第18話

 翔は先にのばした剣先に何かが当たるのを感じた。それは少し土と感触が違っていた。

 手で触れると、それは石板でなにやら動かせそうだった。静かに力を込め、石板をずらしていった。

 突然目の前が真っ白になり、瞳にチリチリと痛みが走った。暗闇に目が慣れ、ほんのちょっとの光に耐えられなくなっていたのだ。ようやく光にも慣れ、そっと目を開いた。

 クリスタルと紫水晶、トルコ石、恐ろしく大粒のブルーダイアモンドとピンクダイアモンド、オパールから琥珀、瑪瑙、アクアマリン、ブラッドルビー。名も知らぬありとあらゆる宝石や宝珠が床といわず壁、天井、柱に模様を形作りながらはめ込まれている。

 翔は一瞬心を奪われ、はっと我に返り、手にした板を眺める。石板よりも重たそうな宝石がびっしりと並んでいた。

 御殿としか言いようのない広間からは、どこからともなく金属と金属のぶつかりあう透き通った音色がインインと響いてくる。

 鉄琴? もっと澄んでいて、もっと内にこもる。ハンドベル? もっと軽やかで、もっと複雑な。曲を奏でるのでなく、無意味な音律を次々と生み出していく。

 宝石の歌声(と言えれば)に耳を澄ませながら、自分を取り巻く宝の山を眺めた。

 床の枡目はことごとく金で縁どられ、銀の鋲が打ってあった。その鋲さえも結局は飾りでしかないのだ。

 美しくはあるけれど、どことなく悪趣味だった。どこがどういうふうにとは、翔には説明できなかったが。

 翔は恐る恐る広間に立ち、呆然と回りを見巡らす。剣を両手にもち、よろよろとわけもわからず、まっすぐ続く広間のような回廊を突き進んでいった。

 まだ頭はぼんやりとかすみをかぶっているようだ。しかし、この助けがなかったなら、翔は恐怖にかきたてられ、我を失ってわめきながらこの回廊を走り回っていたことだろう。

 カツーン コツーン

 自分の足音が、鈴音のあいだからまじって顔をだした。息を殺し、物音を立てまいとしてもどこかで音を生み出してしまう。 回廊の両脇に、真珠の光沢をもつ彫像が立ち並んでいる。

 胸がドキリとしてしまうほど、それらはリアルでしかも美しかった。ルネッサンス期の肉体美を誇る芸術に似て、ほとんどが裸体か薄いケープをまとっているだけだった。そのケープさえも繊細な真珠でできていた。

 翔はあんぐりと口を開けたまま、それらから目が離せずにいた。もたもたと歩を進め、前方に人影があるのにまったく気がつかなかった。

「ようこそ」

 低く、美しい男の声に、翔は飛びあがらんばかりに驚いた。

 そちらに目を向けると、銀髪の肌の黒い男が漆黒のマントを肩に引っかけて立っていた。ホァロウと同じくらい背の高い男で、野性味のある顔はまるでイタリア人のようにセクシーな男の色気を醸し出している。一言ですませてしまえば、通俗的な美しさと言えよう。

 男はごうまんな笑みを浮かべ、優雅な身のこなしで翔に近寄ってきた。

 翔は無意識に退き、彫像に寄り掛かった。

「さて、呼び鈴の音はしなかったはずだが?」

 彼の声はひどく聞くものに良心の呵責を仰ぎ立てる気色をはらんでいる。

「召し使いはだれ一人として私を呼ばわりに来なかった……一体だれがここへ通したのだ?」

 翔には答えられなかった。たぶん、いつもならばここで一声叫んで暴れまくってしまうのだろうが、いまの翔にはその心配は皆無だった。

「人間がここを訪れるの果たして、何十年ぶりだろうか……」

 男は感慨深げに目をつぶり、指であごをまさぐる。

「またひとつ、ふむ」と、琥珀の瞳をひたと翔の顔のうえにとめ、

「かわいらしい彫像を増やすとするか」

 と、男は微笑んだ。それはおぞけの走る笑みだった。

 とんでもないことになってしまったと、いまさらながら翔は気付いた。目も当てられない惨劇が今から自分の身に起こるのだ。両手でその目を覆った。

 ふいにその手を男に捕らえられ、翔は悲鳴を漏らす。剣が素晴らしく騒々しい音を立てて床に倒れた。

「ははぁ……またちょっかいを出しおって……」

 男はさもおかしげにクックと笑う。妙に親しげに翔の肩を抱き、ささやいた。

「何が望みだ? なんなりと申してみよ……? もはや知らぬ仲ではないのだ」

 翔にはわけがわからなかった。無理に身をよじり男から離れる。声などでないと思っていた。しかし、意外なことに、落ち着いてしっかりとした言葉が口から漏れた。

「あなた、だれですか?」

 男は再び邪悪な笑みを浮かべ、

「だれだと思うか?」

 と反対に訊いてきた。男は左手を伸ばした。その指にすっぽりと銀とルビーの細工もののとがった爪がかぶさっている。男は意味ありげに翔の顔をそれでなぞり、ふいに力を込めて頬に突き刺した。

「あっ」と翔はのけ反り、恐怖をはらんだ目で男を見上げる。

「この音は何だとおもうか?」

 脈絡もなくたずねられ、翔は言葉を失ったまま呆然としていた。

 男は勝手に続けた。

「美しい音だろう? 人の欲望というものは、さも美しい音を出すものだ。この世のあらゆる場所で、大も小もなく、人間共の心に渦巻く欲という欲が、ここで私の耳をくすぐるのだ。

「この音が鳴りやむことなど決してあり得ない。この音色の一つにお前の心のうずきも聞き取れるぞ?」

「え!?」と翔は顔を引き攣らせる。透さえも知らない秘密をこの男は知っていると言うのか 

「人は己の本性も知らず、美しさを語ろうとする。美しさとはいったいなんぞや? おまえはここにあるものを美しいと思わないか? それが答えなのだ」

 男のゆったりした歩みにあわせて、いつしか翔も彼についていっている。一体どこへいこうというのか。翔にはわかりかねていた。

「もしかして……玄の神?」

 男は振り返り、

「いまごろわかったのか? 愚かものめ」

 と、冷たい笑みを投げかけた。その左手がさっと伸び、翔の首根をつかむ。うむも言わさず、玄の神は翔を引き寄せた。

 男の体からは蘭奢待の薫りがした。それは淫靡な薫りだった。

 翔はわけもわからず、どぎまぎと彼にしたがった。

 ビロードのマントになかば隠され、大きな扉の開く音がして、はじめてどこかの連れて来られたことを知った。

 部屋の内部は一部の透き間もないほど、獣毛に覆い尽くされていた。その真ンなかに細く短い三本の脚のついた浅い平底の水を張った丸い鉢が据えられ、そのわきに翔は座らされた。

「さぁ、その手に絡み付く毛はだれのものだ?」

 不思議なことにその名を翔は思い出せなかった。言いあぐねていると、玄の神ジェヌヴは納得したように笑う。

「私も嫌われたものだ……他のヤツらも私だけを嫌う。私は何もしていないのに? 一体なぜだろうか?」

 ジェヌヴは翔の背後に覆いかぶさるようにひざまずく。広げた脚のあいだに翔を包み込む。その両手が翔の柔らかな栗毛をなでつけ、ふと動きがとまった。

「今から千年ほどまえか……幼い金の神が異世界に誕生した。それはそれは愛らしくて、気丈で、わがままな神だったよ。小事によく我を忘れる愚かな子供だった。ちょうどおまえにそっくりだった……」

 ジェヌヴはなめるように語る。その口調は語るというより、むしろ言い聞かせているというほうがあっている。

「私には感じられる。おまえの力とその計り知れない潜在するものが。<金>はあの人間に手なずけられていて駄目だった。おまえはまだ無垢だ。何も知らない。だれも知らない。何にも・・」

 ジェヌヴの言葉の大部分を翔は聞き取れなかった。彼の指が自分のあらぬところへ移りゆき、尾てい骨から首筋へ、しびれ上がるような寒気が走った。

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