第23話

 ようやく薄明かりが前方に望めたときには、ふたりともすっかり疲労こんぱいしていた。

 出迎えたホァロウがふたりを支えると、キャンプまで連れていき、翔をマントにくるみ、透の肩にマントをかけてやった。

 リリックはしばらくホァロウとボソボソと話し合うと、素早く穴へ戻っていった。

 空は白々としたベビーブルーに褪せ、星と惑星は片隅の濃い藍色にしがみついている。

 その色のしたで、透は翔の泣きそぼる顔に気付いた。目をしっかとつぶり、マントをつかむ指が血で汚れていた。

 ああ!

 透は尾てい骨に震えを感じ、片手で顔を覆った。みぞおちに重たい後悔を食らった気がした。

「何かあったのかい?」

 ホァロウが透に暖かい香草茶のカップを手渡した。

「あんたなんかに話したくない」

「ちょっと向こうに行ってから聞こうか?」

 ホァロウは透の言葉を無視して、さっさと自分は少し離れた木陰へ向かった。透はため息をつくと、ホァロウについていった。

「あの子はなぜ?」

 透は黙り込むつもりだった。

「君の下心がさっそくばれたのかい?」

「いーや」

「じゃ、なぜ?」

 疑わしげな目をホァロウに向けた。

 こいつ、なんで俺の考えとーことがわかるんだ?

「いやはや、実に簡単なことでね、かなりまえからわかってはいたのさ」

「俺はさっき知ったのに?」

「君はずーっと勘違いしてただけさ。君があの子に懸……」

 透のこぶしがホァロウの唇にねじ込められる。それをホァロウの手がどけた。

「わかった。じゃ、えー……アレと言おうか? アレ。アレならいいだろう?」

 透はゲーッという顔をしてみせたが、「妥協する」

「君があの子にアレしてるのは、会った瞬間から読めてたのさ。あんな感情、単なる友人に向ける代物じゃないからね。君のけなげさが何度もあたしの胸を打ってたんだけど、気付かなかったかい?」

「気付くわけないだろーが!」

「そりゃそうだ……ま、いつものように接してあげればいいのさ。そんなに違って感じるほど、あの子は敏感じゃないしね」

 確かに……透は無言で納得した。

「あ、でも、ダメだ……すぐばれる。あんたにわかるかなぁ……アレのせいで、あいつ見てると、こう、ムラムラしてくるんだよ」

 ホァロウはニンマリと笑った。もともと薄く笑っているような顔だが、あからさまに顔全体で笑ってくれて、透はムッとした。

「若いねぇ。そこは経験の賜物さね。それはあの子じゃなくても自分でできるじゃないか。なんなら……」

 透の二度目のこぶしがホァロウの口のなかにねじ込められた。

 すぐにそれがホァロウの悪趣味な冗談だとわかり、透はぼやいた。

「よくもそんな気色の悪い冗談が言えるな!? それともあのエロバカ男もあんたも、ここの神様はみーんなホモなんか!?」

「おやおや、自分のことは棚において。で、金の神がどちらか、わかったのかい?」

 ホァロウはスルリと攻撃をかわすと、何げなくたずねた。

「俺だよ」

 透はブスッとして答えた。

「へぇ、君が? それにしたら、ずいぶんと外身の趣味が悪くなったものだね」

 ホァロウはわざとらしく渋い顔付きで、透をジロジロと観察しながら、あごを指でこねくり回す。

「うるさいなっ! よけーなお世話だよ!」

 ブツブツと文句をたれながら、透は冷えた茶をすする。

「とにかく、金の鳥が俺の母さんの腹ンなかに入るのは見たんだよ。ジジィとババァが俺のこと、神様のくだされもの呼ばわりする理由が、あれで納得できた。俺は産まれるわけがなかったんだから……それに金の神って、男が好きだったんだろが?」

「君がそう思いたいのなら?」

 なんでこのバカはこーもったいぶった言いかたをするんだよ!? 

 透の頭のなかでかんしゃくが爆発した。

 ホァロウは肩をすくめた。

「もう何千年も続いてるんで、自分でも核心をどこにしまっておいたか、忘れちゃったんだよ」

 そして、透の怒りをよけるように木陰から離れた。

「そうそう、馬のブラッシング、代わりにやっといたから」

 大声で叫ぶホァロウに向かって、透は手にもっていたカップを投げ付けた。

 翔の目が覚めたとき、その近くにいたくないという理由から、透は翔に背を向けて、馬を丹念にブラッシングしていた。

 ホァロウから借りた毛ブラシで短い体毛をすくたびに、馬は中年のオヤジくさいため息をついた。

 おまえもこのくらいのことはできるんだなぁ、という目付きを時々投げかけてくる。 

 10回ブラッシングするところをすこしでもかまけると、尾が鞭のように飛んできて、透の腕をピシリとやった。

「このバカウマ、やめろっ。バカウマのくせにッ」

 わざわざキャンプから20メートルも離れた木陰で、透は黙黙と作業を続けた。

 連星太陽が中天にかかり、午前は終わりかけていた。

 ジェヌヴは死んだのだろうか、とあのあとホァロウにたずねてみた。

「いいや、方位神は基本的に不老不死なんだよ。彼らを殺せるものは限定されている。神自身が愛してるもののみ、彼らを傷つけ、その命を断つことができるんだよ」

 それならばジェヌヴはどこへいってしまったのだろう。

「うーん……彼はゲームに参加する資格を失ったのさ。でも、かなりの実力者だったんだよ? 彼が表に出ずに裏に回って参加していれば、必ず彼が勝ったはずさ」

 ホァロウの答えは、答えになっていなかったが、それでも納得しなければならないのだろう。

「他の方位神はずっと昔にその資格を失っている。<青>は魂が半分だし、<白>は資格を放棄したのさ<朱>? <朱>は今回は審判役を運命に任されてね。今は一体どこにいるのだろうかね?」

 ホァロウはそう言って、あの穴のなかへ入っていってしまった。

 透はそっとキャンプのほうを振り返る。翔はマントにくるまったまま、まだ寝入っているようだった。

 まだ起こさなくてもいいな。でも、あと少ししたら起こさんといかんな……

 透はため息をつき、馬の背にベタッとしがみついた。

 ――何をいきなり? 

 と馬が鼻を鳴らした。

「おまえに話してもしようがないんだけど、どうしていいか、わからんねぇんだよ」

 ――ホァロウに相談すればいいのに。

 馬は前足を踏み鳴らした。

「そうもいかねぇよ。これは俺自身の問題だし、あのバカ、何するかわからねぇ」

 ――彼はそれほどおせっかい焼きじゃないけどねぇ。

 馬は物知り顔で前歯を剥き出した。

「翔はな!」透はその話をぶち切るために、わざと大声で叫んだあと、声をひそめ、「翔は、まえにも切れたことがあるんだよ」

 ――あの子が? そうは見えなかったけどねぇ、

 と馬は頭を傾けて、翔のほうを盗み見た。

「馬のおまえにわからなっくても、俺は責めねぇけど、あのときは見ていられなくなるくらい、痛々しかったんだよ……もしかしたら、あのときからかも知れねぇなぁ」

 ――なにがあったんだよ?

「あいつの母さん、少しおかしかったんだ。虐待ってゆーのがあるけど、そんなふうで、たぶん俺ってゆー友達ができたせいで、プッツンきたんだろーなぁ……でもあんときはあいつの母さん、入院して良くなってまたあいつも元に戻ったんだけど、高校に入学したころまたおかしくなって、でもまえのこともあっただろ? 俺に気ィ遣ったんだろな、ホントの理由は聞かずじまいで、あとからジジババから聞いて知ったみたいなもんだったけど……あいつも水臭いんだよ。俺が突き放すわけ、ないじゃんか……泣いて気がすむんだったら、俺、いくらでも俺の胸、貸し出せたのに……」

 ――ほう……それでアレね?

「なーんで、おまえまでアレって言ってんの?」

 ここまで馬相手にひとりごちて、彼はハタと気付いた。

 馬相手に?

 ――そう、馬相手に。

 と、馬は馬らしい歯を剥き出して笑ってみせた。

 透がブラシを手に凍りついているのを見ると軽蔑の色を瞳に浮かべ、これだからボンクラな人間ってヤツはさ、と言った。

「いつから……あれ? 俺、いつから話せてた?」

 ――けつと耳の穴の手入れは……

 みなまで言わさぬうちに透は叫ぶ。

「じゃあ、リリックとも実は話してたのかよ!?」

 すげぇ!! 透は翔のほうに駆け出そうとして、つまずくくらい激しく足を止めた。

 ダメだ! あいつとは距離をおくんだった!

 ――くだらないことをいちいち気にしてさ……人間てのはめんどくさいね。

 と馬は透の背後からいなないた。

「そりゃあ、馬と比べておミソの重さが違いますから」

 透は自分のおつむを人差し指でつついた。

 すかさず馬は後ろ脚で足元に転がる自然の凶器を蹴散らかし、透にぶつけた。敵がたじろいで後退するのを確認すると、満足げにまたいなないた。

「クソ! バカウマめ!」

 ――バカめ、二足歩行のノータリン、鼻からミソでも出してみろ!

 馬はもう一度長距離のキックに挑むかのように後ろ脚を位置につけた。

 透はさっさと至近距離から遠ざかり、穴のほうへ近づいていった。

 光が差し込んでいるのは入り口だけで、奥のほうは闇がギッシリとつまっている。

 ホァロウの帰ってくる気配は全くなかった。

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