負け犬


           *


「はぁ……はぁ……はぁ……違う……こんなんじゃダメだ!」


 魔杖16工のクラークは、感情のまま、自らが製作した魔杖を叩き割る。脳内に浮かぶヘーゼン=ハイムの亡霊が振り払えないまま、残された時間は2日を切った。


 人生で一番追い詰められた。寝ても覚めても、魔杖のことだけを考えた。神経はゴリゴリと削られて、眠れない夜も続いた。


 それでも、時間は無常に過ぎて行く。


「……腹、減ったな」


 それでも、やはり、空腹にはなる。それが生きるということだと、クラークはこの時になって初めてわかった。


 外を出ると。


「ワウ! ワウワウワウワウ!」

「……っ」


 人犬。首輪につながれて、嬉しそうに鳴き声をあげる四つん這いの屈強な男。以前、パワハラ帝国将官として有名だったと聞くが、今ではもはや見る影もない。


「……」


 飼い主は、感情の見えない男だった。魚が死んだような目を浮かべて、人生にまったく希望ひかりを見いだせたない表情を浮かべていた。


 クラークが歩き出すと、並走して飼い主の男も歩き出す。こうした嫌がらせが、毎日……いや、外に出るたびに続いた。


「おい、離れろ……殺すぞ」

「……」


 威嚇をするが、飼い主の男は無視をして、そのまま歩き続ける。


 一方で。


「ワウワウワウワウ! ワウワウワウワウ! クゥーン、クゥーン」

「……っ」


 四つん這いになって泣いている人犬バライロは、嬉々として、本当に嬉しそうに、陽気な鳴き声をあげる。


「……」


 こいつは、完全に狂っているが、むしろ逆に生き生きとしている。下手に正気でいることが苦痛であるという皮肉な状況。


 ……狂った世界。


 そんな中、飼い主の男が話しかけてくる。


「兄ちゃん、あんたもご主人様にやられた口かい?」

「……」


 仲間みたいに、話しかけるな。お前とは違う。お前とは違う。お前とは違うんだ。何度も何度も心の中で無視しようとするが、一方で、『聞いてみたい』という想いが邪魔をして、つい耳を傾けてしまう。


「悪いことは言わない。ご主人様には逆らわない方がいい。今からでも、遅くはない。全面的に降参して、喜んで尻尾振って奴隷になりな」

「へっ……あんた、そんなこと言ってて、悲しくならないのか?」


 クラークは、いつも通りの調子で言葉を返す。この5日間、恐ろしく神経を削られたが、だんだんと開き直ってきた。


 やるしかねぇ。


 俺は、コイツらみたいには……たとえ、奴隷にさせられても絶対に、コイツらのような魚の死んだ目をして生きてはいかねえ。


「……」


 飼い主の男は不意に感情が昂ったらしく、視線を下に移す。一方で、人犬バライロは、チョコンとお座りをして、いい子に会話を待つ。


「あんた、以前は何してたんだ?」

「昔……昔かぁ……遠い昔のことの気がするな」


 飼い主の男は、懐かしそうに、もう戻らない日々を、もう二度と帰ってこない過去を振り返る。


「……あんた、名前は?」

「私の名前……ああ、フェチス=ギルという。以前は、ゼルクサン領で、上級貴族をやっていたよ」

「上級貴族……」


 やはり、恐ろしい男だ。平民出身の帝国将官ながら、上級貴族までも、奴隷にしているのか。


「まあ、座ってくれ。奴隷でも座って昔話をする自由くらいは、許されている」


 フェチスは、大通りの店の壁にもたれかかりながら座る。一方で、人犬バライロは感情を失ったようにお座りをしている。


「……」


 クラークも彼の隣に座った。これまでは、完全に無視してきたが、不意に、この男の話が聞きたくなった。


 そして。


 どんな感情を抱いているのか、まったくわからないが、飼い主の男は昔を思い出して話を始める。


「我々の方が爵位だったんだ。それにも関わらず、我がゼルクサン領の領主となり、我々の上に立つあのお方が気に入らなかった。それは……そんなにダメなこもだったのかな?」

「そりゃ、自然な感情だろう?」

「……」


 返事はない。


 クラークは逆に質問をする。


「我々ってことは、あんたの他にもいたのか?」

「ああ……ドスケ=ベノイス、クラリ=スノーケツ、バッド=オマンゴ、ダッチク=ソワイフ、ジョ=コウサイ、ウーマン=ノチチ、アルブス=ノーブス、ラフェラーノ=クーチ……唯一無二の友達だ」

「……」

「思い出すよ。我々はワインと剣を手に取り、互いに友情を誓い、全員で打倒ヘーゼン=ハイムを掲げて立ち上がったのだ」

「……いいダチじゃねぇか」


 クラークは、思わず胸が熱くなった。ここにも、自分と同じヤツらがいる。強大過ぎる敵に立ち向かった、勇敢な負け犬ルーザーが……


 ここにもいる。


「それで? 生き残ったのが、お前だけだと?」

「全員奴隷だ」

「……」

「海老反りの土下座をしても許されなかった。中には、態度が気に入らないと、睾丸を破壊される者もいた。竜騎で帝国を横断するほど引きずられ、何度も死に至っても再生させられ、死ぬこともできない……その時、私は『地獄にいるのだ』と思ったよ」

「……へっ」


 クラークは、笑えてきた。


 そして。


「関係ないね! いいか! 俺は、お前たちみたいにはならねぇ!」


 高らかと宣言する。


 そうだ。結果なんて聞いたって、関係ない。自分は勝つ。勝って未来を切り開く。コイツらみたいな負け犬ルーザーにはならない。


「約束する。必ず、俺はヘーゼン=ハイムに勝ってみせる。そして……お前たち奴隷を、全員助けてやる」

「……」

「お前たちの過去は知らねえ。興味もねぇ。だが、こんなヒデェ扱いをするアイツを許しちゃおけねぇ! お前たちも背負って俺が勝つ!」


 すべてを賭けて挑もう。


 これまでの人生も、これからの自分の運命も、ついでに、コイツらの運命も。魔杖組合ギルドの家族たちも、全員俺が背負ってやる。


 ありったけの想いを込めて。


 今まで培ったすべての技術を持って。


 そして。


 クラークは、高々と手を上げて叫ぶ。


「へっ……やってやらぁ!」































 結果、完膚なきまでに、敗北した。


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