第7話

 連星太陽が照りつけてくるが、汗ばむこともなく、白夜のようにいつまでも沈むことがなかった。

 ここが北極点なのかも方位磁石が狂っている限りわかりようもない。

 風は相変わらず節操もなく四方八方から吹き続け、翔はあのときどうやってかつかんだ冷たい風も今では感じ取れずにいた。雲はなく、青々と晴れ渡っている。

 不思議なことに歩き疲れるということはなかった。ただ、気力がそげ落ちていき、しだいに救いようのない失望が湧き出てきはじめた。

 とっくに翔はこの思いに取り憑かれ、暗い顔をして透の横を歩いている。

 透でさえも口数が少なくなり、冗談もおふざけも言えなくなっていた。

 立ち止まる気もせず、黙々と歩き続けるだけ。

 突然、翔の腕に抱かれていたチワワもどきがウキュキュと飛び出し、前方へ駆けていってしまった。

 裏切られたような気分になって、翔の手が小さな生き物を求めて空をかき、短い悲鳴を漏らした。

「おーい!」

 透ははっとして目を凝らす。

「おーい、そこのふたり!」

 遠くに人が立っていて手を振っている。

 透は助かったとばかりに、泣いている翔の肩をつかんで、呼びかける人影のほうへ走っていった。

 鮮やかな赤毛が黄色い景色に映え、ひょろりと背の高い痩せた男が立っていた。ひざ丈の緑色のチュニックを着て、腰には赤い帯を巻いている。白い足は裸足だった。

 整った細面長で、眠たげな目をしている。

 男の足元にチワワもどきがまとわりつき、うれしそうに鳴き騒いでいる。

「命拾いしたね」

「は?」

 透は聞き返した。

「さ、ここからが結界だから、こっちにおいで」

 透はいぶかしげに男をにらみ、翔をかばうように退いた。

「あんた、何モン?」

 透の問いに男は軽快に笑った。

「通りすがりのものさ、あたしゃ、そっちにあまり入りたくないんでね、できれば君たちがこっちに来てくれるとうれしいのさ」

 透は疑わしげに男のほうへ歩いた。そして、男の横に立ったと思った瞬間、辺りは真っ暗になり、ゾッと凍えるほど肌寒くなった。

 キツネにつままれた思いで、透は男を見上げる。翔も我に返り、理由のわからない涙に驚いていた。

 パニックを起こそうにもわけがわからなく、茫然としているふたりに、

「君たち見かけない顔だね? ここいらは危ないって聞いてなかったのかい?」

 と男は眉を吊り上げ、チワワもどきを抱き上げた。

 透と翔は同時に背後を振り返った。

 灰色のスクリーンがかかった薄暗い荒野が不自然に存在していた。スクリーンは狭く、そのわきには夜の光りに照らされて黒々と生い茂る樹々が覆いかぶさっていた。

 三人は森の入り口に立っていた。

 そして、空には激しく瞬く星がかかり、カビ色の巨大な惑星が恐ろしくはっきりと夜空の大部分を占めていた。

「おや、ああ、そうか、君たち迷い子か。じゃ、疲れたろう? 近くに村がある。一緒に行こう」

 ふたりは言われるままに男についていった。

 ようやく落ち着きを取り戻した透が口を開いた。

「あのー、さっきのあれはなんだったんですか?」

 男はにこやかに透を見下ろし、手のなかの小動物をなでつける。

「<永遠の荒野>……入ると二度と出られない。方向も分からず、水もなければ動物もいない。時間も存在しない。次元のひずみだよ」

 透は「?」な顔つきで生返事をする。

「すみません、その動物、一体なんちゆう動物なんですか?」

 翔は気持ち良さげに男の手のなかに収まっている動物に、すっかり愛着を抱いていた。

 翔に気付いたチワワもどきがキュキュキュと激しく鳴きはじめる。男はその様子に、はたからわかるくらい相好を崩し、説明した。

「このコはカプリコーン。地下に住んでる。あたしとは顔見知りでね、仕事を手伝ってもらってたのさ」

「仕事?」

 男はただ笑っていった。

「もう済んだけどね」

「助けてもらっといてなんですけど、あなたどういう人ですか?」

 透は一番聞かねばならない質問を切り出した。

「あたしはホァロウ。通りすがりの人。カプリコーンのリリックの友人で、君たちを助けた人」

 ホァロウの返事に透は顔をしかめる。

「確かにそうなんやけど……なら、ここは一体どこなんですか?」

 翔も尻馬に乗り、声を合わせた。

「ぼくもそれが知りたい」

「迷い子は必ずそれを訊く。理解できたためしはついぞなかったけどね。君たち、自分で物分かりのいいほうだと思うかい?」

「もちろん!」

 大声で答えたのは透だった。翔は自信なさそうに苦笑って見せた。

「わかりやすく言うと、ここはマシュラリアンという世界」

「それはあのクソ女が言ってたから、知ってます」

 透がすかさず水をさす。

「ああ、そ。で、魔法の存在する世界なんだよ。魔法というか、物理的な力よりも精神的な力が強いんだね。ところで、魔法は使える?」

 透と翔のしかめ面を見て、ホァロウは寛大なため息をつく。

「ここはね、魔法がつかえて当たり前の世界なんだよ」

 透も翔もお互いに顔を見合わせ、こそこそと、

「なんか、続けざまに信じられないことが起こってるよな」

 と透が言った。

「ぼくは最初から信じられないねって言ってたじゃないか」

「魔法とか、おまえ、信じる?」

「幽霊も信じないぼくがそんなこと信じると思う?」

「いーや」

 ふたりがひそひそ話し合っていると、頭上からホァロウが覗き込んだ。

「うーん……じゃ、ふたりとも魔力はもってないってことだね」

「なんかそれで困ったことがあるんですか?」 

 翔は不安になってたずねた。

「別に今のところは……ただ身を守るすべがないな、と思ってね」

 透は内心自信もぐらつきかけていたが、きばるように叫んだ。

「いや、あるぞ!」と剣を上へ差し上げた。

「これさえあれば、大丈夫だ!」

 ホァロウが人差し指を振った。そのとたん、透の剣がヒラヒラと紙の剣になって彼の手のなかで垂れ下がった。

 透は口を開けたまま愕然となって、ペラペラの剣を凝視した。

「そういうことね」

 ホァロウの言葉に透の顔が真っ赤になっていくのが夜道でも翔には見て取れた。

「別にホァロウさんには悪気があったわけじゃないよ、ちょっとした忠告だったんよ」

 翔はあわてて透をなだめた。

 透は深く息をつき、ジロリとホァロウをにらんだ。

「ご忠告ありがとう。そーゆーわけでボクたち、あんたのゆーとーり危険に身をさらされてるわけだけど……だからって剣をこんなふうにされて! はい、ありがとうなんて! ヘラヘラ笑える気分じゃないんだよ! 人に忠告するのはいいけどな! 中途半端なご親切ならやめてくれないか!」

 一句一句切りながら、透は怒りを吐き出した。

 ホァロウは目を白黒させて透を見下ろしていたが、だんだんとニヤニヤ笑い出した。

「それじゃ、最後までご親切にいたしましょうか?」

 その言葉でまたも透は顔をムッと赤らめた。

 むっつりと黙ってしまった透を放って、翔は自分たちがここに来てしまったわけをホァロウに話した。

 ホァロウの人柄は、透が感じているほどには悪くないと判断したからだ。状況に溶け込むのは透のほうが早いが、人間を読むのは翔のほうが素早かった。

「ハハァ……イシュカがねぇ……」

 ホァロウの声には親しみがこもっていた。

「確かに今のところ、マシュラリアンはイシュカが支配しているようなもんだが、彼女は代行者だからね」

「代行?」

 翔は聞き返す。

「そう、百年もまえになるけど、金の神がこの世界を支配していた。ちょっとした対立が原因で、彼はいきなりこの世界を捨てちゃってねぇ。彼の父君も同じことしたっけか……ま、そういう血統なんだろうね。で、君たちのどちらかが金の神だとか言われたわけね」

 翔はうなずく。

「じゃ、イシュカは正当に金の神の力を受け継ぎたいんだな……一応、娘だし」

「一応?」

 ホァロウはしかつめらしい顔をして、ソッとささやく。

「彼女、人間なんだ……<金>はある男が好きでね、うり二つの人間の子供をさらってきて、自分の娘にしたっていう話なんだよ」

 翔は嫌悪丸だしの顔で、つぶやいた。

「悪趣味ですね」

 ホァロウはおもしろげに眉を吊り上げた。

「そうね、あたしもそう思うよ。だけど、もっと悪趣味なヤツはゴマンといるさ。ただ<金>はいたずらがすぎるっていうだけだね」

 翔はこうも親しげに神の話をするホァロウを見つめ、この人は一体なにものなのだろうと思った。

「俺たちふたりのどっちかがホモっていうわけね」

 不機嫌な声で透がうなった。

「ホァロウさんは……」と翔が言い出すのをホァロウは指で遮り、

「ホァロウとお呼びください」

 と、片目をつぶった。

「ホァロウ、お仕事は何をしてるんですか?」

「仕事? うーん……あたし、何か仕事をしてないといけないのかね?」

 真顔で切り返され、翔は答えに困った。

「えー……別に」

「プーだよ、プー」

 透がチャチャを入れる。

「プー?」

 ホァロウは不思議そうな顔をして、透を見つめる。

「えーと……プータローって言ったって、わからないよねぇ……うー……風来坊?」

「おまえも古い死語をよくまぁ覚えてんな」

「風来坊。ホォ、意味は?」

「物乞いだよ、物乞い」

 透の合いの手もしだいに慣れたものになっていく。

「仕事のない人のことです」

 翔はすまなそうに訂正した。

「ところで、いつになったら村に着くんだよ」

 透がブーブー文句をたれはじめた。

「もうすぐ」

 ホァロウがひらひらと指さすだいぶん先にポッポッと灯火が見えた。

「あの明かりは旅人を受け入れるという証明みたいなものでね、あれのない村に行ったりしたら、それこそ死ぬ目にあうんだよ」

 あっけらかんとホァロウは説明した。

「リリック行っといで」

 ホァロウは小さな友人を地に降ろし、先に行って村人に迎えにきてくれるようにことづけた。

 暗がりのなかリリックは素早く見えなくなった。

「あれは先鋒役を務めるのが好きでね、よくやらすんだよ」

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