交渉(1)


           *


 数日後。イルナスとラシードは、ダザナス森林にあるガルサロスの洞窟に到着した。奥には暗闇がどこまでも広がっていて先が見えない。


「ここで、海聖ザナクレクが待っているのか」


 イルナスはゴクリと喉を鳴らす。


 リィアットから聞いた話では、洞窟の中は、かなり深く入り組んでいる天然の迷路だそうだ。入り口には鴉が巣を作っており、人の出入りがあまり多くは無さそうだ。


「ラシード、どう思う?」

「まあ、罠は張りやすいな」

「……」


 イルナスも同じように思った。洞窟にしては、規模がかなり大きいが、それでも空間は限定されている。待ち伏せなどされれば、逃げるのはかなり難しい気がする。


「どうする?」

「……行こう」


 少し考えた末に、イルナスは洞窟へと足を踏み入れる。どの道、このままでは反帝国連合軍に捕まる。リスクを承知で前に進むしかない。


「はっは! いい度胸だ」


 ラシードは、快活に笑って後をついていく。


 洞窟の中は、ヒンヤリと冷たい空気が流れていた。松明をつけると、入り口の鴉が外へ出て行く。中には、蝙蝠が不気味な赤い瞳でこちらを見ている。


「……」


 十数分ほど歩くと、そこには大きな空洞があり、そこに、一人の男が立っていた。黒縁眼鏡の痩せ型の男だ。


「イルナス皇太子殿下とラシードさんですか?」

「……はい」

「ドレスクと言います。ここからは、私が案内させていただきます」

「……よろしくお願いします」

「……」


 男は表情を変えずに、淡々と先導をする。海聖ザナクレクの部下なのだろうが、海賊らしい粗雑さがない。どちらかと言うと、上品な貴族という感じだ。


 そして、さらに進むこと5分。その間、幾つもの分岐があった。すでに、ラシードは帰り道を覚えるのを、あきらめたらしい。


「どこまで行くんですか?」

「まだです」


 黒縁眼鏡の男は、淡々と答える。


「……」


 意図的に複雑な経路を歩かせていると、イルナスは感じた。道順はまだ覚えてられている。時折、気づかれないように目印もつけているが、魔法などの罠も駆使されたらわからない。


「……」


 更に10分ほど歩くと、そこに光が見えてきた。そこには、大きな机と無数の椅子が置いてあった。海賊たちも多くいた。若干、生活感があるので、恐らく、ここが海賊の根城なのだろう。


 そして、その中心に。


 屈強な白髪の海賊が、ふんぞり返った座っていた。見た目と態度もだが、その強大な威圧感から、この老人が海聖ザナクレクなのだと確信した。


「おお! テメェがイルナス皇太子か?」

「はい。初めまして」

「本当にちっちぇんだな!」


 白髪の海賊は、無遠慮に粗暴に言い放つ。その強い言葉1つ1つに、心は怯みそうになるが、それを見せる訳にはいかない。


 イルナスはニコリと微笑んで頷く。


「はい。今日は、交渉の機会を与えてもらいありがとうございます」

「交渉? はっ!」


 海聖ザナクレクは鼻で笑う。童子が小癪にも、という印象を与えただろうか。もしくは、演技か。どの道、一筋縄ではいかない相手だとはわかった。


「んで? テメェが元竜騎ドラグーン団団長のラシードか?」

「ああ。俺からも1つ質問いいか?」


 褐色の剣士は、神妙な表情で尋ねる。


「なんだ?」

「それは、酒か?」

「……」

「……」


          ・・・


「ぶぁっはっはっ! いや、いい飲みっぷりだね兄ちゃん」

「ハッハッハッハッ! いい酒だなおい! こんなもんを海賊は毎日飲んでやがるのか!? 最高じゃねぇか!」

「……」


 数分後、酒盛りが始まった。どうやら、かなり気が合いそうだ。ホッとしつつも、もしかしたら、本題を忘れてしまうじゃないだろうかと少し心配にもなってくる。


          ・・・


 数時間後。


「がっはっは! でな、それで俺はだな……部下に『じゃあ、腕をちょんぎれ』ってな……」

「ザナクレスさん。もう、その話、30回目です」

「うははははははっ! そうかそうか……でな、それで俺はだな……『じゃあ、腕をちょんぎれ』ってな……」

「……」

「ハッハッハッハッ! でな、バーシア女王ってのがえらい、いい女でな! 俺は酒の勝負を挑んだ訳よ! 買ったら、やらせてくれって! そしたら、負けてスッカラカン! 見ぐるみ剥がされて、全額持ってかれて放り出されたってわけだ! 大した女だろう?」

「ラシード……その話、40回目」


 以前住んだ家を合わせると500回超えている。


「ハッハッハッハッ! そうか……でな、バーシア女王ってのが、えらい、いい女でーー」

「……」


 でた、酔っ払いの無限ループ。そして、互いに自分の話をして、ろくにこっちの話を聞かない。海聖ザナクレクもラシードも全く同じパターンだ。


 まずい。


 このままじゃ、両方とも潰れて終わる。


「あの……そろそろ本題に入りたいんですけど!」


 イルナスが大声を張り上げると、その場がシンと静まり返る。すると、さっきまで酔っ払って笑っていた海聖ザナクレクが、据わった目つきで睨む。


「ほぉ……じゃ、単刀直入に聞こうか? イルナス皇太子殿下様は、テメェの命にいくら賭ける?」

「……大金貨10万」


 この金額は、おおよそ、大国の国家予算だ。イルナスが皇太子となり、皇帝となった場合に、なんとか捻り出せると予測したものだ。


 これ以上のものは、反帝国連合国も出せないだろう。


 だが。


「足らねぇな……全然」


 海聖ザナクレクは、酒瓶を傾けながらつぶやく。


「……じゃ、幾らなら受けてくれる?」

「そうさなぁ……」


 海賊は、白い髭をなでながら。


 イルナスに向かって言い放つ。


「大金貨120万枚だ」

「……っ」


           *

           *

           *

 

































「みーぃつーぅけぇたぁー」


 魔軍総統ギリシアが、不気味な笑顔を浮かべた。

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