ラシード


           *


 竜騎で走ること、2日余り。イルナスとラシードは、北西の森の奥にいた。


 脱出してから、さまざまな退路を模索したが、立ち寄る村での情報が芳しくなかった。東と南にはすでに竜騎兵ドラグーン団が配備されていて、塞がれている。


 北西という退路を選んだ訳ではなく、選ばされた。


「……ハンフリー団長がいるのは予想外だったな。敵さん、なかなかいい布陣を敷いてやがる」

「なんとか包囲網を抜けられないかな?」

「抜けられねぇな。竜騎兵団の本軍は、そこまで甘くねえ」


 ラシードは断言する。砂国ルビナのフミ王は愚王だが、ハンフリー団長の竜騎兵ドラグーン団は、大陸でも一、二を争うほどの勇猛さを誇るということだ。


「当分は、野宿暮らしだ。我慢してくれ」

「うん」


 イルナスは元気よく頷いて、ご飯の支度を始める。今のところは慌てても仕方がない。


 野営の準備が整った。


 ラシードが飯を食いながら、酒も飲まずに(というかないのだが)、地図を食い入るように見つめている。


「……」


 表情が、かつてないほど厳しい。時折、苛立たし気にトントントンと、額を指で叩いている。常に飄々と陽気な男が、かつて、これほど真剣になることはなかった。


 それだけで、状況が非常に不味くなっていることがわかった。


 イルナスも、なんとか力になろうと、同じく地図を見ながら分析をするが、土地勘はラシードの方が遥かに上だ。意見を言っても、バッサリと却下される。


「……」


 その表情が、時間が経つたびに、非常に険しくなっていく。ラシードの体感として事態は、相当に切迫しているようだ。


 そして。


「次は、ゴラスレーダ村に寄るか」


 とだけつぶやき、寝転ぶ。


「……わかった」


 ラシードの判断であれば、間違いがない。イルナスは迷わず首を縦に振って頷く。


 その日の夜。


「……け」


 ボソッと声が聞こえて、イルナスは飛び起きた。なんの音だ? いや、人の声だ。


「……さ……さけ……酒……酒……酒飲みたい……酒……酒……酒……酒……酒飲ませろ……」

「……っ」


 まるで、呪文を唱えるかの如く、褐色の剣士が寝転びながらガタガタ震えている。


「ら、ラシード?」

「あ? どうした?」

「……っ」


 めちゃくちゃ顔色悪いー。


 絶対に、1ミリも、睡眠ができていないー。


「だ、大丈夫? さっきから、その……独り言が」

「独り言? そんなの言ってないが」

「……っ」


 む、無意識。丸2日、お酒を飲んでいないので、完全に禁断症状が出ている。イルナスは、慌てて地図を開いて、ゴラスレーダ村の位置を確認する。


「ち、ちなみにラシードは、なんでゴラスレーダ村を選んだの?」

「ここには知り合いがいるんだ。現状の砂国ルビナの状況を快く思ってないヤツも多い。とりあえず、ここで様子を見るのもありだと思った」

「な、なるほど」


 至極真っ当な理由で安心した。流石に、私的理由で潜伏場所を選んだりはーー


 ボソッ。


「酒もあるしな」

「……っ」


 不安。猛烈に不安だ。


「とにかく、早く寝ろ。明日も明後日も竜騎でかなりの距離を走る。体力を、なるべく溜めておくんだ」

「わ、わかった」


 イルナスは不安ながら、寝転がる。


 3日目。


 ユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサユッサ……


「……っ」


 めちゃくちゃ身体が震えてるー。アル中特有の震えが、これ以上ないくらい出ている。ガッツリと禁断症状の真っ最中だ。


「ら、ラシード……大丈夫?」

「何が?」

「……っ」


 身体の震えに気づいてない!? 


「ちょ、ちょっとイライラしてない?」

「……ああ。まあ、退屈だからかな。ただ、走るだけってのはいろいろ考えちまーー」


 そう話している途中、目の前の枝にラシードの頭がぶつかる。すると、褐色の剣士は竜騎を止めて、ジッとヤバい目つきで木を凝視する。


「なんか……この木……ムカつくなぁ」

「……っ」


 木にムカついてるー!?


「俺の前に立ちはだかってきやがって……ワザとか? ワザとだよなぁ!? 勝負すっかオラぁ!」


 そう言って、なぜか大木にオラつくアル中剣士。


「そこだ!」


 !?


 ラシードは、突然、黒き魔剣で抜刀をした。


 見事なまでの太刀筋。


 当然、大陸有数の鋭い一刀。


「……」


 だが、そこには何もいなかった。


「チッ……刺客もなかなかやりやがる。イルナス、急いでここから脱出するぞ!」

「はわっ……はわわわわっ!」


 弾けるようにユッサユッサしながら、竜騎を走らせるラシード。当然だが、側には誰もいない。だが、完全に幻覚を見ているアル中は、幻影に向かって鋭い斬撃を繰り広げる。


「テメェ……なかなかやるじゃねぇか」


 褐色の剣士は、鮮やかな手つきで黒刀をしまい。


「……っ」


 イルナスが瞬きをした瞬間、景色が変わった。目の前には、誰もおらず、ただ、ラシードが孤月ノ太刀こげつのたちを鞘にしまう音だけが静かに響く。


 後ろを見ると。


 当たり前だが、誰もいない。



 

 































雪月花せつげっか

「……っ」

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