海港ドレスアーチ


           *


 海港ドレスアーチ。砂国ルビナ最大の港町のヤンはイルナス、ラシードとともに、その場所にいた。


 3人は目立たない裏路地に入り、キョロキョロしている1人の男を発見した。ヤンは見知った顔を確認して、すぐさま駆け寄る。


「おお……嬢ちゃんか」

「お久しぶりです。バクセンさん」


 黒髪少女は、頭まで覆っていたローブを取る。


「いや、まさか嬢ちゃんが、あの英雄へーゼン=ハイムのお弟子さんとは……驚いたよ」

「英雄というか、ただの上位悪魔ですけどね」

「ははっ! なんだそりゃ」

「……」


 バクセンは大いに笑うが、笑い事ではない。


「でも、本当にありがとうございます。わざわざ、砂国ルビナまで」

「いやいや。お安いご用よ。あの大豪商ナンダルとも会わせてくれて、給金も目が飛び出るくらいもらっているからな」

「な、ナンダルさんて、そんなに有名なんですか」

「有名なんてもんじゃねぇよ。もう伝説レジェンドだよ、伝説レジェンド

「……」


 今、あの人は、体重何キロぐらいあるのだろうか。昔は割と恰幅のいい方だったのに、最近見たらもう別人のように痩せ、目のクマもクッキリと覆われていた。本人が働くのが好きとはいえ、さすがにやりすぎなのではとも思う。


「でだ。これが、当面の軍資金とお目当てのもの」

「わー! 助かります!」


 ヤンは、ラシードに見せないように財布の中にお金を入れて、もう一つ……小さなスティック型の魔杖を受け取る。


「なんだそりゃ?」


 ラシードが、怪訝な表情で尋ねる。


「ふっふっふっ……まあ、見ていてください」


 黒髪の少女は勝ち誇ったように笑顔を浮かべて、路地裏から大通りの人を物色して狙いを定める。そして、同い年くらいの少女めがけて魔杖を振るう。


 すると。


「……ほぉ」


 ヤンの風貌は、目鼻立ちも身長もまったく違う、先ほどの少女の風貌になっていた。イルナスも、ビックリして目をパチクリとしている。


 へーゼン=ハイムから支給された魔杖『魔鏡変化まきょうへんげ』の効果である。常時魔力を消費する代わりに、指定した別人に成り代わることのできる魔法だ。


 帝都脱出の際は、星読みの魔力感知を恐れて使用できなかったが、潜伏先も落ち着くようになってから、ヤンが『お外出たいお外出たい』と手紙でヘーゼンにおねだりした形だ。


「さて、今度はイルナス様ですね」


 そう言ってヤンは、路地裏から顔をピョコッと出す。


「……うーむ。残念ながらイルナス様くらい、お可愛い子は、やはり、いませんね」


 別人となった少女は、厳しい目で物色する。


「や、ヤン。あの人! あの人カッコいい。僕、あの人がいい」


 イルナスは目をキラキラと輝かせて、イカつ目のダンディな男を指さす。


「嫌です。子どもじゃなきゃ、絶対」

「な、なんで!? 大人にもなれるんだよね!?」

「わがまま言わない」

「理不尽に諭された!?」

 

 イルナスがガビーンとする中、ヤンは数段可愛さは落ちるが、可愛い子どもを見つけて『魔鏡変化まきょうへんげ』を振るう。


「うん。いいじゃないですか」


 鏡を出すと、イルナスが別人の同年代くらいの子どもになっていた。


「大人のガッチリした、強そうな大人がよかった」

「うーむ……でも、そうなると、身体が膨張して服が破けて、素っ裸になりますよ。それでもいいですか?」

「最初に言って!?」


 やはり、イルナスがガビーンとする。


「かっかっかっ! お尋ね者は大変だねぇ」

「常時、借金取りに追われてるアル中には言われたくないんですよ」


 ヤンはガチの苦言を呈する。


 ひと通りやり取りが終わったところで、ヤンたちは商人バクセンと別れて大通りへを闊歩した。


「んー! やっぱり、堂々と歩けるのは気持ちいいものですね」

「……」

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。きちんと別人になってますから」


 ヤンは不安気なイルナスに笑顔で答える。


 大通りには屋台が広がり、人々がしきりに往来して活気がある。


「へぇ……かなり栄えているんだね」

「海港ですからね。新鮮な魚を売るので有名なんですよ。さて……今日はいっぱい買いましょう」


 ヤンが張り切って物色を始める。イルナス自身も初めてコシャ村から出たので、普段見慣れぬ景色が新鮮で楽しい。


 ……結構、豪快にポイポイと物を買っていくな、とイルナスは思う。


「しかし……いくらなんでも多くない?」

「近隣にお裾分けです。私たちは新参者ですからね。そこらへんは上手くご近所付き合いをしないと」

「……ヤンは凄いなぁ」


 イルナスは思わず感嘆の声をあげる。怒涛のような仕事をこなしながら、イルナスの世話もこなし、アル中の介護もし、近隣への配慮までするのだから。


「結構重要なのですよ? 平民では、家庭を支えるのは夫で、盛り上げるのは妻です。子どもは当然母親の影響をより多く受けますから。逆に彼女たちから好印象を持たれれば、夫も子も嫌うことは難しいものです」

「……僕もヤンのように立ち回ればよかったのかな」


 イルナスが思わず下を向いた。


「ああ、そんなつもりじゃなかったんです。どうか、落ち込まないでくださいませ。それに、イルナス様のお立場だったら、そのように立ち回るのは難しいと思います」

「……うん、そうだな。過去のことは過去。これから、気をつければいい。ありがとう、ヤン」


 イルナスは心の中で陰鬱な感情をしまい込んだ。正直、引きずっていないわけではない。それだけ、あの牢獄のような時間は長く、苦痛だった。


 しかし、ヤンが自分のためにオロオロしたり、悲しい顔をするのは嫌だ。無理やりにでも明るく、切り替えて行こうと決めた。


「ヤン……お酒飲ませて」

「んもうアル中!?」


 少し歩くと、鮮魚売り場が集まる通りがあった。ヤンは黒いクリクリとした瞳を輝かせながら、一つの魚を見る。


「うわぁ、イルナス様。見てください。これ、多頭魚タロレですよ。ここら辺は多頭魚タロレもとれるんですね」

「うっ……ちょっと、気持ち悪くないか?」


 直径60センチほどの大きさで頭が三つ。尾びれが一つしかない、文字通りの多頭の魚だ。とてもじゃないが、食べる気にはならない。


「これください! うーん……3つね」

「か、買うのか!? 買う気なのか!?」

「塩焼きにしたら、脂がのってて凄く美味しいんですよ。形が不気味なんで安いし、栄養も豊富です」

「う、うーむ……」


 どのような味かの想像がまったくつかない。宮殿料理は、味も大事だがそれよりも見た目にこだわる。明らかに変異的な形をしているこの魚はレシピにもあがらないだろう。


 ヤンは他にも魚を選んで入れていく。黒異貝グイガ夏牟海老なむえび深緑鯛シロダ、等々……


「な、なんか気持ち悪い食材ばかりなのだが」

「あら? 黒異貝グイガの身が飛び出しているのは大きいからだし、夏牟海老なむえびは殻が固いので身は柔らかいです。深緑鯛シロダはよく体内に光を留めるので魔力発現の促進をすると言われます」

「なっ……ヤン、深緑鯛シロダにはそんな効果があるのか?」


 イルナスは瞳を爛爛と輝かせる。こんな見た目が真緑な魚に、そのような効果があるだなんて。


「も、もっと買おう。これをいっぱい買おう!」

「ちょ……ちょっと落ち着いてください。予算オーバーです。まだ、買いたいものもありますし」

「う゛――っ……じゃあほら、黒異貝グイガを買うのをやめて、もう少しだけ買おう」

「あっ、ちょっと……黒異貝グイガの出汁はいい味を出すんです! これは、汁ものには欠かせないんです!」


 とヤンは慌ててイルナスの手を阻止しようとするが、彼の手は頑なだった。ほぼ全力で、黒異貝グイガを棚に戻そうとする。


「はぁ……イルナス様。そんなに大きな効果があるわけではないんですよ?」

「それでも、少しでも効果が出るなら毎日食べたい」

「……あまり言いたくはないんですが、イルナス様の魔力発現はもう少し遅いと思います。まあ、そうなって欲しいなと言う想いもありますが」

「なっ……なんで!?」


 心苦しそうなヤンに、イルナスは驚愕の表情を浮かべる。


「魔力発現には兆候があり、今のイルナス様にはそれがありません」

「……その兆候とは?」


 魔力発言前、身体の中に胎動を感じた。ヘーゼンが螺旋ノ理らせんのことわりを飲ませ発言したのは、あくまで、キッカケに過ぎないと考えている。


 でも……


「今は教えられません」

「な、なんで!?」

「イルナス様に教えたら、なんとかその兆候を起こそうとされるでしょう。そう言った類のものではないのです。いずれ来る魔力発現に囚われることよりも、平民での実生活を大事にして頂きたいのです」

「……」

「また、魔力発現が起きればイルナス様の状況は一変します。今のような生活を続けることも困難になるでしょうし、そもそも準備が全然整っていないのです」

「……」


 イルナスはガックリと肩を落とした。両方とも正論で反論の余地がまったくない。これ以上は童子のわがままだし、そんな駄々をこねる小さい子だとは思われたくない。


「でも……駄々を捏ねるイルナス様、すっごく可愛かったです!」

「……ヤンは男心がわかってない」


 イルナスは彼女にそっぽを向いた。

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