鼓動


 「……」


 瞬間、先ほどまで上機嫌だった老人の笑顔が、パッと消えた。すると、先ほどまで騒いでいた海賊たちも、一斉に鎮まりかえる。


「あっ……ちょ……ちょ……待てよ!」


 先ほどまで、胴上げせんばかりに褒め称えていたお調子乗り海賊が、これみよがしに慌てふためきながらヤンに叫ぶ。


「ま、まずいって! お頭にその話は……」

「なんでですか?」


 ヤンが首を傾げると、海聖ザナクレクは、ワイン瓶を豪快に飲み干しながらつぶやく。


「ぶはぁ……行ったよ。西の西のそのまた果てにな」

「……それで、西の大陸はあったんですか?」

「ねえな」

「じゃ、西の果てには何があったんですか?」

「壁だよ」

「……壁?」

「上空まで突き抜けた黒い障壁だ。あれは、人のわざじゃ越えることはできねえ」

「……」

「だから、大陸の西は『黒海』と呼ばれてるのさ。あれは、通称じゃねぇ。文字通りドス黒く染まってやがるのさ」

「そこで引き返して来たんですか?」

「……渡れるか。ありったけの魔法弾打ち込んだところで、その黒い障壁はビクともしない。どれだけ上空へ浮かび上がったとしても、どこまでも天空に突き抜けてやがるんだ」

「じゃ、その先があるかもしれないってことですよね?」

「や、ヤル……」


 イナンナが周囲の不穏な気配に取り乱しながら、涙目になりながらつぶやく。だが、ヤンの疑問は止まらない。


「他に誰か西大陸に渡ったって人はいないんですか?」

「お、おおおおい! 嬢ちゃん、不味いって!?」


 お調子者の部下の1人が、ヤンを制止しようとした瞬間、海聖ザナクレクの裏拳が飛び、豪快に吹っ飛んだ。


「何が不味い! お前ら、まさか、あの大法螺吹きの言うことなんざ、間に受けてるんじゃないだろうな!?」

「「「「「……」」」」」


 ギロリと圧倒的な殺意を撒き散らし、海賊たちは震え上がって黙る。


 だが。


「いるんですか?」

「「「「「……」」」」」


 ぜ、全然空気読まないじゃん、と海賊たちは思う。


 いつのまにか、ヤンは身を乗り出して聞いていた。海聖ザナクレクの機嫌が悪いのは知っていたが、自分の興味が抑えきれなかった。


 そして。


 海聖ザナクレクも、半ば呆れたようにつぶやく。


「……大海賊アルゴラン。かつて、この大陸の海を支配していた男だ。ヤツは、よく自慢気に語ってやがったぜ。『俺は西の大陸に渡ったことがある』ってな」

「そ、その人は今、どこにいるんですか?」

「もう、いねえよ。なんせ、70年以上も前の話だからな」

「……」


 歴史書で読んだことがある。『史上最恐の海賊』と恐れられ大陸の海を席巻したと書かれていた。流し読みしていたので、細かくは覚えていないが、悪辣非道な戦い方で、懸賞金は大陸一だったらしい。


 その時。


「くくく……ははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」


 突然、白髭の老人はドス黒い声で笑い出す。先ほどの陽気な声とは違い、なんとも禍々しく聞こえる。目はギンギンに血走っていて、快楽めいた表情を浮かべる。


「俺がぶっ殺したんだ。あの裏切られた時の顔、お前に見せたかったぜぇ」


 鬼気として笑う海聖ザナクレク周囲は圧倒されてシンと静まり返る。だが、ヤンは……何かに気づいたように胸をギュッと抑える。


 そうだ。


 海聖ザナクレクは、『史上最恐の大海賊アルゴラン』を討ち取ることで、海聖と謳われるようになったのだ。


 そして……


「その人って、風の魔杖を使う人ですか?」

「知ってるか……ああ、そりゃ、知ってるわな。凄まじい風の使い手だったよ。ヤツか俺ぐらいのもんだ、船ほどの大物を飛ばせるのは」

「……」


 ヤンは、自身の鼓動を聞いた。まるで、何かに導かれているかのようだ。


「……黒海を渡るのは人の業じゃねえ。そんな大層な夢を見たから、ヤツは死んだのさ」


 海聖ザナクレクはボソッとつぶやく。


「あなたが裏切って殺したんじゃないんですか?」

「……ヤツは懲りずに船団を率いて『また、西の大陸に行く』と言い出しやがった。イカれてんだよ、あのアル中は」

「……」

「前に行った時のヤツらがどうなったと思う?」

「……わかりません」

「全滅だよ。あいつ以外は誰一人として、帰って来なかった」

「……」


 海聖ザナクレクは、握力でワイン瓶を握り潰す。


「大方、無謀に黒の障壁に突撃して……あいつの勝手で船員たちを死なせやがったんだ。それで、帰ってきた頃には、すっかりおかしくなっちまった」

「どう変わってたんですか?」

「……西の大陸は、魔杖なんかなくても魔法が使えるってよ。まったく同じくらいの大陸が、そこにあるんだって嘘八百を自慢気によ」

「……」


 本当に嘘だろうか、とヤンは思う。


「でも、あなたは一度は挑んだんですよね?」

「……船乗りなら、誰でも果ては見てみてえと思うもんだ。だが、そこまでだ。嬢ちゃん、悪いことは言わねえからやめときな。死ぬぜ」

「……」


 会談後、ヤンはイナンナと酒場を出た。


「ああ……すっかり、遅くなっちゃいましたね」

「あっ……ん……ぎゃ……えっ……」


 隣の女性が信じられないような表情かおをしてくるのが、よくわからない。話し合い自体は上手く行ったと思うのだが。


 それよりも……ヤンは自分の体内にある螺旋ノ理らせんのことわりを胸越しに触れる。まるで、得体の知れない力が、この場所へと導いたかのような。


 そして。


「……」


 黒髪の少女は、確かにその鼓動を確認した。

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