決断


           *


 ガルサロスの洞窟。透けた壁の前で、ギョロギョロとした両目が不気味に光っていた。


 眼前には、海聖ザナクレク、ラシード……そして、イルナス皇太子が立っていた。


「ククク……」


 魔軍総統ギリシアは、頬を撫でながら恍惚の表情を浮かべる。彼の魔杖『千里ノ霧せんりのきり』は、両目を分離して、あらゆる場所に飛ばすことができる。


 魔軍総統ギリシアの身体は、別の部屋に待機している。そして、そこには反帝国連合軍のトップ級も臨戦体制で待ち構えている。


 もはや、いつでも突入ができる状態だ。


「あっはぁん……まったくぅ、海聖ザナクレクも、意地が悪いわねぇ」


 痩せ型の男は、一人、ブツブツと不気味な笑顔を浮かべてつぶやく。大金貨120万枚なんて、法外中の法外。


 あの海賊は、完全にもて遊んでいるのだ。


 反帝国連合国側が提示した額も大金貨10万枚。イルナス皇太子が同額を提示してきたのには驚いたが、それではダメなのだ。


 イルナス皇太子を味方するということは、それ以上のリスクを負わなくてはいけない。


 少なくとも20万枚は、積まないと交渉の土台には乗らないだろう。


「まだ、突入しないのかい?」


 凱国ケルローの副団長ダルシア=リゼルが尋ねる。彼女は、長身で屈強な女戦士であり、双槍型の魔杖『雌雄ノ竜槍しゆうのりゅうそう』を携えている。


「ククク……慌てない慌てない。もうちょっと見守ろうじゃないの」

「余裕なのもいいけどねぇ、あんまりもたもたしてると、また、足元を掬われるわよ」

「……まあ、忠告は覚えておくわ」


 魔軍総統ギリシアがそう答えながら、頭の回らない女戦士に苛立ちを覚える。


 海聖ザナクレクの機嫌を損ねてはまずい。そんなこともわからないのか。


 この場にいるのは、凱国ケルローの副団長ダルシア=リゼル。食国レストラルの宰相トメイト=パスタ。砂国ルビナの竜騎ドラグーン団団長ハンフリー=ミンツ。


 魔軍総統ギリシアの右腕である霧軍の首領ヘルーメ=ツターンも、大陸トップ級に迫る実力を持つと言われている。


 こちらは大陸のトップ級3人。霧軍の手練れも相当数いる。こちらの優位は確定的だが、2対3では番狂せが起きないとも限らない。まあ……足りなければ、どこかのタイミングでお代わりをすればいい。


「あはぁん……ぅん……こぉ……」


 魔軍総統ギリシアは、あらためて、己の無敵の能力に酔いしれる。自分は、どんな場所でも自由自在に移動させることができる。どんなに最強の魔法使いでも、その場にいなければ役立たずと同じ。


 自分こそが、大陸において最も影響力を持つ魔法使いなのだ。これほどの能力が大陸に存在するか? いやない。


 自分がいなければ、コイツらは、あの場に突入することすらできないのだ。なのに、どいつもこいつも、口ばかりで何もできない脳筋の無能ばかり……本当に嫌になる。


「まあ、クライマックスを待ちましょう」


 海聖ザナクレクは、恐らく、値段を釣り上げようとしているのだろう。これは、イルナス皇太子に対してでなく、反帝国連合国に対するアピールだ。


 案の定、イルナスは取り乱した様子を見せながら説得をしようとする。


「こんな額は法外だ! 絶対に払えない! せめて、11万……いや、12万枚……」

「肝っ玉の小さいヤツだな。それじゃ、10分の1じゃねぇか! 大金貨120万枚! ビタ一文まけられねぇ!」

「そ、そんな……」


 イルナス皇太子は、愕然としながら下を向く。


「クク……クククク……あはははははははっ! ほーんとうに、哀れなこと!」


 魔軍総統ギリシアは、大笑いしながら、地べたに転がり回る。イルナス皇太子を捕まえれば、あのヘーゼン=ハイムの処刑も決まる。ついでに、エヴィルダース皇子の処刑もーー


「ンククククっ……まあ、さすがに皇帝の息子だから、殺されはしないか」


 だが、失脚することは確定的だ。そうなれば、反帝国連合国が推しているドナナ皇子が皇帝となる芽も出てくる。


 そして。


 あの……忌々しき男が処刑……ヘーゼン=ハイムが……処刑。


「ぃ……まぁ……らっちぉ……ウホホホホホホ、ウホ、ウホ、ウホホハヒホホホホホホホホッ!」


 魔軍総統ギリシアは、なおも、腹を抱えて転げ回る。あれだけ大口を叩いて、自分を奴隷にするなど嘯いていた男が、目論見を潰されて、むざむざ殺されてしまうのだから。


 本当に哀れなゴミだ……ヘーゼン=ハイムという男は。


「ふん……気持ち悪い男だな。イルナス皇太子は童子の不能者にも関わらず、五聖である海聖ザナクレクに交渉をかけているのだろう? 勇敢で、気概のある皇太子ではないか」


 竜騎兵ドラグーン団団長のハンフリーが、軽蔑した眼差しを向けてくる。だが、魔軍総統ギリシアには、それが滑稽にしか思わない。


「ああ、あんたは猛烈な脳筋バカだものね。他に選択肢がなくて、泣いて縋ってるだけじゃない。バカなんですか? ああ、バカなのよね」

「……」

「あら、黙っちゃったわね」


 魔軍総統ギリシアは、不気味な笑顔でつぶやく。コイツらも、所詮は無能だ。自分の移動能力がなければ、何もできないのがわかっているのだ。


「ククク……さて、最高の観劇のクライマックスを見ましょうか」


 勝ち誇ったようにつぶやくいて、遠隔で飛ばしている両目をギョロリとイルナス皇太子に向ける。


 すでに、白髪の海賊は、その場で膝を崩して座っている金髪の童子を見下ろしている。


「なんだ……もう、お終いか? テメェのカードはもうねぇのか?」

「……」

「けっ! つまんねぇ野郎だな」


 海聖ザナクレクは失望したように大きなため息をついて、手をパンと叩く。


 そして。


「野郎ども! 交渉は終ぇだ!」


 そう叫んだ瞬間。


 パアッと瞬い光が上がり、部屋中を包み込む。








































「んあんぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっああっ!」


 魔軍総統ギリシアは、網膜が焼け爛れるような感触に包まれた。

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