第27話

 夜空に巨大な惑星が浮かび上がっている。見た目は緑がかった火星というところ。やけに近くに見えるが、かなり遠いらしい。ホァロウにたずねると、次元のゆがみでそう見えるとのこと。いわゆる蜃気楼と同じ原理らしい。

 暗いなか、白い道をしばらく進んでいくと、草原のかなたにランタンの光が見えはじめた。

 三人はその村に泊めてもらうことにした。

 村人たちは非常に友好的だった。猫目ではなく、外見は普透の人間だったが、不具者ばかりだった。

 透と翔ははじめは戸惑ったが、村人は別に不自由を感じている様子もない。片足で器用にステップを踏むし、片手でも生活に支障をきたすわけでもないらしい。それどころか、透や翔よりも巧みに手足を使い、目が見えなくとも耳が聞こえなくとも口がきけなくとも代わりの手段を使うことができた。

「ああ、それはね、彼らが自分の体の一部と魔力を引き換えにしてきたからさ。生まれつき魔力が備わっている代わりに、自分の体の一部はなくなってるんだよ。だから恐ろしい人間も生まれることが時としてある。彼は、イーヴルアイズとか、ヘテロとか、オッドアイとか呼ばれるけれど、彼の行くさきには死のみ、と言われるくらい忌み嫌われてる存在なのさ。むかぁしむかしに邪眼のヴァッシュっていうのがいたとさ、っていうバラードがあるくらいだからね。いま? いまはもういないよ。邪眼にだって寿命はあるからね」

 村は意外に広く、その点ではまえに訪れた村と大差なかった。夜中に宿屋の窓から外を眺めると、ちょうど村を一望できた。村の四角い外塀の四すみにそれぞれ大きな柱が立ち、その中央、いわゆる村の中心にも一本立てられていた。

 村を去るときに、翔がそのことについてたずねると、ホァロウはつぶやいた。

「聞かないほうがいいと思うけどねぇ」

 しつこくつきまとうふたりにホァロウは閉口して、言った。

「あれを方位神に見立てて、狭い空間に呪術的な安定をほどこしてるのさ。だからこの村はこの土地に定着している。だけど、棒を立てるだけじゃなんにもならない。強い魔力が必要なのさ。小さなこの村にだって、それなりの力をもったものが生まれてくる。一番強い力のものを中央神、順次の四人を他の方位神として……」

 翔はあわててさえぎった。

「もうわかった!」

 心なしか、その顔は青冷めている。

 透は別に平気だったが、ホァロウが何を言おうとしているかは、彼がためらったときにピンときていた。

「透はなんで平気なの?」

「おまえなー、この世界の常識をもうそろそろ覚えたらどうなんだよ。ここは丑満つ時のお宮参りやらワラ人形やらいけにえやら呪いやらネッシーやら妖怪やら、そんなもんが横行してる野蛮な世界なんだぜ。俺たちの世界みたいに科学の進歩した発展的な世界とは違うんだよ」

「なんだかその言いかた、ムッとしますね」

「気のせいなんじゃないのか?」

 透はシレッと言い返す。口ではそう言いつつも、内心では興味深い魔法の使い方を吟味していた。

 魔力のない自分の世界でも人柱を使っていた時代があったけれど、ここではかなり実用的らしい。

「力によるのさ」

 ホァロウは透の心の独り言を盗み聞きして、サラリと言った。

「いつからあんたの耳、そんなによくなったのかよ?」

「君の自己管理能力が劣ってるせいでね、筒抜けなのさ」

 人の心が読めない翔はまごつくばかりだった。

 翔は振り返る。村は魔法の力で消えてしまっていた。

 透も翔も背中にかついだ剣の重みにすっかり慣れてしまった。剣のせいでバランスを崩すこともなく、朝の日差しのなか、ポックリポックリ馬の背にゆられる。

 ホァロウは居眠りをして、馬が進むたびにガクンガクンと首がまえに折れた。

 翔は思わず出てくるあくびをかみ殺し、黙り込んでいる透をチラリと横目で盗み見た。

 自分が金の神だとしたら、透はだれなのだろう? これもゲームとやらのうちなのだろうか? 自分でも認めるけれど、翔はあまりこういう思考回路向きのおつむをしていない。あとから恥ずかしく思ったり、怒りを感じたりすることのほうが多い。自分が非常に感情的なのもわかる。もしかすると、この現実を把握していないのは自分だけかもしれない。

 そう思いはじめると、その考えから逃げられなくなってしまった。

「沙那子のことが心配なのか?」

 透がツツと馬を近づけてきた。ハッとして翔は透を見つめる。

「おまえ、もうちょっと沙那子に意思表示してもいいんじゃないか? 沙那子は説教好きだけど、非論理的でかなり単細胞だから、けっこう簡単て思うけど」

「六道さんは一途なほうと思うよ? まえにも言ったけど、六道さんが好きなのは透なんだよ。ぼく、六道さんと気まずくなりたくないから……」

「いまでも充分気まずいと思うけどな」

 うっ、それって、ぼくがいるから?

「うーん……そーじゃなくって、おまえは沙那子が好きなんだろ? で、沙那子は俺が好き。でも」

 と言いかけて、透は言葉につまる。

「えー、あー……俺はね、俺はふたりとも友達として好きなんだよ、うん」

「それで?」

 翔にはわけがわからない。透はかんで含むように言いきかせる。

「だからね、おまえらがひっついて、俺が見守る。完璧じゃんか」

「ハァ……」

 透の沙那子に対する態度を自分は誤解していたのだろうか。翔はいぶかしんだ。同性どうしの友達のように、しょっちゅうショッピングに行ったり、沙那子につきあって甘いお菓子を食べに行ったり、女の子向けの雑誌を見てふたりでウキャウキャ言いあったりして、一般の男友達だとそこまではしないだろう、というようなこともしている。それを考えると、自分に対する透の優しさも、これに共通しているのだろうか。透の性格なのだろうか。

「納得したか?」

「わかるけど、わかるけど……」

 翔はふいに悟った。ジェヌヴの言っていた、沙那子への思いを踏みとどめている感情とはこれのことなのだ。しかし、当のくびき本人からはオーケーが出ている。翔は勇気を奮い起こし。

「そうだね……じゃあ、ぼくの思うとおりにしていいんだね?」

「さっきからそう言ってんじゃねぇか」

 透の返答を聞いて、翔は突然心がかなり軽くなった。

 あのときに「うん」なんて言わなくてよかったー。

 またもや、その安堵が顔に出ていたのだろう。

「沙那子さーん、ボク、沙那子さんのこと、まえから好きだったんだよー、沙那子さんもボクのこと、好きなの? ねぇ、好きなの?」

 翔はためらいなく、透の脇腹を殴った。

 透は笑いながら、からかった。

「なんだよ、助けたら、こんなふうに言うんじゃないのかよ? それとも、沙那子さん、ボク、君のこと、好きなんだ、君もボクのこと、好きになってくれる?」

「もう、やめろ!」

 ベシベシベシと連続で、翔は透の背中をたたいた。

 このあと二、三度、透は同じネタで翔をからかった。

「しつこいよ! いいかげんやめろ!」

「おっ、公認になったとたん、威勢がよくなったじゃんか」

「まだ公認なんかじゃないよ!」

「まだ、とか言ってるよ、こいつ。もうなるつもりでいるんだなー」

 こんだけ盛り上げれば翔も後にはひけんやろ……透はゲハゲハ笑いながら、翔が完全にその気になるまで自分の脇腹と背中を酷使した。

 グゲー

 醜い鳴き声に、いまのいままで横のバカ騒ぎにさえ目を覚まさなかったホァロウが飛び起きた。

 グゲー

 三人は空を見上げた。

 黒い鳥がゆらゆらと大きな翼を広げて空に浮かんでいた。それはゆっくりと旋回しながら降りてきて、三人から少し離れた地面に舞い降りた。

 翔と透はその生き物のあまりの醜さに顔をしかめた。

 カラスに似た鳥の頭は黒髪の灰色の肌をもつ女の顔で、アルミホイルのような目玉をギョロつかせている。翼は奇形じみていて奇妙な方向にねじれているが、飛んでいたからにはそれでも飛べるようにはできているのだろう。翼のみ羽根で覆われ、他は髪の毛のような黒い毛で覆われている。胴からはみ出ている足らしきものは、どう見ても灰色がかった女のほっそりとした両腕だった。

 グゲー

 透は醜い生き物が心のなかでとりとめなくしゃべっているのを聞いた。しかし、その内容はお子さまに聞かせるようなものでなく、聞いて価値のあるものでもなかった。

 翔はすっかりうろたえて、この醜い生き物に同情すべきなのか、嫌悪すべきなのか、表情が思いに揺れるたびにコロコロと変わっていった。

「ダークエルフ、イシュカの使いだね」

 ホァロウは厳しい顔付きで馬から降りると、ダークエルフに近づいた。

「どうしたんだい?」

 それがたとえどんな生き物であろうと、ホァロウにとっては愛すべきものなのだろう。

 しかし、ダークエルフはホァロウを恐れてさっと退き、その口を威嚇するように大きく開けた。

 象牙色の犬歯とどす黒い切断された舌。

「うっ」と翔がうなった。

 口はますます広げられ、めりめりと音を立てて、ダークエルフの顔が外へめくり返った。

 あとは嫌悪のみ。

 すっかり裏返って黒い血の海と化した地面に、黒い血液の小人がニョッキリと立ち上がる。徐々に黒い人形に色がつきはじめ、三人が目をみはるあいだに髪の乱れた沙那子がたたずんでいた。ヨロリとひざまずいた。

「金の神と……引き換えなんだって……」

 沙那子は半ベソをかきながら言った。。

「来なかったら殺すって言われたの……」

 沙那子はズリズリと草地のなかをはいずり、翔と透のほうへ寄ってくる。

「あたし、死ぬのはイヤ……!」

 翔は思わず馬から降り、小さな沙那子に駆け寄った。

「六道さん!」

「早く助けに来て……」

 翔が小さな沙那子を両手に包む間もなく、ベチャリと黒い血の塊は草のうえにこぼれた。

 ホァロウは無残なダークエルフの死体を埋めるために、地面に穴を掘りはじめた。

「透!」

 翔の顔は憤激にしかめられていた。

「透! 六道さん、早く助けなくちゃ! いまの見ただろ!?」

 透は馬に乗ったまま、翔の顔に出ている焦りを冷静に眺めた。

 翔はわなわなと顔を真っ赤にして怒っていた。

「ああ、見たよ。あいつも演技過剰だな」

「演技? 演技じゃなかったよ! 六道さん、泣いてたよ!? あんな……あんなひどい格好して……六道さん、きっとひどい目にあってるんだよ!」

「まぁ、落ち着けよ、冷静に考えよう」

 翔はいままで透にはむいたことのない牙をむいた。

「冷静!? なに言ってんだよッ! これで冷静でいられるもんか!? ぼくが行かないと、六道さん、殺されるんだぞ!? さっきの鳥みたいに殺されるかもしれないんだぞ!? イシュカって女、頭おかしいかもしれないじゃないか! 何されてるのかわからないじゃないか!」

 透はたじろぎもせず、吠え立てる翔を見つめる。

「まだ、わからない。殺すんだったら、とっくの昔に殺してるだろ。それに、あんなもん、いくらでも嘘で作れる。沙那子はもう死んでるかもしれない」

 と言って、噛み付いてくる翔を両手で押さえた。

「でも、もしかしたら、沙那子はなんにも知らないでのんびりしてるかもしれない。興奮して、失敗しても、俺たちにはやり直しはきかないんじゃないか?」

 翔の鼻息はしばらく荒かったが、じっと透の静かな目を見つめているうちに、翔も考え直した。

「でも、早く行かないとダメだ」

「そりゃそうだよ」

 透と翔は傍観を決め込んでいるホァロウにじっとりと視線を送った。

「ン?」

 ホァロウはとぼけたフリをして馬に乗ろうとした。

「あんた、神様だろ、イシュカのとこまで俺たち飛ばしたっていいだろうが」

 透は呼び止めた。

「そんなこと、君たちがやればいいのに」

 ホァロウは面倒臭げにブツブツとつぶやいた。

「君たちだって、力があるんだから」

「使いかたなんて、なんにもわからないのに?」

 透はぼやいた。

「君たちが自分にはできないと思うから、力はそれをできないと判断してしまうのさ。できると思えばいい、できるということさえも考えずに、当たりまえのことだと考えればいい。それを思い込みと言う人もいるし、意志の力と言う人もいる。あたしは自然の力と言ってるけどね。君たちがどう呼ぼうと関係ないけど、馬がないとだめ、足でないとだめ、何がないとだめ、そんなふうに考えている限り、この力は使いこなせないということ」

「わかった」

 意外なことに翔はすんなりと了解した。

「ぼくはテレポーテーションができる。ホァロウ、場所教えて」

 ああ、愛のなせるワザ!

 透は感心して翔を見つめた。

 ホァロウと翔はフッと視線を交わし、情報伝達はそれでこと足りた。

 翔は自分の回りにみんなを呼び寄せ、目をつぶった。

 透は翔の様子をよく見ようと彼の顔を覗いた。

 次の瞬間、すべての視界が大きくぶれた。

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