仕事
フォーブス次官は、耳を疑った。
「あの男が、そんなことを? わ、私はまったく知りませんけど」
「あ? そんなこと知るか! さっさと動けよ!」
「いえ。大事なことですので、直接聞いてきます」
「そんな暇ねぇんだよこの野郎おおおおおおおおっ!?」
「ひっ」
額に垂れ下がった前髪の塊を『これでもか』と言わんばかりにグリグリしながら。リィゼン長官は、真っ赤に充血した目で凄む。
「お前、状況がわかっているのか? あと、数日でデータを改竄しなければ……いや、その前に魔杖
「そ、それならば、尚更、私だけでは手が足りませんので応援を……失礼します!」
「あっ……おい、待てえええええええええっ!」
フォーブス次官は、リィゼン長官の手を振り切って部屋を出て早歩きで廊下を歩く。
まずい……まずいまずい……まずいまずいまずい……まずいまずいまずいまずい……
早く、代わりに業務をやる者を見つけないと。あのパワハラ無能男の標的になってしまう。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息を切らしながら、フォーブス次官は、別の執務室の部屋を開ける。
「お断りします」「できません。仕事のキャパがいっぱいなので」「いや、自分の能力では無理です。申し訳ありません」「すいませんが、忙しくて手が離せません」「本当に自分は無能で無理です」「できません」「できません」「できません」
・・・
「できません」
「……っ」
なんだ……いったい、何が起きているんだ。どいつもコイツも口を揃えて、『できない』と言ってくる。今までは、そんなことなかった。生贄なんぞ、いくらでもいた。
それなのに……
「はぁ……はぁ……おい! おいいいいいっ! フォーブス! てめえええええっ!」
「……っ」
そんな最中、リィゼン長官が息をきらしながら、走って追いかけてくる。そして、全力で胸ぐらを掴んで、前髪の塊をグイグイと押しつけてくる。
「何をしている!? 早く来い! 進捗の報告は!?」
「い、いやそれが未だ適任者が見つからなくてーー」
「……だいたい、なんでお前が動かないんだ?」
「……っ」
まずい。
「ねえ、なんで? よく考えたら、お前が私の直属の部下だよな? なんで? お前って今まで隣でクソ助言かましてただけだよな? 本来は、お前が報告すべき問題じゃねーの? ねえ、なんで? なんで? なんで?」
リィゼン長官は、前髪の塊をギュウギュウと押しつけながら迫る。
「いえ、ですから私がそれを部下に指示をしてやらせるということです。私は、あくまで上位者としてーー」
「だが、誰も手が離せないんだろ? だったら、お前が責任を持ってやれよ」
「……っ」
それは……それは、困る。
「いや、部下がーー「お前がやれ! 今後、部下に報告ことは一切禁止だ! お前が責任を持って私に報告をしろ!」
「……っ」
*
「……」
そんな2人のやり取りを複雑そうに見つめながら、ラスベルはヘーゼンのいる執務室へと入る。
そこには、数週間前に部下だった男が、申し訳なさそうな表情で立っていた。
「も、申し訳ありません。地方貴族との交渉に失敗しました」
「そうか」
ヘーゼンは落ち着き払った様子で、報告書を一瞥する。
「巻き返せるか?」
「はい!」
「わかった。報告書を読んだが、君ならできると思う。もし、失敗した時には、僕が責任を取る」
「……ぅはい! 頑張ります」
男は大声で、エネルギッシュに、意気揚々と下がっていく。そして、すれ違うラスベルに。
「ぅしっつれいしまっす!」
「お、お疲れ様です」
元気よく挨拶をして、大股で去って行く。
「……生き生きとしてましたね」
「必死でやれば、それが自信になるものだ。あとは、それを評価し、信用すること。失敗の責任を取るという姿勢を見せること。これだけで、仕事というものは随分と違ったものに映るはずだ」
「……」
確かに、彼らは変わった。数週間前には、窓際でイジけて、仕事をまったくしなかったのに。あくまで、強制なのは間違いはないが、どこか嬉々とした様子にも映る。
「ということで、はい」
ヘーゼンはラスベルに報告書を手渡す。
「な、なんですか?」
「難しそうならば、影ながら手伝ってやってくれ」
「……っ」
いや、激務。日夜、軍神ミ・シルにしこたまシゴかれて、悪魔の秘書官なんかやらされて、もう秒単位のスケジュールなんですけど!?
「や、やれそうだから任せたんじゃないんですか?」
「いや、内容は見てない」
「……っ」
見てないんかい。それでも、『やれると思う』とか言ってたんかい。
「失敗すれば成長につながる。落ち込んでイジけなければ、不貞腐れて放棄しなければ、挽回の機会はある。それが、『生きる』ということだ」
「……」
これが、ヘーゼンの本質だろう。どれだけ能力がなくとも、その人なりに精一杯やることは、それは立派な
ひたむきに仕事をする人を、ヘーゼンは『仕事ができる』と定義するのだろう。
それは、わかる。
わかるんですけど。
「あの……私もなかなかーー」
「ヤンはやってたぞ? しかも、あのお人好しは自発的に」
「……っ」
性格最悪。
「期待している」
「はっ……くっ……」
ガビーン。どうして、そんな笑顔ができるのか。
「私とヤンだけに厳しくて、他に甘すぎません!?」
「僕は、僕を超える可能性のある者しか鍛えるつもりはないからね」
「……っ」
それを言われると。
「ところで、彼らの様子は?」
ラスベルのガビーンを完全に棚上げにして、ヘーゼンは淡々と話題の転換を図る。悪魔耐性を持つ彼女もまた、反射的に報告をする。
「……予想よりも、一歩も進んでませんね」
「まあ、予想通りだな」
「……っ」
黒髪の青年は、納得した表情を浮かべる。
「……さすがに、あれほど能力が皆無だとは思ってませんでした。コネだけの上級貴族とはいえ嘆かわしい限りです」
「環境が人を狂わせる。君も組織に長くいればわかる。働く者と働かない者は、ハッキリと分かれるものなのだよ」
「……」
「中でも、天空宮殿は魔窟だよ。人が腐り、自身の欲望のみを追求する者が跋扈している」
「だからこそ、
一年前、へーゼン=ハイムは、帝国将官制度の抜本的な改正を皇帝陛下に直訴している。それは、デリクテール皇子が担当することとなり、不正もかなり少なくなったと聞く。
「あの方は優秀な方だ。そして、モルドド内政官をはじめ、優秀な者の多い陣営だ。いい仕事はしてくれると思う」
「敵なのに、信用をしているのですね」
「彼らは敵であり、敵ではない」
「……どういうことですか?」
「帝国を発展させるという意味ではベクトルを揃えることができる。その意味では、協力関係にも敵対関係にもなりうる」
「……」
「一方で、上官に謙り、部下には横柄な態度を取る。自分が楽をしたいがため問題を直視せずに、他人にやらせようとする。そんな輩は、共通の敵だ」
「……」
「どの道、彼らに待っているのは地獄だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます