生きる
*
「魔法は、魔杖から放たれる。では、それが手から離れればどうなる?」
「「「「「ぜぇ……ぜぇ……」」」」」
無数の生徒たちが、屍のように倒れこんでいる中で、講義で、へーゼン=ハイムは続ける。
「はぁ、情けないな。こんなこともわからないとは」
「「「「「「……っ」」」」」」
冗談じゃない、と特別クラスの生徒たちは思う。全員がかりで、対峙した。なんなら、ヤンは激しく殺す気だった。
だが、横たわって声すら出せないのは、特別クラスの生徒全員。
そして、息も切らさずに、倒れ込んでいるヤンの背中に座っているのはへーゼン=ハイム。
「正解は『魔法が使えない状態だ』と判断する。まして、接近戦が得意ならば、当然、トドメを刺しにくる。そこを討つ」
へーゼンは、血に塗れたハンカチで指と魔杖を結ぶ。
「これで、魔杖が使える。それぞれ、使えるようにしておくように」
「そ、そんな限定的なこと、役に立つんですか?」
特別クラスの生徒が尋ねる。
「戦闘能力の向上は、限定的な経験の積み上げだ。あらゆることが起こる可能性があるからこそ、あらゆる場面を想定することはできない。そうではなく、あらゆる場面に応じた、限定的な経験の組み合わせで乗り切らなくてはいけない。それ、すなわち閃きということだな」
「……」
無からは打開策は生まれない。何かと何かを結びつけることによって、生みだすものなのだと、ヘーゼンは、ヤンの背中に座りながら解説を続ける。
「大事なことは『魔杖を手に持っていないと魔法が使えない』という思い込みを大多数の者が持っていることだ。勝つために必要なことは相手の隙をつくこと。どうすれば、それを見せるのかを常に考えておきなさい」
*
まさしく、テナ学院での経験が生きた瞬間だった。前に
あとは、どれだけ自然に血で染めさせるか。
あえて攻撃を受けて、止血のために包帯が結んである手のひらで傷口を握った。あとは、ゲルググの視線が外れた隙を見て、魔杖と包帯を結ぶ作業だが、イルナスが大きな役割を果たしてくれた。
イルナスが思いのほか取り乱して、ゲルググの意識を引きつけてくれた(可愛い)。天空宮殿育ちで、危険な目になど遭ったこともないのだろう。
あとで、ナデナデしようと、ヤンは心に決めた。
「……」
一方で、やはり、
特に、不利な盤面でこそ、逆転し得る戦いができるようになっていた。
へーゼン=ハイムは、圧倒的な魔法使いだ。あの男よりも優れた魔法使いは、見たことがないが、叩き込まれた戦い方の多くは、『いかにして自分よりも優れた魔法使いに勝つこと』だった。
「……」
常に自分よりも強力な敵と戦うことを想定している……だが、あの男よりも強大な敵など想像ができない。
「っと。そんな場合じゃないな」
すぐにヤンは思考を切り替えた。目下、重要なのは行動を縛っている2人。
「ぐおおおおっ! 離せ離せ離せーーぐがっ!?」
何度も叫んでもがくバガ・ズを、取り敢えず牙影で気絶させた。こっちは、後でどうとでもなる。
問題は、もう一方だ。
「契約魔法で、私たちのことを話さないのなら、命は助けます」
「冗談だろう? 真っ平ごめんだな」
ゲルググは、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……」
ヤンは、グルグルグルと思考を巡らし、やがて、一瞬、歪んだ表情を浮かべる。
一刻も早く彼らを処分して、痕跡を消さなくてはいけない。
仕方がない。
バガ・ドも、ゲルググも捜査士だ。生かして戻れば、逃亡した方角が早く割れてしまう。イルナスが見つかる可能性が高くなってしまう。
ヤンは、ナイフを取り出してゲルググに近づく。
その時、イルナスが、2人の間に入って止める。
「……ダメだ!」
「仕方がありません。天空宮殿に戻れば、足取りが割れてしまいます」
「……なんとかならないだろうか?」
イルナスは、泣きそうな声で問いかける。気持ちはわかるが、黒髪少女は首を横に振った。見逃すわけにはいかない。
「このまま放っておけば、後にイルナス様にとってマイナスになります」
「しかし、彼らは誘拐犯だと思っているヤンを捕まえようとしただけだ。なんの罪もない」
「イルナス様、覚えておかなくてはいけません。罪なき者が生き残れるのではないのです。生き残る者こそ、罪なき証なのです」
「……」
ヘーゼン=ハイムのようなことを言うのだなと、ヤンは心の中でつぶやく。
それが、極論だと言うことはわかっている。そして、そんな考えを押しつけるのはいかがなものかとも思う。
しかし、現在置かれている状況からするとこう言わねば。
追ってきた捜査士をホイホイと逃していたら、命がいくつあっても足りないのだから。申し訳ないが、イルナスには引いてもらうしかない。
「せめて、一度だけでも説得できないだろうか? ヤンは『一人でも多くの味方を作らないと』と言ってたではないか」
「ダメです。どいてください」
ヤンは、キュッと唇を結んで、イルナスの横を通ろうとする。
だが。
「……嫌だ」
「ですが、イルナス様。これは仕方がなくーー」
「ダメだ! ヤンは……ヤンには……
必死に、絞り出すように、イルナスは声をあげる。
「……」
しばらくの沈黙が流れた後、ヤンはフッとため息をついて一歩下がる。
「……わかりました。イルナス様、説得なさいませ。ダメなら、殺します」
イルナスは、ホッと安堵した表情を浮かべて、恐る恐るゲルググに近づく。
「……」
何も言わない。なんと言葉を続けようかと考えている状態なのだろう。
「……はぁ」
この皇子は、あまりにも
だが、どうしてもそれを否定する気にはなれない。
ヤンは2人に向かって声をかける。
「私は殺そうとしたのですが、イルナス皇太子殿下がイタズラに命を奪わないよう指示されました。その慈悲に感謝してください」
「こ、皇太子……やはり……君は誘拐犯ではないのだな?」
ゲルググは、その言葉に反応して尋ねる。
「いえ。誘拐犯ですよ。誘拐しなければ、イルナス様が殺されますから」
真鍮の儀式でイルナスが皇太子に内定したこと。天空宮殿から逃げなければ、他の皇位継承候補に殺される可能性が非常に高いこと。
ヤンはことの顛末を端的に話した。
十中八九は駄目だろうと思うが、彼が味方になってくれれば大きい。
「……なるほど、派閥争いに巻き込まれたという訳か」
ゲルググは唇の端を歪ませて笑った。ヤンはその表情を見て心が暗くなる。
「派閥はお嫌いですか?」
「ああ、嫌いだね。派閥によって左右される状況も嫌だし、派閥によって『捜査をするしない』を決める上層部も反吐が出る。こっちは命をかけているのに、あっちは私たちのことを単なる駒としか見ていない」
「……」
ゲルググは殺される覚悟で話をしている。それは、伝わってきた。ヤンにはこれ以上説得する言葉は持たない。
彼は彼で相当辛酸を嘗めてきたのだろう。いや、ヤンの想像以上の出来事があったのかもしれない。
「さっさと殺せ。覚悟はできている」
「……殺される覚悟はあるのに、生きぬく覚悟はないのだな?」
イルナスはつぶやき、ハッとゲルググは上を向いた。童子の瞳には涙が溜まっていた。怒りなのか、悲しみなのか、それとも恐怖なのか。声を震わせて、必死にゲルググを睨みつけて。
「なぜ命乞いをしない? なぜ助かる機会を棒に振る? 僕が弱いからか? 僕が何の力も持たぬ皇位継承候補者だから、どうせ味方についたところでと……そう思っているのか?」
「……派閥は嫌いなんです」
「なにがあったかは知らぬ。聞かぬ。好きもあろう。嫌いもあろう。ただ、それがゲルググ、お前の死ぬ理由か?」
「……」
「嫌いになったから死ぬ。なら、好きになったら生きるのか? ゲルググ、ならば、お前は何に命をかけていた? 上層部から駒と見られてまで、お前はなぜ捜査士を続けているのだ?」
「……」
「ゲルググ……僕には……
「……」
ゲルググはイルナスをジッと見つめ、やがて首を縦に振った。
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