第20話

「じゃあ、イシュカちゃんはその血のつながらないお父さんが好きなの?」

 沙那子はすっかりくつろぎ、イシュカのくれたミモザ色のローブの裾を床に広げ、イシュカが編んでくれた三つ編みがちゃんと冠のようになっているかどうか気にして、頭を少し傾きかげんに座っていた。フワフワのクッションに寄り掛かり、ダークエルフが作ってくれた一口パイを頬張った。

 ここに来てからすでに三日たっていた。

 いまだに朝起きるたびに遅刻だーっとあわててしまう。

 イシュカに学校の話をすると、おもしろそうに彼女は耳を傾けていた。

 女らしくて、大人という感じのイシュカが自分と同じ17歳とはとうてい思えない。

 ときどき話が通じなくて困ることもあるけれど、そのイシュカから恋愛に通じる言葉を聞くと、沙那子は飢えた狼のように目の色を変えて、根掘り葉掘りたずねはじめた。

「お父さんて、いくつなの?」

 イシュカはいつも考えるとき、沙那子の目を見つめた。完璧なお人形のような顔に見つめられると、相手は女だというのにどぎまぎしてしまう。

「わからないわ……父上はいつも若々しいかただし……なんと言っても神なのだから」

 神……!

 沙那子は疑わしげな目をイシュカに向けた。

 イシュカちゃんが勝手にそう呼んでるんだとしたら、まぁ、そんなこともあるだろうけど、そのお父さんて人が自分で自分のこと神様って言ってるんだったら……

 沙那子の脳裏にあの何タラ真理教の教祖様のような(父上)がデーンと浮かび上がった。

「ちょっとそれっておかしいんじゃない?」

 イシュカはたまに沙那子の心が読めるのか、珍しくにっこりと笑った。

「父上はお美しいの……尋常でない美しさなの。わたくしと同じ金髪で、金目をしてらっしゃるの。もうひとつお顔をもってらして、そちらは栗毛にセピア色の瞳なのよ。とてもお優しくて落ち着いた表情の……でもわたくしにはそのお顔はあまり見せてはくださらなかった」

 イシュカは気丈なふうにそう言うけれど、沙那子はイシュカが本当は寂しい思いをしているのだと感じ取り、キュッと彼女を抱き締める。これではっきりいって10回目になる。そのたびにイシュカは翔れているのか、身をよじって沙那子の抱擁から離れた。

「イシュカちゃんのお父さんて、モデルみたいねぇ。映画俳優とかしてんでしょ? どこの国の人?」

「もとはあなたと同じところと聞いているわ」

「えー!? 日本人なの? ヒェー、すごい」

 沙那子の心に同郷のよしみという懐かしい感情が込み上げてきた。

 年齢不詳で、スパイで、自分のことを神と言っている変人で、ものすごい美形で、しかも日本人。という、とんでもなく怪しげな人物像が沙那子のなかでできあがっていた。

「イシュカちゃんて、変わったシュミしてるのね……ま、あたしも人のこと言う義理なんかないけどね」

 それにしても透はあたしがここにいること知ってるのかしら?

 沙那子がぼんやり黙り込むと、イシュカがゆったりとした物言いで、沙那子に言った。

「きっとくるわよ」

「? なんでわかるの?」

「それが決まりだからよ……父上が日本にいってしまってから、運命がそう決めたの……そうしないと、この世界はバランスが崩れて、無になってしまうから」

 イシュカは、理解できなくてヘロヘロ笑っている沙那子を見つめ、優しげにほほ笑んだ。

 愚かな人間……いえ、この娘はこの世界の在り方さえわからず、この娘にでき得る限りの能力を使って、わたくしや、あらゆることを理解しようとしている……おまえは結局死んでしまう運命あるのに……わたくしがこの手で……

 イシュカの哀れみを込めた視線に気付いた沙那子は、

「すみません、おバカで……」

 と、自分の頭をポンとはたいた。

「あたし、エコロジーとか、リサイクルとか、興味もったほうがいいんだろうけど、よくわかんないの」

「いいのよ……あなたにはもっと他に長所があるのだから……」

 沙那子は顔をほころばして、テレ笑いを浮かべた。

「あたしって欠点だらけよー、イシュカちゃんのほうがよっぽどいい人よ」

「あなたにはわたくしがいい人に見えるの?」

 イシュカは百年もまえに忘れてしまっていた残酷な感情が頭をもたげるのを感じた。

 だけど、それをして、一体何になるというのだ。この娘はなにも知らないのだ。自分も、なにも知らないまま、飢え死にしていたらどんなに幸せだったろうか。

 しかし、本当に取り戻せないのは時間だけなのか? 

 すると、またも沙那子がイシュカを抱き締めた。

「あたし、なんだか知らないうちにイシュカちゃんのこと傷つけてるみたい。イシュカちゃんのことそんなに知らないのに、知った口きいて、ゴメンネ」

 生きた人間の肌の暖かさが、イシュカの内臓を締め上げる。鋭い苦痛にあえいで、イシュカは沙那子から体をもぎはなした。

「いいのよ……あなたに悪いところなどないのだから」

「またまたァ」

 沙那子はイシュカの肩をパンパンとたたき、自分のテレをごまかした。

「でもそんなこと言ってくれるの、イシュカちゃんがはじめて。透なんか、あたしのこと、バカバカバカバカって、もー! そんだけ言ったら充分わかるってゆーのに連発すんの。八雲くん……そんなこと言ったりしないけど、あのコ、頼りないのよねェ。いっつも透にくっついてて、顔は悪くないんだし、もっとピシッと決めててくれたらーって、思うんだけど……イシュカちゃん、気になる男友達っている?」 

 まるで鳴きわめく九官鳥のようだとイシュカは思う。騒々しいが聞き苦しくはない。

「男友達と言えるのなら……ホァロウとシェイリューかしら……」

「えっ!? だれだれだれだれ 」

 とたんに沙那子の目が輝いた。

「おふたりとも、父上とご同朋なの」

「へー、じゃ、おぢさん? どんな顔? どんな感じの人?」

「とてもお若い。見た目は30前後かしら……ホァロウは赤毛で、シェイリューは白髪」

「染めたの……? うー……ミュージシャンなの? なーんか、ハデな人たちばっかなのねェ?」

 イシュカが、またも自分との異質な文化の壁にぶつかって当惑している。

「ううーん……ま、趣味は人それぞれだし、あたしがチャチャ入れることはないわね。で? なにしてる人なの?」

「ホァロウは……」と言いあぐね、イシュカは沙那子の顔を見やる。どうもこの娘は神という存在が信じられないらしい。

「動物を操るのよ。シェイリューはシャナクーダという片身をもっている……」

「じゃ、見込みのあるのはホァロウね!」

「え?」

 イシュカは自分の耳を一瞬疑った。

「だから、恋人になれそうなってこと」

 イシュカは声を立てて笑い出した。もう何十年も笑ったことなどなかった。

 あの天蓋から、ワシの食べ残した鳩の首が何個も続けざまに落ちてきたときだって、これほどまでに笑わなかった。

 この娘はなぜこうも荒唐無稽なことを次から次へと思いつけ、そして、しゃべるのだろう。

「?? あたし、なんか、変なこと、言った?」

 沙那子は焦って、イシュカに理由をたずねようと、オロオロしている。 

「沙那子、あなたの好きな人のこと、わたくし、聞いていなかったわ。透っていう人のことが好きなの? よくお話しに出てくるけれど……?」

 沙那子の顔が、見る間にテレの入り混じるゆるんだ笑みでいっぱいになった。

「やっぱ、わかるのかなぁ……? あたしとあいつって、幼なじみなの。小学校のころまでずっと一緒でね、気が合うっていうか、親しみやすいっていうか、こう……なつかしさっていうのか、なんか、まえにも会ったよねーっていうような、そういう感じがするの。でも、あいつもあたしのこと、好きっていう感じ、ぜーんぜんしないし、あたしのこと、まーったく女扱いしないし、それどころか女として見てくれてないし、やっぱ、幼なじみの恋って実らないみたい」

 沙那子はエヘヘと笑う。

「でも、あなたは好きなんでしょう? 好きという感情ってどんなものなのかしら?」

「うーん……相手のやることなすことが気になる……それで、思い出しては思わずニヤリって笑っちゃうし……あ、いや、あたしはね、ニヤリだけど、ニコッて子もいるのよ。で、しょっちゅうそいつのことばっかり話してるし……そ、何げないしぐさに、ドキドキってするの。イシュカちゃんはしたことないの?」

「その感情を人を好きになったときの感情と言うのなら、わたくしは一度だってだれかを好きになったことなどないのかもしれない……わたくしは……相手に楽しい思いを巡らせたことなどない……」

「いやだ……イシュカちゃん。それってー……<好き>じゃなくって、<愛>じゃないの? もー! あたしなんかより高度じゃない。すごいなぁ。イシュカちゃんにくらべたら、あたしって恋愛遊戯してるんだなぁ。愛ってツライ……って、決まり文句じゃないの!」

 イシュカは目を細めた。

 愛? この干からびるほどかつえた渇きを、人は愛と呼ぶのか? 父上に対して、舌をかみ切ってでも求めてきたものを、この娘は愛と言うのだろうか。

「あ、あたくし、なんだか、生意気なこと言っちゃたみたいで……アハハ、すみません」

 おどける沙那子の苦笑を見つめながら、どうしようもない、忘れていたはずの感情がひたひたと自分に打ち寄せてくるのを、イシュカは感じ取った。

 父に教えられ、そして、自分で育てた狂気が、おしとどめようと押さえる彼女の指のあいだから、ネバネバと漏れでてくる。

「ねぇ……沙那子? わたくしとおもしろいゲームをしてみないかしら?」

「え? なになに?」

 いま、自分はこの娘を自分の力でひねりつぶそうとしている。

 イシュカはその思いに懍慄とする。しかし、それは快感となって、イシュカの顔に浮かび上がった。

 沙那子はイシュカの微笑みにつられて、自分も笑った。

 イシュカはなんと美しく、あでやかに微笑むのだろう。

 あたしもこんなにきれいだったら、透だってイチコロだし、他の男の子たちだって、お手玉みたいに扱えるかもしれないのにな……

「わたくしとあなた、外見を取り替えて、あなたのお友達をお迎えしましょうよ? そのときになったら、わたくしが教えてあげるから」

 イシュカの提案に、沙那子の顔が無邪気にパァと明るくなった。

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