第8話
しばらく歩くと、ホァロウと似たような服装の壮年の男がランタンをもって出迎えた。
村の境界を示す高い柵をくぐりなかに入ると、外からは見えなかった照明がこうこうと村じゅうを照らしていた。
外からはこの村はさびれて小さく見えていたが、今はそれがうそだとわかった。
「これは単純なほうなのさ」
ホァロウは片目をつぶってみせた。
これが単純なら、複雑になると一体どうなるんだと翔と透は顔を見合わせる。
「なぁ? 魔法ってさァ、呪文を唱えないといけないんじゃないのかなぁ?」
透が眉をひそめてつぶやく。
「呪文?」
「そう」
「でも、あれってさ、マンガのなかの話じゃん。そんなこと言ってたらさ、なんでフェアリーとかいないんだよ?」
「わからん。俺たち、だまされとるんばい」
「何のためにだますんちゃ。だますんやったら、見せとると思うし、もっとおおげさとちがう?」
「なに? 呪文のこと?」
「そうそう」
ふたりは声をあわせて答えてから、ホァロウがいたことを思い出した。
「簡単に言うと、呪文が必要ないから。精神力だね。難しく言うと、すべてが魔法の媒体だから、原子にまで分解していちいち組み変えなくてもすむということ」
「わからん」透は憮然としてうなる。
「魔法が存在しない世界では、魔法というより物理的な力が働いてるということ。だから、ルーンが必要になる。エーテルが必要になる。事象の可能と不可能の限界が極めてわかりやすくなるということ」
「わからんん」ますます難解な説明に透は渋い顔付きになる。
「この世界の限界は個人の力だけ。すべてが魔法体だから、<永遠の荒野>みたいなのも存在できる。事象にはたいてい意味付けがされてないから、無秩序に見えることもあるね。秩序があるとすれば、力のバランスと運命くらいかなぁ?」
「で、なにが言いたかったんだよ?」
透がしかめっ面でホァロウをにらみつけた。
「あ、ここが今夜泊まるところ」
ホァロウは逃げるようにして、宿屋の扉を開いた。
宿屋の看板もなかったし、他にある家々とさして違わなかったが、ホァロウにはわかるらしい。
宿のなかは小ぎれいで、透が好んで読んでいるお軽いファンタジー小説に出てくる宿屋みたいないかがわしさはなかった。目付きの悪いごろつきもいなければ、色っぽいねーちゃんもいない。
明らかにガッカリした顔で食堂を見渡す透の様子に、透が何を期待していたかわかっていた翔は、声を押し殺して笑った。
一階の食堂のテーブルにのんびりとリリックがうずくまり、宿屋の主人から与えられた食べ物をもぐもぐやっていた。
ホァロウの姿に気付くと、キュキュキュキュと騒ぎはじめた。
ホァロウは大声でリリックを呼ぶと、両手を広げてリリックを抱きとめた。リリックはしきりに鳴きさざめいている。
「なに? ああ、そうかい、ははぁ、そりゃすごいね。あ、それで。おまえもだいぶん慣れたみたいだねぇ。そりゃ、もちろん。なんだい、そんなこと言っちゃだめだよ。そりゃそうだけどね」
「おっさん、なにブツブツ言ってんだよ?」
「ああ、リリックのおしゃべりを聞いてあげてたんだよ」
透は眉つばな返事に疑わしげな目を向け、「もしかして、ムツゴローなんか、あんたは」
翔はあわてて透の腕を引っ張り、苦笑った。
「気にしないでください。あの、透はあなたに動物が好きなんですねって、言いたかったんです」
「動物マニアなんじゃないのかよ? ヘッ、気持ち悪ィやつだな。いい年したおっさんが、よくまぁ、動物さんとおしゃべりなんかしてられるな」
「透、もうやめてよ」
翔は困ってしまって、ホァロウと透の顔を交互に見た。
透の青い火花は、ホァロウの穏やかな笑顔のまえで力をなくしていたが、翔にとっては気が気ではなかった。
「ま、彼も疲れてるのさ、二階に部屋を用意してるらしいし」
「ちょっと、まてよ。腹が減ってんだよ。忘れてた」
休戦を申し出て、透と翔は出された野菜のシチューを食べてから、二階の部屋へ上がっていった。
二階の部屋は窓際の壁にログのシンプルなベッドが縦に据えられ、扉のすぐ横に三つ目のベッドが並べてあった。
そのベッドにホァロウは長々と寝そべっていた。
180cm以上の背を無理にベッドに押し込め、頬づえをつき、片手で胸元に丸まっているリリックを愛撫していた。
透は黄ばんだ学ランとカバンをベッドに放り、勢いよく座った。
ガツッと鈍い音がして、透は声にならない苦痛をかみ殺してかがみこんだ。
ベッドには敷板一枚に比較的柔らかな麻布が敷いてあるだけだった。
「壊しちゃだめだよ」
「うるせぇなっ!」
翔は学ランを控えめにはたくときれいにたたみ、枕元(枕はなかったが)においた。カバンはベッドのしたに押し込んだ。
「でも、ホッとするね」
翔の言葉に透は興奮した鼻息を静めた。
「とんでもない一日だったもんなぁ」
そして、憎々しげにベッドをたたき、つぶやいた。
「ババァが奨励してた健康的な堅い布団がこんなところで利用されてるとは思わなかったね」
翔はふっと遠い目をすると言った。
「六道さん、ベッドで寝かせてもらってるかな……」
「あいつやったら、だれが相手だろーと、なに、これ? あたしは繊細な女の子なのよー? 牛や馬とは違うんですからねっ! なんでワラなんかで寝なくちゃいけないのよっ! ベッド、もってきなさいっ! 布団は羽毛よ! 羽毛がフワフワなのよ! 羽毛の布団と枕もってこなかったら一晩中わめいてやるから!」
聞き苦しい裏声を連発して、透のバイ沙那子の意見は終わった。それを我慢強く聞いていた翔がムッとした顔付きで、「六道さんはそんなこと言わないよ。いまごろ、泣いてるんじゃないかな……イシュカやっつけて、早く六道さん、取り戻さないと」
「イシュカにさらわれたんなら、それはちょっと難しいね」
翔は深刻そうに目元を歪め、「じゃあ、六道さん、助けられないんですか?」
「いやいや、そうあっさりと結論を出してもしようがない。イシュカは、そうすればすぐにでも金の神が来てくれると考えてるのじゃないのかな」
「結局、金の神でないとダメってゆーことか」
透が言う。彼は腕を組んでベッドに腰掛け、壁にもたれていた。
ホァロウは自分のベッドに横になり、腕枕をしてふたりを眺めていた。
「じゃ、ふたりで行くしかないな。俺だったら、おまえをおいていくわけにはいけないし、おまえだったら、俺はなにがあってもついていく」
「あたしもお供しましょうか?」
透が意固地になって助力を求めないつもりでいるのを知っていて、ホァロウはおもしろがって申し出た。
透はキッとホァロウをにらみつけた。
「あ、そうそう、あの剣、元に戻しとこう。ついでに魔法もほどこすから」
座ったまま動こうとしない透の代わりに、翔が透の剣を取り、ホァロウに渡した。
「君のもね」
剣先をしたにして、ふたりの剣を両手にもった。ホァロウがペラペラの透の剣をゆらすと、いつの間にか鋼鉄の剣に戻っていた。ホァロウが再び両手の剣のつかを握り締めると、剣はしだいに青白く発光し、カッと強く輝いた。
ホァロウはふたりに剣を手渡し、「魔法を跳ね返すから、もう、あんなふうにはならないよ」と、透に向かってニヤリと笑った。
透は何も言わずに剣を引ったくり、無造作に自分のわきにおいた。
「それで、ぼくたちどうすればいいのかな」
翔は自分の剣の平を眺めながら、頼りなげにつぶやいた。
「まずはジェヌヴのところへ行ってみようか」
ホァロウは大きなあくびをひとつして、翔が聞き返すのも無視して眠ってしまった。
「あーゆーヤツってことは、俺にはわかってた」
透はぶっきらぼうにつぶやくと、ゴロンと横になり、眠る準備にかかってしまった。
静かな寝息が聞こえはじめて、翔はベッドから立ち上がり、窓の掛け金を外して、小さく開いた。
薄気味悪いくらいになんの物音もなく、空気の張りつめた静けさだけが耳に忍び込んでくる。外の風は肌寒く、部屋のなかは火の気もないのに暖かだった。
翔は自分の元の世界が自分をつなぎとめておけるほどの力をもっていないのはわかっていたが、軽い喪失感に涙が出てきた。
「大丈夫だよ、俺がついてるから」
はっとして振り向くと、透がじっと翔を見つめていた。
「おまえってさ、心配症なんだなぁ……根が暗いんだな。あんまりそんなことばっかり考えてると、頭腐るぞ。もう寝ろよ、寝ろ寝ろ! ヤなことはあした考えろ、あしたでも遅くないだろ?」
翔は苦笑うと、自分のベッドに寝転び、ギュッと目をつぶった。
透は静かになった翔を見届けると、今度はホァロウに視線を移した。
ホァロウは静かな寝息をたてて、ぐっすりとリリックと眠っている。
うさん臭い。
都合よく、あんなところに立っていたということからして、うさん臭い。
翔はよくもこんな素性の知れないヤツを信用している。翔が信じている限り、あくまで自分も一歩か二歩は譲歩しないといけないかもしれない。
透はうんざりしたようにゲーッと顔をしかめた。
翔は人間嫌いなくせに人にだまされやすい。たいていの人を良い人と思い込もうとして、いつも傷ついている。彼のショックは自分がクッションになって和らげないといけない。
そこまで考えると、どっと疲れが押し寄せてきて、透はあっという間にいびきをかきはじめていた。
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