第24話

 翔は目覚めていた。

 かなりまえに目が覚めていたが、起き上がる気力がなかった。

 指の疼痛が、シクシクとうずく胸の痛みをごまかしている。

 体を動かさず、目だけをキョロキョロさせ、透を探した。

 胃のすくむような不安が差し迫った。翔はそれをかみ殺した。泣くと透を困らせる。

 困らせると透は自分を憎むようになるだろうか?

 体の古傷が白く引き攣れて、あちこちで痛む。寝覚めの悪さが、翔にずっと昔の出来事を思い出させた。

 悪い子だったから、愛してもらえなかった。許してもらえなかった……翔は小さな子供になって、不安をヌイグルミにして抱き締めた。抜け出すための透の一声がないのだ。これは夢だと教えてくれていたはずの人間が、翔の不安をすぐに察知してくれていたはずの人間が、翔から遠ざかってしまったのだ。

「翔はな!」

 翔はビクリと震え、じっと息をひそめ、それが聞き間違いでなかったどうか、透の言葉を待った。

 透は二度と許してくれない。自分が努力したとしても、決して許してくれることはないのだろうか。

 抜け道が見つからない! 

 透が少しでも優しい言葉をかけてくれれば、自分の考えが間違っていたと思えるのに。こんな悪い夢、すぐにでも壊してしまえるのに。

 どれくらいもんもんと考えていたのか、翔はふと耳をすました。

 透の足音が近づいてくる。

「いーかげん、起きろよ! ぐうたら寝てるヒマなんかないんだぜ!」

 不機嫌な怒声が頭上から降ってきた。

 透は声とは正反対に気まずげな表情を浮かべて、マントにくるまって丸くなっている翔を見下ろす。手にはお茶をもって翔が起きたら渡そうと。

 翔の体がギクッと弾けた。反射的に起き上がった。

 まぶしげに見上げ、空に黒く透のシルエット。脅威的に見えた。

「それともあしたまで寝てるつもりだったのか!?」

 翔には彼の語調がいままでよりも厳しく聞こえた。

 これは透じゃないかも知れない。透だったらもっと優しいじゃないか。

 翔は地に伏せ、両耳をふさいだ。

「起きろよ!」

 起きなくちゃ、と翔は起きようとした。

「もういいっ! もう、一生、寝てろ!」

 起きろと言われた。起きなければ。でも、寝ておけと言われた。寝ていなければ……

 翔は自分が一体どっちの言葉に従えばいいのか、パニックを起こしそうになる。どっちも大切な人間の言葉だ。守らなければ、嫌われてしまう。憎まれてしまう。どっちの言うことにも従いたい。なぜ、自分には体がひとつしかないのだろう!? 

 瞬間、翔の精神がまっぷたつに引き裂かれた。

 透は翔の絶叫に驚いてカップを落とす。

 やってしまった!

 どっと自責の念が津波となって自分にかぶさってきた。

 俺、やり過ぎたんだ!! 

 翔がここまで弱いとは思いもよらなかった。翔の叫び声をどうすればとめられるのか、透はオロオロと手をこまねいて見ていた。

 透は翔を抱きとめて落ち着かせようと、翔の体に手をかけた。翔はその手を激しく振りほどき、自分のなかにこもってしまった。

 もう一度挑戦した。翔は我を失っていた。動物のような声を張り上げて、透の手を振りほどくために、片手を大きく動かした。

 一瞬何が起こったのか、透にはわからなかった。

 ものすごい爆烈音が透の頬をかすめ、かなり離れた先までぱっくりと大地に亀裂が走っていた。

 翔は静かにうずくまり、両耳を押さえていた。上体を前後にゆらし、自分のなかの激情に翻弄されているようだった。

 透はたじろいだ。すぐに脳裏をよぎった恐れを振り切り、キッと表情を引き締め、翔を抱き寄せた。

「翔? 透だよ。どうしたんだよ? 怖いことでもあったのかよ?」

 できるかぎり、普通を装い、翔をはやく元に戻したかった。

 翔はうつむいたまま、自分を抱き締める体をどかすために手を振り上げた。

 透はギョッとなったが、意地でも離すものかと抱き締めた。

 透を見上げる翔の瞳が金色に輝き、正気を失っていた。

「うわあぁぁぁ!!」

 翔が叫んだ。

 透は翔の顔を見つめたまま、殺されると自覚した。

「はい、それまで」

 やけに明るい声が透の緊迫感をゆるめた。

 気がつくと、翔の両目をホァロウが後ろからふさぎ、翔は圧力の下がっていくスチームのように意識を失った。

「やり直しがきくと思ってたのかい?」

 ホァロウのニヤけた笑顔を見ていると、とたんに体から力が抜けていく。フーッと息をついた。

「死ぬかと思った」

「そりゃ死ぬだろう。あたしだって」

 と、透の背後に伸びる亀裂を指した。

「あんなものもろに受け止めてたら、五体満足でいられたかどうか、保証できないね」

 透は翔の様子を確かめ、穏やかになった友の寝顔を見つめた。

 いまさらだったが、自分が間違っていたとつくづく痛感した。

 金の神は自分ではなかった。

「さ、ゾッとしたところで、君は自分の行為の浅はかさを身をもって反省したろうね?」

 うなずかなくとも、透は自分の肝に命じたばかりだった。

 自分の力と翔の力の差が見えない定規で測られ、そのとてつもなさに身が縮んだ。

「君だって、もっとすごいのに」

 何をどこまで知っているのやら、透はいぶかしげにホァロウを見上げた。

 翔をそっと地面に寝かしつけた。

「あたしを生き埋めにするつもりかと思ったのさ。あんな遊びはあたしだって遠慮したいね」

「あんたにはわかってたのか?」

「もちろん。でも明かさないのもゲームのうちなのさ」

 疑わしげな透の視線に肩をすくめて言った。

「君が<金>としてイシュカと対面しても、別にかまわなかったさ。うまくいかなければこの世界の寿命はすぐにでも尽きる、それだけだよ。どっちにしろたいした違いじゃない。もとからない、という存在になるだけだからね。運命がよしとするまで、リセットしつづけるというわけさ」

「じゃあ、なんだよ。俺たちは失敗してもいいって言うのかよ?」

「ま、そういうこと。ちょっとしゃべりすぎたかな? ま、いいさ。ふたりとも自分の力に目覚めたわけだし、あたしもそろそろ手の内を見せてもいいころみたいだしね、まずはこのきかんきさんを起こしましょうかね」

「そうだな、朱の神」

 透はさりげなく言ってやった。

「おやおや」

 ホァロウは微笑むと、翔の額に手を当てた。

「ううーん……」

 翔は小さくうなると、ゆっくり目を開いた。その瞳はこげ茶色で、ぼんやりとして焦点が合っていない。

「翔?」

 視線をさまよわせ、透の顔を捕らえた。

「ぼく、寝過ごした?」

 翔は何も覚えていなかった。すっかり忘れてしまっているようだ。そのことに透はホッとした。

「ううん、よく寝てたな。腹へってない?」

 翔は目をこすりながら、体を起こし、自分を心配そうに取り囲むふたりを不思議そうに見つめた。

「ぼく、いびきかいてたの? それとも変な寝言でも言ってたの?」

「沙那子さーん、ぼく、すぐに助けにいくからね」

 透が口をすぼめてひやかすと、翔はとたんに顔を真っ赤に染めて、こぶしを透の脇腹にめり込ませた。

 透は脇腹をさすりつつ苦笑して、香草茶を入れ直しにいった。

「ホントはそんな寝言、言ってないよ」

 ホァロウは笑って、翔と一緒に炉火のところへいった。

「なんであんなこと言うんだろ」

 翔がブツクサ言っていると、地獄耳をピクピクさせていた透が、

「おまえの心の叫びを代弁してやってるんだろーが」

 と、カップを手渡した。

 翔はおもしろいくらいに赤くなると、黙り込んだ。

「それはそーと、おまえが金の神だったみたいよ」

「ハ?」

 翔は目を見開き、次に大笑いした。

「まーた、冗談ばっかり言って」

「本当のことだよ」

 ホァロウの言葉に翔は真顔に戻った。

「水鏡がそう示したらしいじゃないか。あたしも確かめたし、嘘じゃない」

 翔は黙ったまま、じっとふたりを見つめていた。そして、深く考え込んだ。

「あの亀裂もおまえが寝ぼけてやったことなんだよ」

 翔はさっと透の指す亀裂を眺める。あぜんとした顔で自分を指さし、

「ぼくが?」

 と半信半疑で訊いてみた。透だけにそんなことを言われたのなら、翔は信じる気にはならなかったが、ホァロウにまで言われてしまうと、納得せねばならなくなる。

「一度使った力は、湧き出はじめた泉のようにもうとまらないのさ。今は手足のように力が使えるはずだよ。あたしだって使ってるし、このガンコ坊やにだって使えるんだよ?」

 ガンコ坊やはホァロウの言葉に少しムッとした。

 俺にふるか、フツー?

 非難がましい目でホァロウをにらんだ。

「ガンコ坊やはさっき気付いたばかりだし、君だって気付くのがけっこう遅かったみたいだね?」

「遅かったって?」

「あの永遠の荒野にほうり出されたとき、出口の方向をつかんだんでしょ?」

「あのとき?」

 翔は透に視線を移すした。

「透は? 透はいつからわかってたの?」

「俺はついさっき。なんかまぎらわしい力なんだよ。アカゲバカが言うほど強い力があるとは思えねぇけど……」

 アカゲバカと口にしたとたん、ホァロウの強靭な指先が透の頬をつねりあげた。

「……ッ!!」

「君のこのしつけの悪い口の根性をそろそろたたきなおさないといけないみたいだねぇ」

 と、ニコニコ笑いながら言った。

「手ェ離せっ、この……!!」

 透は日頃皆無な自制心で次の言葉を言いにごした。

「なんだよ、翔はうれしくないのか? 沙那子を取り戻せるんじゃないか」

 翔はうれしくも何ともなかった。戸惑いも感じなかった。うろたえもしなかったし、漠然とこうなるような気がしただけだった。ただ、沙那子を助け出せると思うと、ほんのりと心が暖かくなった。沙那子のことを考えるととても幸せになれる。

 黙ったまま薄気味悪くニタニタ笑っている翔を透はじっと見つめた。透は寂しく微笑んだ。所詮、性別には勝てない。

 翔には沙那子がちょうどいい。沙那子となら許せる気がした。

 ホァロウが突然両手を広げ、バタバタとあおいだ。

「さ、わかったんなら、出発だ! あたしはくどくど説明するのはキライなたちなんだよ!」

「まだおまえの手の内、見てないぞ!」

 ハエを追い散らすように、バタバタとホァロウは透と翔を追い蹴散らす。

「ほらほら、聞き分けて!」

 透がさらに何か言おうと口を開いた。

 渋い顔付きでホァロウはため息をつくと、指をしたに振った。

 透はバタンと地に倒れ伏し、金縛りにかかったように動かなくなった。

 ホァロウはひょいと透を抱え上げ、馬の背に乗せた。

 翔は素直に自分の馬の背にまたがったが、透の様子が気になって彼のそばへ近寄っていった。

 透は観念しきって、視界に広がる馬の腹を見つめていた。こんな視点から馬の腹なんぞ見ることになろうとは思いもよらなかった。

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