第29話
沙那子はあわててイシュカの手を取った。
「ごめんね? あたし、言ったらいけないことまで言っちゃったみたい。イシュカちゃん、座って?」
透はホァロウを振り返った。
ホァロウはさきほどから黙したまま、イシュカを見つめていた。考え込むようにいかめしい顔をしている。
透は話しかけるのをためらい、翔に目を向け、彼が何と答えるか見守った。
ふたりの少女は仲良く肩を寄せあい、その視線を翔に注いでいる。
「それしかないんなら、しかたないね……」
翔は観念したように目を閉じてうつむいた。
透は背骨を冷たい手でわしづかみにされたように感じた。金の神を目覚めさせてはならないと、金の神となった翔はかつての翔でなくなるのだと、脳髄がわめき立てた。透は無意識に警告の想念をイシュカにやかましくぶつけた。
「おだまり!」
翔がその声に驚き、じっとイシュカを見つめた。
いまのいままで貝のように黙りこくっていたイシュカが厳しい叱責を透に浴びせたのだ。静かだった分、その声は恐ろしく響き、透はイシュカを不可解げに眺めた。
「透とやら、ぶつぶつと非難するのはおよし。すべて聞こえているのですよ」
透は鋭くイシュカをにらみつけた。
「それからホァロウ、そのけものをどうにかしたらどうです? 殺してしまいますよ」
イシュカの冷たい声に、ホァロウは自分の背後に退けていた馬を振り向き、軽く指を振り、彼らを消し去った。
沙那子は小走りに段下におり、翔の手をさっと握り締めた。
「八雲くんて、神様だったんだね、あたし、見直しちゃった。イシュカちゃんはすごい魔法を使えるんだよ。八雲くんにだって使えるよね?」
翔はあぜんとして沙那子を見返した。
「それがいやなら、沙那子と口づけなさい」
沙那子と翔が同時に「えっ!?」とイシュカを見上げた。
イシュカはぎこちなく立ち上がり、こわばった表情を段下の人間に向け、機械的に沙那子と翔を見やった。
「恋人にするように、深く……長く……」
翔の顔はゆでられたように真っ赤に染まり、アタフタと言葉にならない言葉を連発した。
「なんでそれが証拠を見せる代わりになるんだよ!! 変態ぞろいだな、この世界の連中は!」
透は吐き捨てるように言うと、不審げに沙那子を観察した。
沙那子の様子がいつもと違った。どこがどう違うのかとははっきりとまだ断定はできないけれど。なにやら臭うのだ。
「ヤダ、イシュカちゃん、冗談でしょ? あたし、透のほうが好きだって言ったじゃない!」
沙那子はあいまいな笑みを浮かべて言った。
「ウッ」
翔はうめくと、ガクリと肩を落とした。
イシュカの眉が少しばかりゆがみ、力むように沙那子を見た。
「ゲームじゃないの、そのあと、透にお口直しをしてもらえばいいじゃない」
イシュカの声には抑揚がなく、冷たかった。感情というものが込められていなかった。
翔はキッとイシュカをにらみつけた。無情な女だと目が語っていた。しかし、次の沙那子の言葉にその怒りがガラガラと崩れていった。
「じゃ、やっちゃおうかな? よくコンパとかでするじゃない。どうせこの場キリだもん」
翔は「アワワ」と震え声でいいわけを言いはじめた。拒絶にはほど遠く、消え入りそうにちいさなつぶやきだった。
透は意を決し、沙那子に近づいた。透の確信はいまや決定的なものになっていた。沙那子ならばあんなことは決して言わない。彼女は夢多き<おとめ>なのだ。キス一つをケチケチする<エセ純情乙女>なのだ。透は沙那子の性格をイヤッというほど知っていた。三人の友情関係を沙那子は感づいていた。そうでなければ、なんで2年も続くものか。沙那子なら絶対透を好きとは言わないし、翔とキスするとも言わないだろう。もしも、考えなしにそんなこと言うようなヤツだったとしたら、沙那子はやっぱりおバカだったということだ。
「別にあたしがいいって言うんだからいいじゃない。八雲くんだってはじめてじゃないんでしょ?」
翔は沙那子の顔をまじまじと見つめ、カッと頬を赤らめた。自分は誘惑につくづく弱いと再認識する翔であった。
ホァロウは離れたところから事の成り行きを傍観している。
透はホァロウの態度に舌を打つと、乱暴にふたりのあいだに割り込んだ。
引き離されたときに沙那子の顔に浮かんだすさまじい憎悪の表情を、もろに翔は直視した。
「あれれぇ? やいたの、透?」
一瞬のうちに沙那子はイタズラっぽい笑みを浮かべて、透を見返していた。
「おまえ沙那子じゃねぇだろ」
透はうすら笑う沙那子を指さし、大声で言った。
「おまえだれだ!? 沙那子はどこにいるんだ!?」
沙那子は不気味に黙りこくり、虚ろな目で透を見やった。
「あたしは沙那子よ……だけどイシュカ様の奴隷なの……」
翔と透の怒りの目がいっせいにイシュカに向けられた。
イシュカはその視線にたじろぎもせず、平然と受け止めた。凍りついた表情で、言った。
「沙那子は死ねと命じれば素直に死にもするカワイイお人形なのです。わたくしが四日もくだらないおしゃべりにつきあえると思っていたのですか?」
なかば力むように手足を動かし、その声に感情はこもっていなかったが、一言一言力を込めて吐き出している。
「おまえはもとの世界に帰してあげましょう。しかし、その少年、金の神と沙那子は残るのです」
「そんなムチャクチャ、だれが承知するもんか! グダグダ調子いいことほざくな! 俺がおまえの言うこと、ハイハイきいてる理屈がどこにあるんだよ! 沙那子も翔も俺といっしょに日本に帰るんだよ!」
透は興奮してわめいた。
翔は透の言葉に勇気づけられたが、すぐにその気持ちも消沈した。透がどんなに強そうなことを言っても沙那子はイシュカの奴隷なのだ。沙那子を縛り付ける印を解いてあげないと、彼女をつれて逃げるのは無理だろう。翔はそのいましめの印を探した。しかし、それは沙那子の体のどこにも見当たらなかった。翔はホァロウを振り返るが、彼は石像のように動く気配すらない。がっかりして透に目をやった。
「そんならしようがないな、翔。おまえ、その力、あの女以外のもんにやっちまえ。放棄するんだよ」
「それ、ダメ……力は継承させないと」
沙那子は暗くつぶやいた。身構え、ふいに翔にむしゃぶりついた。力強く抱き締め、彼の唇を奪おうとした。
「や、やめッ! 六道さん!」
翔はなけなしの良心から、必死の抵抗をこころみた。
透は翔がすぐにでも観念しそうなのはわかっていた。「あーもう」とぼやきながら、沙那子を引きはがし、突き飛ばした。
沙那子は案外強く突き飛ばされたのか、床にグッタリと倒れた。
「なんするんだよ、透!?」
翔が叫んだ。
「おまえなぁ、どっちにしろ時間の問題だっただろ? あんなので説得できてたとか思ってんのかよ? あきれたヤツだな」
翔は恥ずかしそうにうつむき、沙那子にコソコソと寄っていった。翔が彼女を抱き起こすと、沙那子は「ううーん」とうなって目を開け、
「え、八雲くん?」
と寝ぼけた声でつぶやいた。そして、両手で頭をおさえ、うろたえだした。
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