海聖ザナクレク


           *


「ブーっ!」


 北東の港町エルデカリスの酒場で、海聖ザナクレクは、豪快に口から酒をぶっぱなした。


「んだとっ!? イルーー」

「しーっ! しーしーっ!」


 その名を言いかけた時に、リィアットに慌てて口止めをされる。


「……」

「ギャハハ! お頭、どうしたんすか酒がーー」

「だあってろ! ぶち殺すぞ!」

「す、すいません」


 深酒しまくった部下たちが一斉に黙り、酒場は、まるで葬式のように静まり返った。だが、海聖ザナクレクは、そんな様子を気にせずに、声を潜めて聞き返す。


「テメェ、本気マジで言ってんのか?」

「はい」

「……」


 リィアットは強く頷くが、その答えを聞いても、未だ半信半疑だ。


 ガストロ帝国皇位継承順位第一イルナス。


 反帝国連合国からも、帝国からも喉から手が出るほど狙われている標的。今、大陸で最も高値の懸賞首が、他ならぬ自分に助けを求めているのだから。


「んぐっ……んぐっ……んぐっ……ぶっはぁ……んゲップ!」


 海聖ザナクレクは、気を落ち着かせようと、酒瓶の酒を豪快に一気飲みした。そして、大きなゲップをして、ボソッとつぶやく。


「こりゃ……でっけぇ仕事ヤマだな」

「……」


 リィアットの表情からは、何も読み取れない。小娘のくせに大したタマだと、内心で感心した。


 毛むくじゃらの海賊は、食い気味に質問を続ける。


「で!? お前らクーデター軍の動きは?」


 これは、高度に政治的な決断を求められる話だ。帝国の皇太子を支援するということは、まず、確実に反帝国連合国を敵に回すということだ。


 目下、クーデター軍は、砂国ルビナと対立している組織だ。彼らに反対連合国を全面的に敵対する気概が、果たしてあるのだろうか。


「……まだ、揉めてます」


 リィアットは、声を潜める。


「んだと? ってことたぁ、お前の独断か?」

「ヤルの指示です」

「……あの参謀か」


 海聖ザナクレクは、思考をグルグルと駆け巡らせる。正直、この3流のクーデター軍にはもったいないくらいの少女だった。


 確かに、ヤツほどの豪胆さならば、わざわざ、上層部の意見など聞かずにやるだろう。


「それに……私の独断であれば、いろいろと融通がしやすいです」

「……ならほどねぇ。嬢ちゃんも、かなり剛毅だな」


 クーデター軍としてでなく、あくまで個人の独断だとすれば、素早く動くことができる。そこには、リィアットの覚悟と、ヤルへと絶対的な信頼を感じる。


「……しかし、嬢ちゃん。俺ぇあな! チィとばかり、値が張るぜ!」


 海聖ザナクレクは、大きな胸板をドンと叩いた。


 状況はわかった。イルナス皇太子を逃すとすれば、確かに自分が最適だろう。海に出てしまえば、自分が最強だという自負がある。


 だが。


「……」


 この決断は、反帝国連合国を敵に回すってことだ。前年、帝国には手酷くやられた。仲間も多く失った。恨みも多くある。


 普通に考えれば、あり得ない選択肢なのだろう。


 だが、『そりゃお互い様』っていうのが殺し合いの流儀だ。


 海聖ザナクレクの基準は明確だ。どっちについた方が儲かるか。どっちがリスクなく、楽に仕事ができるか。どっちのコスパがいいか……要するに、それだけなのだ。


 イルナス皇太子を助けた場合の報酬は?


 イルナス皇太子を捕縛し、反帝国連合国と帝国に値踏みをさせたらどうなるだろうか? 大金貨10万……いや、それどころじゃない。


 大国一つを丸ごと変えるほどの大金貨を踏んだくることだってできるかもしれない。そんな想像をしただけで胸の震えが込み上げてくる。


「ぐはははははははっ! 面白くなってきやがったああああっ!」


 海聖ザナクレクは、豪快に笑い、リィアットの喉元に短剣を突きつける。


「おい、嬢ちゃん! 今の話は間違いなく本当だな? 仮に嘘だったら、テメェもろともクーデター軍を俺たちが滅ぼしてやるぜ!」

「間違いありません」

「……」


 嘘をついている様子はない。何よりも、海聖ザナクレクのカンが『本当だ』と叫んでいる。


「よし! すぐに、『ガルサロスの洞窟まで来い』と伝えろ! 俺たちはそこに向かう!」

「い、イルナス皇太子殿下、直々にですか? そんな無茶な」


 リィアットは困惑した表情で囁く。


「当たり前だ! 今更、『無理だ』とは言わさねえ! そんな生っちょろいこと吐きやがったら、今すぐにテメェとクーデター軍をぶっ殺してやるぜ!」

「わ、わかりました」


 少女は渋々頷いた。


「よし、テメェら! すぐ発つぞ!」

「お、お頭! こんな小娘の言うことを信じるんですか!?」

「当たり前だ! 自分テメェの目を自分テメェで信じないでどうする」


 海聖ザナクレクは、豪快に言い放つ。海賊に根拠など必要ない。所詮、人生は博打のようなものだ。当たるか当たらないかなんて、蓋を開けてみなければわからない。


「では、私はこれで」

「おう! なるべく早く来いよ」


 酒場から出る少女を見送った海聖ザナクレクは、部下たちに向かって叫び散らす。


「ガハハハハハハハハハハっ! ほら、テメェら! 動け動け動け! ガルサロスの洞窟だ! 間違えんじゃねぇぞ!」

「「「「「へい!」」」」」


 さっきまで、酔っ払っていた部下たちが、信じられないほど機敏な動きで走り出す。我先に、我先にと統率の取れない勝手な動きで、ドアがぶっ壊れてしまうほどだ。


 そんな中。


 海聖ザナクレクは、バルドスクという部下を、強引に掴んで呼び止める。


「あぐっ……ぐっ……な、なんすか!?」

「おい、お前には別のことをやってもらう」

「……えっ?」

































「魔軍総統ギリシアのとこに、ひとっ走りしていってくれや」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る