イルナス(2)


「どうしたの!? 大丈夫?」


 うずくまって倒れた子どもに、担任の先生が慌てて駆け寄る。そして、他の子どもたちが呆然とする中、イルナスもまた、すぐさま駆け寄る。


「ちょ、イルナス君! 邪魔よ、離れなさい!」

「……」


 先生の言葉を無視して、イルナスは子どもの身体に触れて診察をする。魔力のない自分の症状を治そうと、魔医の勉強はかなりした。


 知識量には、他の誰にも負けない自信がある。


 やがて。


 足の裏に小さな針を発見した。瞬間、イルナスは歪んだ表情を浮かべてつぶやく。


壷毒蟲こどくむしだ……」

「えっ!?」


 先生が驚いた表情を浮かべる。壷毒蟲こどくむしは、冬の砂浜に生息する魔虫だ。体内に毒を孕み、針などで突き刺して身を守る。


 毒性が非常に強く、子どもであれば30分ほどで死に至る。


「今は、季節的に発生する時期じゃないのに」

「……今年は雨季が長かった。そのせいかもしれません」


 近所の村人たちの話では、実に十数年ぶりのことだったそうだ。そんな異常気象のせいで、偶発的に発生しても不思議ではない。


「血清は?」

「も、持ってない。港町にはあるだろうけど、ここからじゃーー」


 言葉を聞き終わる前に、イルナスは子どもを背負って走り出す。


「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」

「僕が行きます! すぐに、他の子たちの避難を!」


 先生の制止を振り切って、走り始める。話している時間も、説得する時間ももったいない。港町まで、歩いて2時間。大人が走っても40分……自分なら、25分で行ける。


 瞬時に、そこまで計算して、ひたすらに走る。


「はっ……はっ……はっ……」


 イルナスは、全力で走る。一刻の猶予もない。子どもの体温が、どんどん落ちていくのを感じながら、焦りだけが募る。


 15分後……やがて。息が切れてきた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 思ったよりも、体力を削られる。やはり、普段走り慣れた道と違う分、疲れ度合いが違う。このままじゃ、間に合わない。余計なことを考えずに、一心不乱に走らなくてはいけない。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……いや、違う」


 こんな時だから『考えなきゃダメだ』とイルナスは思い直した。


 苦しいからこそ、思考を止めちゃダメだ。時間内に到着するだけではダメなんだ。そこから、港町の医院に向かわなくてはいけない。


 以前、ヤンとラシードと行った時に医院はなかったか? 朧げな記憶で、町の景色を思い返す。


 考えろ。


 どうすれば、この子が助かるか……考え続けろ。


「……はあっ……はぁ……はぁ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」


 息の仕方に異変を感じる。「止まりたい」と身体が悲鳴をあげる。「もう走るのをやめよう」と弱い心が誘惑する。


 うるさい……うるさい……と、イルナスの心は、必死に打ち消す。


 僕は、何も返してない。毎日、変わらない日常をくれたこの子たちに、僕は何も返せていないんだ。僕は……何の恩返しも、できていないじゃないか。


 故郷ふるさとって、何だろうと思っていた。帝都の天空宮殿で、本を読みながら、その言葉がどうにもしっくりこなかった。


 でも……イルナスの心は、決まっている。


 ここが僕の故郷ふるさとだ。ヤンが、ラシードが、オルラィさんが、マギーさんが、村の人たちが、先生が、子どもたちが、僕の故郷ふるさとなんだ。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……げほっ、げほっ!」


 港町に入った時、突き刺さるような肺の痛みが襲いかかってくる。グニャァと景色が歪むほど、脳内に酸素が巡らなくなってきた。


 それでも、イルナスは足を止めずに、前に訪れた記憶を辿り、朧げに見た医院の看板があった場所へと向かう。


 早く。


 早く早く。


 ……あった!


 ドンドンドンドン。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぁれかぁ!?」


 ドアを激しく叩いて声を振り絞るが、応答がない。勘弁してくれ。誰もいないのか? そんなことあるのか!? 早く処置しないと間に合わない。


 間に合わないんだ。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……はああああああっ!」


 一閃。


 イルナスは、魔鞄の圧縮化を解除して、蓄積型魔杖『雷光』を取り出してドアを真っ二つにする。


 それから、すぐさま中に入って人を探すがいない。どうやら、本当に誰もいないようだ。イルナスは、あきらめて、医務室の中に入って血清を探す。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。


 液体の色はわかっている。薄い緑だ。絶対にあるはずだ。港町では、壷毒蟲こどくむしの患者は、年間数人はいる。


 絶対にあるはずだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……った!」


 あった。イルナスは、すぐさまガラスの瓶を開けて、匂いを確認する。これだ、間違いない。


 すぐに、注射器の中に液体を入れて、子どもの患部に突き刺す。すると、子どもの真っ青な顔色は、どんどん引いていった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……ふうぅ」


 やがて。


 容体が安定した子どもに、イルナスは安堵の表情を浮かべる。助かった……いや、助かってくれた。


 その時。


「な、な、なんじゃあああああっ!?」


 医院の外から、老人の絶叫が聞こえる。どうやら、この医院の魔医が帰ってきたようだ。なかなか、納得してもらえないだろうなぁと思いながら、イルナスはすぐさま立ち上がって、外へと向かう。


「……」


 その通りの路地裏で。


















 
























「みーつーけたっ」


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