位置


「はっ……くっ……」


 隣にいるラスベルは、密偵ルドルとともに、ガビーンとしていた。


 反帝国連合国の攻撃を見事に退けた帝国の英雄。あの五聖の一人である武聖クロードを一騎打ちで亡き者にした生きた伝説レジェンド魔法使いが。


 臆すことなく堂々と皇帝陛下レイバースに意見し、上級貴族の99%を敵に回し、帝国の実質的なNo.2であるエヴィルダース皇子すら公然と土下座させるような男が。


 毎日、少しずつ。


 ヅラをズラしている。


「あの、質問をよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「その……この行為の目的はなんですか?」


 汚れ仕事ならば、理解できる。ヘーゼン=ハイムがそのような手段を厭わないことも熟知している。彼女に、その覚悟はある。


 密偵の彼とて同じだろう。ヘーゼン=ハイムという規格外の英雄のため、たとえ、暗殺などの汚れ仕事だって、喜んで引き受けるだろう。


 だが、これは……あまりにも……その……小ぢんまりとしている。


 だが、当の本人は、『なんでそんな真剣な眼差しができるのか?』と全力で問いかけたくなるくらい、真面目に答える。


「もちろん、ボォイ大臣に精神的外傷トラウマを与えるためだ」

「……っ」


 英雄らしからぬ行動過ぎるー。


「彼は何度も鏡を見て、疑心暗鬼になっているからな。そして、『ヅラを魔法で固定すれば動かない』という思い込みに囚われている。そこを突けば、毎日、少しづつズラしていくことが可能だ」

「……あの、その意味は」

「物事で重要なのは、思考を妨げることだ。彼の脳内をヅラでいっぱいにすることによって、他の思考に移ることを阻止する」

「……」


 恐ろしいことに、この男は、本気で言っている。


「多くの人は、時間が有限であることに気づいていない。そして、大部分を無駄な思考に費やしていることも、多くの場合、気がつかない」

「……」


 確かに、的を得ている。実際、密偵の話だと、ボォイ大臣は1日の半分以上が自身を鏡で見ることに費やしている。


 今は、ほぼ8割に……やがて、9割に突入するだろう。


「ち、ちなみに、罪悪感とかはないんですか?」

「ないな」

「……っ」


 へーゼンはキッパリと答える。


「し、しかし他者の気にしている容姿を攻撃するのは、人の道に反するのでは……」


 誰にでも1つや2つ、コンプレックスはある。そんなデリケート領域ゾーンを、容赦なく攻撃するなど、卑怯……いや、非道、陰湿、陰険、とにかく恐ろしい行動だ。


 だが。


「僕は一向に構わない」

「……っ」


 なんで、そんな真っ直ぐな瞳を返せるのか。


「たとえ、この大陸の全員から後ろ指さされても、軽蔑して唾を吐きつけられても、毛虫やゴキブリのように生涯忌み嫌われ続けても、僕は一向に構わない」

「はっ……くっ……」


 なんという、恐ろしいまでの覚悟。


「ラスベル……敵には、最も効果的に傷つけられる手段を常に取れ。ゲスだとされる手段が一番効くならば、迷わずそれを選びなさい」

「……ぁい」


 また、1つ、心が穢れた。


「だが、今後の信頼関係のため、誤解はして欲しくない。僕は普段から他人の容姿を攻撃対象に加えるタイプではない。そもそも、興味がない。あくまで、彼を排除するための手法であって、そこに個人的な快楽が挟む余地はない」

「……」


 誤解ではない。


 この男は、キチ異常者サイコパスだ、とラスベルは確信した。


「例えば、ただの他人がヅラを被っていたら見て見ぬフリをする。生まれながらのコンプレックスなど努力でなんともならない部分を嘲笑うなど、ゲス中のゲスの所業だからな」

「……」

「だからこそ、敵にはあらゆる選択肢を排除しない。特に相手が手段を選ばないのならば、僕は容赦なく徹底的に追い詰める。精神的にも肉体的にも極限まで追い詰めて、ボロボロにして奴隷にして、ボロ雑巾のように朽ち果てるまで使い潰す」

「……」


 あらためて、超恐ろしすぎる男だと実感した。


「と言うことで、アウラ秘書官の説得が通るよう、こちらも、陰ながら、ささやかながら力を尽くす。ボォイ大臣が24時間ヅラのことで頭がいっぱいになるように、全身全霊を尽くせ」

「……」


 恐ろしいことに、この男は、真剣だ。


「ボォイ大臣は今、周りが見えていない。君たちは、ヅラを日々魔法でズラすことに加え、それとなく彼と通り違うたび、『ズレてる』や、『ハゲている』など、独り言のようにつぶやいてくれ」

「……っ」


 徹底的。単なる嫌がらせに全身全霊をもってことに及んでいる。


 この人には決して逆らってはいけない、と密偵のルドルは確信した。


「で、でも……そんなに上手くいくでしょうか? ヅラの位置が少しづつズレていたら、さすがに気づくのでは?」

「手鏡で、毎日穴が空くほど見ているんだ。まず、最新の自分が脳に焼きついている。『ヅラが魔法で固定されている』と思い込み続ければ、まず、気づかない。そう言うものだ」

「……」


 くだらないことだが、ヘーゼン=ハイムは、巧妙に人の心理を操っている。人と戦う時に、心理的な要素をこれだけ入れ込む魔法使いは、存在しなかった。


 言うまでもなく、くだらないことだが。


「心が1つに囚われていれば、『気づき』は生まれない。彼は何度も何度も自分の位置に違和感を持ち、それでも固定観念に囚われて、そのヅラの位置を疑わない。そして、翌朝には目に焼きついた昨日のヅラの位置にセットする」


 ヘーゼン=ハイムは確信を持って答える。


「……」


 なんという確信の無駄遣い。













 

 


 



















 10日後、ボォイ大臣のもみあげが鼻に来た。

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