馬倶
*
「ビシャス護衛長……い、い、今、なんとおっしゃいましたか!?」
「……そなたを天空宮殿外の、イルナス皇子捜索責任者に任命する」
「ふんぐぅ……っ」
その言葉に、バガ・ドはポロポロと感激の涙を流した。この老人は、
皇族が関わるような事件は、
しかし、そんな評判など気にする様子もなく、日々地道な捜査に励む老体が、バガ・ドという男だった。
「ははっ! ご期待に添えられるよう必ずや、犯人を捕まえてみせます」
「……期待している」
無愛想に答えたビシャス護衛士長は、むしろ、逆方向の期待をしていた。現時点で、事件はエヴィルダース皇太子が関わっている線が濃厚である。
暗部を動かし、下手に尻尾など捕まえてしまえば、まず、ビシャス護衛士長はこの世から抹殺される。
その点、長年の付き合いであるこの耄碌老人は安心だ。超馬鹿。班員も、のろま揃い。その癖、妙な正義感だけは発揮するのだから、なおさら愚かだ。
「我らにお任せくだされば、万事解決で、ございます。正義は、我らにあり、でございます」
「……」
*
「まあ、そうメソメソしないで。あなたが選択したことなのに」
「あぐっ……あぐえぐっ……おうんぐっ……へぅんず……まぁ……」
ヘーゼンは、土下座し号泣しているビシャス護衛士長の背中に腰掛け、書類をパラパラとめくる。
「はぁ……なにが不満か、全然わからないですね。別に人生が終わった訳ではない。基本的に日常生活を送ることもできるし、休日には余暇を楽しむこともできる。ただ、私の指示にはすべて従ってもらいますが」
「えんぐっ……ええええんぐぅぅう……えんぐぇゔぃ……えゔぃ……」
レザード副護衛士長も、土下座しながら、咽び泣き、えずいている。
だが、そんな様子を1ミリも気にせず、ヘーゼンは2人の前に羊皮紙を置く。
「まあ、捜査士はこの辺りでしょう。細かい人選は、あなたたちにお任せします。私よりもよく知っているでしょうから」
そう言って、ヘーゼンは立ち上がり、未だ泣いているレザード副護衛士長の髪をガンづかみして、睨みつける。
「おい、被害者面するなよ……同じだろ?」
「びひっ……ぐぅ……いっぎぃぃぃ」
「お前たちは、弱者には正義の味方面して法の番人を気取り、一方で、強大な権力には迷わず尻尾を振る犬だ。優先順位のトップが僕になっただけ……お前らの腐った本質は、何も変わらない」
「はっ……びっん゛ん゛や゛ん゛め゛ぇ゛ぇ゛っ゛」
「……」
のけぞり泣くレザード副護衛士長の髪を離し、ヘーゼンは立ち上がって笑顔を浮かべる。
「これからも、中途半端な正義感を発揮して、権力者に許された、捕まえられる者だけ捕まえてください。それで、いいじゃないですか。奴隷として、あなたたちが職務を全うされることを心から願ってますよ」
「ぅあはぅ……う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ! う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ」
*
「ーーシャス護衛士長。ビシャス護衛士長。どうなされた!?」
「……っ、な、なんでもない」
不意に、先ほどの光景がフラッシュバックしてボーッとしてしまった。ビシャス護衛士長は、慌てて感情を取り繕う。
「……」
レザード副護衛士長は、先ほどから、一言も発さない。もう、抜け殻状態だ。
一方で、ビシャス護衛士長は、なんとか自我を保っている。
……そうだ。正義など、生き残る上では、不要なものだ。
そう何度も己に言い聞かせる。
「では、失礼します!」
バガ・ドが退出した後、ビシャス護衛士長は崩れるようにソファに雪崩れ込む。
「……」
とにかく……疲れた。
この案件を乗り切ったら、休暇を取ろう。長い長い休暇を。これからは、家族との時間を大事にして、極力平穏な毎日を過ごすのだ。
「……ははっ」
確かに
その時、部屋の外から、バガ・ドの大声が響く。
「護衛省上級捜査士長バガ・ド! この任拝命いたしました! 皇帝陛下の名の下に、必ずや国賊を捕らえて見せましょう」
「……」
ああ、こいつ、本物のバカだ、とビシャスは確信した。
*
大声で宣言した後、銀の全身鎧を着たバガ・ドは、更に扉に向かって一礼をする。隣にいたのは、茶髪の若い男だった。
名はゲルググ=ドラノと言った。
痩せ型で眼光が鋭い猟犬のような雰囲気をまとう男。そんな彼がバガ・ドの様子を渋い表情で眺めながら、眉間に皺を大きく寄せる。
「ビシャス護衛士長の信頼に応えねばな。ゲルググ、
「……はい」
「声が小さい! もっと、腹から力を出せ、腹から!」
「……はい! ……はぁ」
捜査士ゲルググは、踊らされているのにも関わらず、狂喜乱舞しているバガ・ドを見ながら大きくため息をついた。
決して悪い老人ではないのはわかっている。
しかし、何事もまっすぐで融通も効かず、機転も利かず、正義の名の下に猪突猛進していくだけの捜査士長の副官は非常につらい。
天空宮殿内の評価が非常に苦々しいメンバーで構成されている。
こんな構成でどうやって犯人を捕まえればよいのかとゲルググはため息をつく。
「点呼!」
「1……2……3……4」
「よし! 報告」
「バガ・ド捜査長……全員揃いました」
5人だけの点呼って意味あるのかという疑問を封じ込めつつ、副官ゲルググは張り切っている捜査長へ報告する。
「……」
絶対に犯人を捕まえることができない、という想いは胸に秘めた。
やっと捜査が開始された。イルナス捜索の任を拝命して実に30分後だった。初動は迅速さが重要だが、圧倒的に遅い。
班内会議において、まず、どこを捜査するのかという話になった。
「当然、貴族地区だろう。高貴なる皇子なのだから、当然だ……とすれば、裏の歓楽街か……」
「……私は、貧民地区だと思いますが」
バガ・ドに反論したゲルググに、ファゾは嫌そうな表情を浮かべる。貴族でもあり、独身貴族でもある彼は、そのまま帝都歓楽街の
「そなた……バガ・ド捜査長が貴族地区だと言っているではないか! 長の意見を否定するのは、信義に反する。昔、
「……いえ、決してそのようなことは」
確かに大方の捜査士は貴族地区から行くだろうなとゲルググは思った。しかしそれは派閥を意識していないからだ。現時点の情報では誘拐に他の皇族が絡む要素がない。
そうだとすれば、上級貴族の犯行であることが覗えるが、今の情勢でイルナス皇子の誘拐などを匿うことになんの益もない。よって、貴族の邸宅で匿われる可能性は限りなく低い。
とすれば、平民地区か貧民地区だ。どちらもメリットとリスクが混在するので、確信的なことは言えないが、自分なら貧民地区を選択する。
「……」
ただし、彼ら暗部を使わずに、自分たちのような3流捜査士に任せられるのは、どこかきな臭い。
だが、バガ・ド捜査長は感心したように頷く。
「なるほど……ゲルググ、でかした」
「バガ・ド捜査長!? こ、こんな当てずっぽうの意見を採用するのですか?」
どうしても歓楽街に行きたいファゾが目を大きく広げながら叫ぶ。
「なにを言う! 苦言を受け入れてこそ、長としての役目。ゲルググは見事、部下の義を果たしたのだ。そのような彼の意見を尊重しないで、なにを信じることができるのだ。上級捜査班、
「……」
席を立って、全力で走っていくバガ・ドの背中を見つめながら。ヤバい人ではあるが、悪い人ではないのだ、とゲルググは何度も自分に言い聞かせた。
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