魔軍総統ギリシア

           *


「あ……ん……み……がああああああいいぃ!」


 数時間後、砂国ルビナの港町に戻ってきた魔軍総統ギリシアは、歯を食い縛りながら悔しげに唸る。


「だ・か・らっ! アレほど、油断するなと言ったじゃない!?」

「も、申し訳ありません」


 霧軍の首領ヘルーメ=ツターンは深々と謝る。ラシードとイルナス皇太子の2人は竜騎とともに、闇の草原へと消えていった。まんまと包囲網を突破された形だ。


「はははははっ! 見事にやられたねぇ!」


 凱国ケルローの副団長ダルシア=リゼルが快活な笑い声を上げる。彼女は、長身で屈強な女戦士であり、双槍型の魔杖『雌雄ノ竜槍しゆうのりゅうそう』を携えている。


「くっ……本当にダメな……ダメダメな……いえ、ダメダメダメな部下で……」

「仕方ないさ。ヤツが竜騎に跨がれば、手に負える者など少ない」


 竜騎を含めた瞬間移動抜刀。


 超接近で大陸最高峰の剣士が、神速の機動で襲いかかってくるのだ。


 砂国ルビナの秘刀『孤月ノ太刀こげつのたち』、正式名称……月下ノ理げっかのことわり。真なることわりの魔杖を持つ者の中でも、ラシードという剣士は非常に厄介な男だ。


「ギリシア総統の判断が間違っていたとも思いませんよ。即座にイルナス皇太子確保に動いても、距離的にラシードが駆けつけられる可能性は高かった」


 食国レストラルの宰相トメイト=パスタが、冷静な表情でクイっと銀縁眼鏡を上げる。


「そ、そうよね……私は、全然悪くないわよね」

「あなた方に戦闘能力は求めてませんから。むしろ、よく『待て』ができたことを褒め称えたいくらいです」

「くっ……」


 その物言いに、神経質な男は、腑が煮えくり返りそうなほど腹が立つ。この男は、頭は切れるし、冷静だがナチュラルに人を見下す癖がある。


 だが、事実、逃してしまっているから何も言えない。


「それよりも、砂国ルビナから逃亡させないことが重要です。すぐさま、竜騎の速度から逃亡地点を把握させてください」

「ええ、すぐ分析班にやらせて、霧軍は各ルートに配備させるわ。ヘルーメ! イルナス皇太子の潜伏地は?」

「いえ……それが、不明で」

「……っ」


 霧軍の首領が申し訳なさそうに答えると、魔軍総統ギリシアが、目をガン開きにして問い詰める。


「はんあああああああああああああぁ!? 倒れている子どもがいたんでしょう? そいつの素性を調べたら一発じゃない!?」

「それが……すでに、子どもは消えておりまして」

「な、なんですって!? まさか……あんた、見張りをつけてなかったの!? そこまで無能なの、あんた!?」

「い、いえ。もちろん、2人つけてましたが、行方不明になっておりまして」

「なっ……」


 もちろん、霧軍の刺客は、訓練された魔法使いだ。戦闘において、一般人に遅れを取ることなどあり得ない。


「……ヘーゼン=ハイム陣営の仕業である可能性もありますね」


 食国レストラルのトメイト宰相が、クイッと銀縁眼鏡を上げる。


「ヤツが、裏で証拠の隠滅を図ったと? バカな! そうであれば、そもそもイルナス皇太子に、アレだけ目立つ行動はさせないでしょう!?」

「可能性の問題です。少なくとも、あの化け物の関与を疑うのは、悪いことではないでしょう」

「ぐっ……」


 魔軍総統ギリシアは、それでも、意見には賛同できない。公には言わないが、そもそも、霧軍がこの港町に入ったのは砂国ルビナの動向を探るためだ。


 そこに、ヘーゼン=ハイム陣営の存在など、報告にもあがらなかった。


「ラシードのツテで、避難させた可能性は?」


 凱国ケルローの副団長ダルシアが尋ねる。


「バカな! ヤツの知り合いで、我が霧軍の2人を倒せるような者がいると?」

「現に、出し抜かれているじゃない」

「ぐっ……」


 確かに、イルナス皇太子の存在に集中するあまり、ラシードの存在以外に目がいかなかった。だが、霧軍は随分前から港町に入って情報も網羅している。


 その日、ラシード以外には、手練れの魔法使いの存在などいなかった。


 いったい……何が起こっている?


「と、とにかく! すぐに、近隣の住民全員に聞き込みをしなさい! 場合によっては拷問もーー」

「許容できないな」

「……っ」


 砂国ルビナのハンフリー団長が答える。


「そ、そんなこと言っている場合じゃないでしょう!? いい! イルナス皇太子を逃したらーー」

「どのような理由であれ、我が国民に手を出すことは絶対に許さん」

「くっ……あんたねぇ!?」


 魔軍総統ギリシアは、この男を招集したことに激しく後悔した。唯一、竜騎に跨った高機動戦での対抗馬として当てる予定だったが、あまりにも融通が効かなさすぎる。


「まあ、落ち着いてくださいよ。ハンフリー団長だって、『まったく力を貸さない』とは言っていない訳ですし」


 食国レストラルのトメイト宰相が、クイッと銀縁眼鏡を上げる。


「もちろん、こちらでも聞き込みなどは実施する」

「んん大丈夫ぅ? ハッキリ言って、あんた人気ないでしょう?」

「……」


 魔軍総統ギリシアが、下から覗き込むように、挑発しながら尋ねる。とにかく、砂国ルビナの現政権は、国民から不評だ。必然的に、その部下であるハンフリー団長も、それに引っ張られている形だ。


「だから、喧嘩しないで、とにかく、冷静に淡々と行きましょう。捜索範囲は、劇的に絞れた。徐々に追い詰めていけば、やがて尻尾を出すはずです」


 食国レストラルのトメイト宰相が、クイッと銀縁眼鏡を上げた。


「……ふぅ、そうね。少し冷静になりましょうか。後は、頼むわね」

「わかりました」


 第一陣は持ってきたから、少なくとも戦力に遅れを取ることはない。第二陣、三陣で、より多くの戦力を結集すれば、ヘーゼン=ハイムと言えど近づくことすら出来なくなるはずだ。


 魔軍総統ギリシアは、千里ノ霧せんりのきりを使用して、再び姿を消した。


 

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