第2話
車の多い国道沿いの歩道を、沙那子を真ンなかにして翔が車道側を、歩幅の短い沙那子にあわせて、テクテクとバス停まで歩いていく。
いつもなら、無条件で寄ったりするお好み焼き屋もうどん屋も、珍しく素通りして、あと三分で来るバスに間に合うようにバス停へ向かっていた。
「そーだ、じゃあさ、勉強会しよう。これなら、透だってツッコメないでしょ? あたしは、だいたい何を落としてるか、わかってるしね!」
エッヘンと胸を張る沙那子の頭を、透は「バカか」と軽くこづいた。
「翔がおまえのこと、あきれた目で見てるぞ」
「あきれてなんか、ないよねー?」
「う、うん」
バス停の停車バス標示板には、まだバスが来るマークが出ていなかった。
「でも、いい考えかも。だれンちでやるの?」
翔は二人を見た。
翔は母方の伯父さんの家に居候させてもらってる身なので、友人を呼んだりはできなかった。
沙那子の家でもいいが、年頃の娘の部屋に、いくら仲良しだとしても男が二人もドカドカ入っていくのは、なんとなく避けたい。
「じゃ、俺ンちか……いいよ、どうせ、ジジババだけだし、コブ茶くらいだったら出してくれるだろ」
透は母方の祖父母に育てられた。透の両親は、彼が赤ン坊のころに事故死したと祖父母から聞いていた。
翔と透が仲よくなったのもそんな家庭内の事情のせいからかも知れない。
「いつ、来る?」
バスのマークが点滅しはじめた。
「日曜以外なら、いつでもいいけど」
翔はそう言いながら、バスの来る方角を眺めた。
「六道さんは?」
振り返って沙那子を見た翔と透は愕然となった。
巨大な六角水晶が地面につき出て、すっぽりと沙那子を包み込んでいたのだ。
ぼうぜんと立ちすくむ二人の横にバスが停まり、この異変に全く気付かないのか、プシューと扉を閉めて、いってしまった。
「うそだろ……おい」
透はつぶやいた。
沙那子は今にも何か言おうと口を開けたまま、水晶の中に閉じ込められている。
「透っ! これ、これどうなってんの!? どういうことなの!?」
翔の顔は紙切れのように白くなり、引きつけを起こしそうな声で翔は透の腕を引っつかんで、叫んだ。
透は青ざめて、水晶をしたからうえへとねめ上げた。
彼はキツネ顔をひきつらせていたが、すぐにキッと目元を引き締め、自分の腕にしがみつき、うろたえている翔の顔を数回たたいた。
「落ち着け! 俺にもよく分からん。なにが起こったのか、俺にだって分かるか!」
「ンでは、わたくしがそれにコンセツテーネー、おこたえ申し上げましょー」
若い女の声がして、揉み合っていた二人はハタと水晶のほうを振り返った。
「沙那子!」
「六道さん!」
水晶のまえに、灰色の顔と墨色の髪の沙那子が立っていた。
しかし、セーラー服ではなく、大事なところだけを申しわけていどにかくしただけの悩殺的な格好。ネコのように縦に鋭い虹彩。パールグレーの瞳が光っている。
「ブーッ!! ハズレでございまァす。ホレ、その女はそちらに。わたくしはその形を借りただけでございます。こっちとあっちでは装いを変えるのが、レディーのたしなみというものでございますから」
沙那子は依然として水晶のなかに立ちすくんでいた。
「うわーッ!!」
翔がふいに獣じみた叫び声を上げ、沙那子もどきの首をつかんだ。
あまりの急なふるまいにあっさりと灰色女は首を絞められ、バタバタともがく。
「ヤケはおよしになってくださいませー!! わたくしをシメてもこの女は取り戻せませんですわよー……!」
血相の変わった翔を見て、透はあわてて彼のわきを取り、灰色女から引きはがそうとする。
「やめろッ! なんか、おかしい! 様子を見るんだ!」
「なんだよ! 透は、六道さん、こんなふうにされて、黙って見てろっていうのかよ!!」
翔は灰色女の首を絞めたまま、ガクガクゆさぶった。
灰色女はそろそろキュッといってしまってもおかしくないはずなのに、平然と首を絞められ続けている。
もともといたずらっぽい大きな目をした沙那子の目が、軽蔑のまなざしに歪められ、聞いたら絶対腹を立ててしまいかねない声音で、ベラベラ言いつのった。
「アー、ムダムダ、ムダでございます。わたくし、ナッカナカ死にはいたしませんです。それにこれはわたくしのしたことではございません。再度申し上げますけども、ブーッでございますわね。だいたいわたくしの話を聞いてから、気に食わなければ首を絞めるなり、わたくしの言うとおりにしてくださるなり、いかようにもできますはずですわよね。さて、なぜ、わたくしがこのお仕事を引き受けたかと申しますと……」
(ちょっと中断)
「この女、なにいってんだァ……?」と透。
「……」とまだ興奮している翔。
「翔、なんか、この女、死にそうにないな」と透。
「うん……」と翔。
(それでは再開)
「……わたくしが敬愛し、崇拝し、畏怖申し上げておりますイシュカ様からのご命令なのでございます。イシュカ様はそれはもう愛らしくて、神秘的で、カリスマ的で、しとやかでしなやかでたおやかであでやかで、アァッ、この世に飾り立てられるだけの美しい言葉があるとすれば、すべてこの方に……」
「翔、キュッと締めてみろよ」
「こう……?」
灰色女の声は見る見るうちに細くなっていき、しまいにはタテ笛みたいな音を口から吹き鳴らしていた。
「おまえ、気色悪くないんか?」
翔は困ったように眉をしかめ、
「ちょっと……」
と言って、手を放した。
「プッヒャー!! もー! レディーを扱うときは、もっと優しくなさいと教えていただかなかったんですか!」
灰色女は喉元をさすりながら、不機嫌そうに言った。
コンコン
「すっげー硬そー」
透はわけの分からない灰色女のことは無視して、翔と肩を並べて水晶の回りを調べた。
「なぁ、透がやってるゲームのクリスタルにそっくりじゃない?」
「こんなのあったっけ?」
「ちょっとちょっと、おふたりさん、わたくしのお話しを最後まで聞かずと、なにをしてるのでございますか」
「息とかできるのかなー?」
透は水晶に顔を押し付けた。
灰色女はますます不機嫌そうに腕を組み、プゥと頬をふくらませる。
翔は彼女の様子が気になって、チラリと後ろを伺い見た。
彼女の体の回りを空気がゆらゆらと揺らめき、何重ものオーラを放っている。
「と、透……」
翔は透の背中をたたいて、灰色女を指さした。
彼女は今や地球の引力を無視して、宙に浮かんでいた。
「これは大変まじめなお話しなのでございます。少々おしゃべりが過ぎましたわ。改めて自己紹介いたします。わたくし、ダークエルフの黒のタカと申し上げます。あなた方の世界の裏にある世界のうちのひとつ、マシュラリアンから参上いたしました。このたびのこのようなぶしつけなお出迎え、まことに申しわけなく思っている所存にございますが、どうぞ、ご容赦くださりませ」
黒のタカはうやうやしく頭を下げた。
「ヘンな敬語……」
透はうんざりした顔でつぶやいた。
しかし、翔にはそれだけでは納得がいかなかった。透のように、すんなりとこの世界、黒のタカの言うことを受け入れられるだけの心の余裕がなかった。
翔は水晶のなかの沙那子を指さし、
「六道さん、こんなふうにされて、なにがわかるんだよ!! おまえ、なに言ってんだよ! マ、マシュなんとかって、なんなんだよ!? お出迎えって、なんのことなんだよ!? なんで、透はこんなヘンな言い草、平気で聞いてられんだよ!? ぼ、ぼくには理解できないよ! 六道さん、一体どうなったのかもわからないじゃんかッ……なんか、言ってやれよッ!! 腹立たないの!? なぁ、なぁ……!?」
とうろたえて、透の肩をつかんだまま激しく揺さぶった。
「うるさーいっ!! 落ち着けよ! 翔、わけ分からねぇのも今のうちなんかも知れねぇだろが? 落ち着いて、このヘンな女のいってること、聞いとこーぜ」
透は自制心を失いかけている友人の手首をつかみ、たたみかけるように言いきかせた。
「ご相談、終わりましたでございましょうかァ? ン、ン……!」
黒のタカはかわいらしく咳ばらいをし、
「では、わが主人の統べる世界……マシュラリアン界へ、ご招待申し上げます」
足元が突然地割れしたように揺れた。
周囲に眩い光が満ち、風を切る音が肌のうえに取り巻いた。
翔は透にしがみつき、悲鳴を上げた。
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