生前に通っていた制服なのかもしれない。

 胸元のリボンを整え、スカートのプリーツを揃える。寝ていたせいで、すこし皺になっているかもしれない。ここにはアイロンとかあるんだろうか?

 ……着替えぐらいは揃えた方がいいのかな。服はどうやって手に入れたらいいんだろう?

 ご飯は? 寝床は? 考え出したらきりがない。


 でも、小雪は言った。自然と収まるところに収まる。

 ひとまずは、その言葉を信じてみるしかない。


 うつ伏せのままの小雪に目をやり、軽く、一礼。


 歩き出すと、板張りの床はわずかにきしむ。足音を立てるたび、靴の裏から目に見えない何かが舞い上がって、私の周りを舞い踊っているような錯覚を感じる。これも低級霊なのかな?


 扉のそばまで歩み寄る。古めかしいドアの硝子には「修整所」という名前が鏡文字で記されている。扉の外は、黄昏の色。

 冷たいドアノブに手を触れて、思い切って開く。

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