エヴィルダース皇太子(2)
完全に意図しない、変な擬音が出た。
頭の理解が追いつかずに、変な擬音が。
イッタイ、コイツハ、ナニヲイッテイルノダロウ。
そう言えば、昨日と今日で一睡もしていない。疲れて意識が飛んでしまっていたのではないか? それで、肝心な箇所が飛んで、あのようなヘンテコな言葉になったのだ。
エヴィルダース皇太子は、恐る恐る、聞き返す。
「アウラ秘書官。貴様、今、なんと言った?」
「イルナス皇子が、皇太子に内定したようです」
「……っ」
幻聴じゃ……
幻聴じゃなかった。
「ククク……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ!」
途端に、エヴィルダース皇太子は激しく笑い出す。
パンパン。
パンパンパン。
「じょーー」
「断っておきますが、
「……っ」
先んじて、アウラ秘書官が続く言葉を封じる。
「信じられないのも無理はありません。ですが、ほぼ間違いなく事実であると思います」
「ふざけるなーーーーーーーーー! そんな訳があるかーーーーーーー!
エヴィルダース皇太子は、胸ぐらを掴み猛然と叫ぶ。頭が爆発しそうなほどの怒りが込み上げ、全身が止めどなく熱い。目も飛び出そうなほど剥き出しになり、眼球は真っ赤に充血する。
だが、目の前にいる秘書官は、落ち着いた表情で、淡々と説明を続ける。
「エヴィルダース皇太子、時間がありません。イルナス皇子は、すでに天空宮殿を脱出したようです」
「だ、脱出……だと!?」
「へーゼン=ハイムの手引きです」
「……っ」
瞬間、歪んだ笑みを浮かべた黒髪の男がフラッシュバックした。この殿上人である自分に土下座をさせたあの屈辱が、脈々と全身に蘇ってきた。
「あの男が黒幕か!? おのれ、星読みどもを騙して、皇太子の座を簒奪しあのゴミを傀儡に仕立て上げようと言うのだな!?」
「……恐らくは、違うと思われます」
「ふざけるな何が違う!?」
そうでないと、説明がつかない。そうでないと、説明がつくはずがないのだ。あの卑怯鬼畜異常者が卑劣極悪な細工でもしない限り、断固として起こり得ない事象なのだ。
「星読みの魔力感知能力は本物です。へーゼン=ハイムの能力は底が知れませんが、彼女たち全員を騙すことは不可能です」
「だったら何が言いたいのだ!? 答えろ!」
「話は単純です。イルナス皇子の潜在魔力が、エヴィルダース皇太子を大きく凌駕しているのです」
「……っ」
全身が総毛立った。潜在魔力が劣る? 毎日毎日厳しい修練をし、上げていった自分の魔力が? あの不能で無能のクソ玩具奴隷オブ奴隷のアイツに?
そんな訳がない。
「ふざけるなああああっ! そんなバカな……そんなバカげたことがあるか! そんなバガげたことがあるかああああっ!?」
あのゴミが。あのクソが。あのカスが。そんなことはありうる訳がない。
ありうべきではない。
だが、アウラ秘書官は動じず、落ち着いた表情で推測を話し続ける。
「へーゼン=ハイムの弟子であるヤン=リンは、以前、小さな幼児でした。しかし、1年前に私が再開した時には16歳ほどの体格になってました」
「だから何が言いたい!?」
「爆発的に成長したのです。異常な魔力とともに」
「……っ」
コイツは、いったい、何を言っている。そんな荒唐無稽な話を信じろと言うのか。バカなんじゃないか? コイツが有能だと言うのが、実は大きな間違いで、本当は単なる、真なるバカなんじゃないのか?
エヴィルダース皇太子は、恐る恐る尋ねる。
「そなた、頭は大丈夫か?」
その問いを完全にスルーして、アウラ秘書官は話を続ける。
「見たでしょう? ヤン=リンが救国の英雄グライド将軍の幻影体を操り、
「……っ」
確かに、あの時は度肝を抜かれた。ヤン=リンと言う少女の魔力は、明らかに大国のトップ級以上のものだった。
いや、でも、だからって。
「……あ、あ、あのゴミも、同じだと言うのか!?」
「恐らくは……いや、もしかすると彼女以上かもしれません」
「……っ」
エヴィルダース皇太子は、アウラ秘書官の両肩を掴み、狂い叫ぶ。何度も何度も。何度も何度も何度も何度も。
「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん認めん!」
アウラ秘書官の顔が、撒き散らされた涎でベッタベタになる。だが、その表情はまったく動じない。嘘をついているとは思えない。
だが、こんな不条理が、許される訳がない。
あのゴミが、絶対にそんな訳がない。あのカスは、生涯自分の玩具だ。奴隷の奴隷として、泣いて死を懇願しても許さずに玩具として生かし続けるだけの劣悪な存在だ。
それが……
「逃避したところで、事実が変わるわけではありません。とにかく、急いでイルナス皇子の身柄を確保しなければいけません」
「……そうだ。捕まえれば、わかる」
エヴィルダース皇太子は、自身に無理矢理納得させる。ヤツに聞けば、すぐにわかることだ。
だが、皇位継承順位は最下位。
その答え以外は、絶対に許さない。それ以外を言おうとすれば、顔の形が変わるほど、グチャグチャ顔面をぶん殴り続けてやる。命乞いして、泣き喚いて、死を懇願したとしても生かし続け、痛ぶり続けてやる。
「ああそうだなハッキリさせてやろう! すぐさま、あのゴミカス奴隷の奴隷を捕まえて、吐かせてやろう!」
エヴィルダース皇太子は、すぐさま身を翻して馬を走らせる。絶対に、嘘だ。完全不可逆的に。天地がひっくり返っても嘘に決まっている。
そんなことは許されない。
「ヒッ……ヒヒーン!?」
「黙れクソが! 早く行けっ!」
発狂しそうな心地で、何度も何度も思い切り馬に鞭を入れる。
「そ、そっちじゃありません! まずは、護衛省に向かわなければ」
「ぅ早く言えーーーーーーーー!」
発狂せんばかりに叫んだエヴィルダース皇太子は、手綱を思い切り逆に引っ張って、方向転換を図る。
だが。
「っ、ブルヒヒィーン!」
「ぅぼぉ……きん!?」
その力が無理やり過ぎて、慣性の法則に負けて、地面へと落馬した。
「ぐっがああああああああああああっ!」
そのまま、地面に落ちていた糞に、顔からダイブした。
「……」
糞まみれ。口にも、ベッタリとついて、なんなら口内に完全にインして、糞臭い香りが充満する。
「エヴィルダース皇太子! だ、大丈夫ですか!?」
アウラ秘書官が、急いで糞に塗れているエヴィルダース皇太子に駆け寄る。筆頭執事のグラッセもまた、小さくため息をついて駆け寄る。
「……」
エヴィルダース皇太子は、その場で佇んでいた。顔から鼻血が出っぱなしで、前歯も一本折れた。それでも、そんな痛みは感じずに、ただ放心状態だった。
「……」
「……」
「……」
「……(臭いなぁ)」
・・・
「ぶぼぉええええええっえっ……うぐ……ぐう……あがっ……ぐうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ……ひうぅ
ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ」
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