ボォイ大臣


「むぐんっ……ぶはぁ! はぁ……はぁ……はぁ……げほっげほっ!?」


 朝4時。ボォィ大臣は、寝苦しくて、うなされながら目が覚めた。それから、すぐにベッドから起き上がって、大きな鏡を見つめる。


 ペシペシ。


 ハゲている……やはり、ハゲている。


 いや、そんなことはわかっている。何十年も前から……そんなことは、わかりきっているんだ。ただ、それが天空宮殿中に晒されただけで。


 だが、完全にハゲている訳ではない。脳天から両サイド。耳の近くには、辛うじて赤ちゃんの産毛のような毛が生えている。


「ははっ……そうだ。私はハゲていない。ハゲきっておらんじゃないか。そうだ……うん、そう……」


 そうつぶやく声が、自身の耳元に残り。


「ん゛ああああああああああああっ! ん゛ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 豪奢な邸宅の中心で、ボォィ大臣は響き渡るような叫び声をあげる。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 最近、眠れていない。原因は、もちろん、わかっている。


 ヘーゼン=ハイムだ。


 あの平民出身の野蛮な猿が、高貴な自分の数少ない唯一の短所をあげつらって、得意げになっているのだ。


「殺す……殺す……殺す……殺す殺す殺す……いや、それだけでは絶対に済まさない……絶対に!」


 あの忌々しくフサフサな髪を一本一本、ハゲきるまで抜いて『ねえ、どんな気持ちぃ!? ど・ん・な・き・も・てぃーーーーー!?』と、上から見下ろしてやる。


 それからーー


「し、失礼します」


 そんな中、部屋に1人の魔法使いが入ってきた。彼はボォイ大臣が莫大な給料で雇った専属魔法使いである。彼の物質を固定する魔杖で、ヅラを固めさせる。


 いつも通り、彼は金髪のヅラをセットして、魔法をかける。


「動かないだろうな?」

「絶対に動きませんから、ご安心を」

「……」


 あれは失態だった。あまりにも不意打ち過ぎて、自分で白状したようなものだった。


 今度は、もう動じない。


 ボォィ大臣は、鏡を見ながら確認する。それから、30分。ひたすらに凝視した末にボソッとつぶやく。


「……なんか、ズレてないか?」

「い、いえ。昨日とまったく同じ位置です」

「いや、違う……なんか、おかしい。一度、魔法を解いてくれ」

「は、はい」


 それから、1時間。固定させた位置を若干ズラして、何度も何度も確認する。


「うん……これでいい」


 昨日とまったく同じで、安堵の表情を浮かべる。自信をもってそう言える。それから、食事をして、いつも通り出勤する。


 あくまで、まだ、噂の段階だ。日常が日常を作る。ヘーゼン=ハイムが排除され、ヅラである確証さえ持たなければ、噂などいずれ消える。


 天空宮殿に入り、まずは、部下たちに挨拶をする。よく気がつく部下だから、彼に不審な行動がなければ、まずは大丈夫だろう。


「おはよう」

「おはようございます」

「……っ」


 こいつ。今、確認した? 目線が微妙に上に動いた。『ああ、コイツ、ヅラなんだ』という確認作業を実施したんじゃないか?


「どうかされましたか?」

「ど、どうかとは?」


 ボォイ大臣は自然と出てくる汗を拭きながら、尋ねる。


「いえ、その、様子が少しおかしいので」

「……っ」


 ズレてきている!? そんなバカな。朝、何度も何度も確認してる。絶対にズレていない。いるはずがないのに、何の様子がおかしいというのだ。


「わ、私はいつも通りだよ」

「そうですか。なら、よかったです」


 そんな風に、朝のやりとりを行なった後、急いで、猛烈ダッシュで別の部屋に駆け込み、すぐさま、手鏡を見る。


「ぶはぁ……はぁ……はぁ……ズレてない。ははっ……ズレてないじゃないか、やはり。驚かせやがって、あのやろ……」


 !?


 あれ……なんか、ズレてる?


「いや、そんなバカな」


 自分の思い違いだ。朝、何度も何度も……何度も何度も何度も何度も位置を確認した。魔法をかけて、固めさせている。だから、ズレるなんてことはあり得ない。あの魔法使いにも、何回も確認したのだ。


「……」


 だけど、気になる。


「いやいやいや。何を言っている。そんな場合じゃない……そんな場合じゃないだろ、ボォィ」


 金髪サラサラヘアの老人は、何度も自分に言い聞かせる。自身の髪なんかより、魔杖組合ギルド解散の方が深刻だ。


 アレがもし通ってしまえば、ママレド家は一気に凋落の一途を辿るだろう。もちろん、他にも財はあるが、超名門貴族の座からは明らかに転落する。


 貴族とは、生まれながらにして特権を持っている。その特権を、いかに持ち続けることが大事なのだ。


 一朝一夕では、どうにもならない格差。


 平民が、ずっと平民であるのは、ヤツらがずっと搾取し続けられるからだ。権力者たる貴族が作った法律なのだから、当たり前だと言うことに、ヤツら自身が気づかない。


 当たり前に、生涯搾取し続けられればいいだけの存在……それが、平民だ。


 エヴィルダース派閥の意向は、当然固まっているが、自分は平民風情のように油断はしない。意思の統一のために、彼らとの社交をしておかなければ。


「クク……残酷な結果になるな。理想主義の、平民育ちの帝国将官が。今に見ていろ」


          ・・・


「……なんか違うくないか……いや、そんな訳ない」


 ボォイ大臣は手鏡越しで、ブツブツとつぶやいた。


           *


 その後、天空宮殿に放った密偵がヘーゼンの部屋へと入って来た。彼らは、帝国将官、貴族の執事、衛兵など、さまざまな形で溶け込んでいる。


 その男の名は、ルドルという。


「やったか」

「はい」



 
































「い、言われた通り、毎日、少しずつズラしてます」

「よし、続けろ」

「……っ」

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