第13話

 翔は不安げに背後を何度も振り向いた。

 その様子を見て、ホァロウはくすりと笑った。

「心配?」

「だって……あんな態度はじめてだし、なにを怒ってるのか、ぼく、わからないんです」

 ホァロウの弾けるような笑いを聞いて、翔は驚いた。

「彼の機嫌はもう直ってると思うよ。ただふてくされてるのさ」

 翔はまた振り返った。

 自分の内部から、恐ろしいスピードで自分に向かってくるものがあるように思えた。それは静かに背後に立ち、瞬時に自分を飲み込んでしまうようなもの。透でしか、それを追い払ってくれる人はいないのだ。

 透がいなければ、ひとりでいられない。透がいなければ、沙那子を助けにはいけない。透がいて、沙那子がいるその関係は、自分にとって、運命的な三角関係なのだ。この均衡は決して崩してはならない。

 透……!

 翔は冷や汗を浮かべて、馬の首にしがみついた。

「こらー! もう少し、ゆっくりしてってもいいだろうがァ!」

 翔は弾かれたように顔を上げ、振り返った。

 馬を全速力で駆けさせる透の姿が目に入った。

 翔は強迫的な恐怖が跡形もなく消え去るのがわかった。

「ほらね?」

 ホァロウは翔の葛藤にも気付かず、彼のそばによって耳打ちした。

「さっきはわるかったな、けどな、今度から俺を無視して勝手に決めないでくれ」

 追いついた透はホァロウに念をおした。

 三頭の馬はギャロップのまま、不自然なほどくっきりとした白い道を進んでいった。

 この世界すべてが透と翔にとって不思議そのものではあったが、訊いてもその答えにかわり映えがあるとは思えなかった。景色はまったく変わらないように思えた。

 道じたい変だが、馬もおかしい。

 馬がギャロップを続けているかぎり、非常な速さで景色は移りゆく。立ち止まると景色はあわてて早送りになり、ピタリと停止した。

 透と翔はひそかにワープ馬と名付けた。

 はぐれたりはしないのか、とふたりは考えたが、どうやら馬どうしに牽引力があるらしく、遅れても先行する馬が引っ張ってくれる。そしたら、向かいから別の馬がきた場合、巻き込まないかなどの話になると、透と翔の手に負えなくなった。

「識別してるんだよ」

 ずっとふたりのワープ馬についての考察を聞きながら、ホァロウが助け舟を出した。

 馬ごときに仲間意識があるのか?

「違う違う、この馬たちは自分がなにものなのか知っているのさ。集団意識をもってるわけじゃない。だから、個人の取引に応じるだけの自意識をもってるのさ。ちなみにあたしの乗ってる馬の名前は……というらしいよ」

 ……の部分は聞き苦しいうめき声が入った。

「彼らもあたしたち同様、この世界の種族で村だってもってる。頭だって悪くないよ、実際」

「じゃあ、なんで家畜みたいに?」

「厳正なヒエラルキーのもと、彼らはあたしたちよりも弱いのさ。彼らもそのへんのことはわかりきってる」

 翔は愕然とする。

「奴隷制度って意味ですか?」

「奴隷って言われたらこのコたち激怒するだろうねぇ」 

 ホァロウはしみじみと言う。

「あんたの説明じゃ、よくわからねぇ」

 ホァロウは困った顔をして、透を見やる。

「ちゃんと説明してあげたような気がするんだけど。もしも、このコたちの力があたしよりも強ければ、あたしはこのコたちを背負って歩くだろうね。本当に力の強いものは支配されないものさ」

 かわり映えしない風景にも夕暮れは訪れる。日暮れて草原は赤く燃え立ち、三人を追いかけるようにラベンダーに染まっていく。

 道をゆっくりと進んでいくと、前方にこちらを伺っているリリックの姿が見えた。

 ホァロウの顔がとたんにほころび、馬から降りると馬から降りるとリリックに向かって駆け出した。

「ごくろうだったね!」

 リリックはピョンと彼の腕のなかに飛び込むと、心地よさげにキュキュキュと鳴いた。

「今日はここで野宿しよう。明日は夕方までのんびりして、それからジェヌヴのところへいこう」

 ホァロウはそれだけ言うと、さっさとキャンプの準備をしはじめた。

 ふたりは周囲を見渡したが、低い木立の林がまばらにあるだけで、目につく建造物はどこにも見当たらなかった。

 ホァロウの作った軽い夕食を取りながら、炉を囲み、透がたずねた。

「なんで朝じゃいけないの?」

「彼は夜活動するタイプでね、昼間は寝てるのさ」

「不健全な神様だな、神様でも眠くなるのかよ」

 透の言葉にホァロウは複雑な笑みを浮かべる。

「さ、約束を果たしに馬のところにいっておやり」

 ホァロウは透にブラシを渡すと片手を振って、ブツブツぼやく透を追い立てた。

「ジェヌヴって一体なんの神様なんですか?」

 その声にホァロウは翔のほうへ顔を向け、「一言忠告するとすれば、彼を信用しちゃいけない、ということだね。彼は欲望の神とも呼ばれているのさ。五人のなかじゃ、もしかすると一番やっかいなヤツかもしれない。そうだね、狡猾な蛇とでも言おうか……いやはや、蛇なんて言うと <青>が気を悪くするな」

 ホァロウはひとりごちて含み笑った。

 翔は一つだけ気になることを最後にと思い、たずねた。

「金の神は?」

 ホァロウは事もなげに、「狂気の神さ」と言った。

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