デリクテール皇子(2)


           *


 半日後、エヴィルダース皇太子が、筆頭執事のグラッセとともに、部屋に入ってきた。


「どうしました? こんな夜中に」


 デリクテール皇子が尋ねる。


「ああ。たまには、2人で語らいたいと思ってな」

「……」


 やはり、何かが起きたようだ。その瞳が少しだけ揺らぎ、真鍮の儀に見えたような余裕も感じられない。


 デリクテール皇子は、棚からワインを取り出し、2つのグラスに注ぐ。エヴィルダース皇太子は、杯を傾け迷わず口をつける。


「……ん。いいワインだな」

「母の故郷のものです」

「そうか……イルビナ様が亡くなって、もう12年が経過するのだな」

「ええ」

「あの時は、仲がよかったのに。皇位争いというのも因果なものだな」

「……」


 その頃、エヴィルダース皇太子の皇位継承順位は5位。対して、デリクテール皇子は2位だった。


 彼は、今よりもかなり幼かった。


 粗暴な気質は変わらないが、よく無邪気な笑顔を見せていた。デリクテール皇子は兄と慕われ、敬われ、よく甘えられていたものだった。


「いつ以来だったかな……2人で話すのは」


 エヴィルダース皇太子はつぶやく。


「……ユルゲル前皇太子が逝去する前だったと思いますね」


 デリクテール皇子もまた、ワインを口にして答える。紛れもなく、真なる皇帝の器を持った男だった……そして、彼の死によって、帝国は大きく暗い影を落としたと言っていい。


 初めて皇帝レイバースの涙を見たのは、後にも先にも、あの時だけだ。


「……そうか。確か、そうだったかな」


 エヴィルダース皇太子は、デリクテール皇子の話に興味は示さなかった。元々、会話のつなぎのつもりだったのだろう。内容などは最初からどうでもよかったはずだ。


 だが、本題を切り出し易い空気は作った。デリクテール皇子は、しばらく沈黙しワインを飲み続ける。


「ところで、今晩、皇位継承順位の内定があっただろう?」


 案の定、エヴィルダース皇太子は、その話題を出してきた。


「はい。ありましたね」

「前は、が皇太子で、お前が第2位であったな。それから、5年……長いような短いような」

「……」


 デリクテール皇子は、エヴィルダース皇太子の言葉を静かに聞く。


 そんな中、ロレンツォ次官が部屋に入ってきた。彼は、すぐさま、デリクテール皇子の側に近づき、耳打ちをする。


「リアム皇子は、皇位継承第3位です」

「……」


 デリクテール皇子は、静かに瞳を閉じた。


「どうした? 何かあったか?」

「……エヴィルダース皇太子」

「ん?」

「皇太子内定から漏れたんですか?」

「……っ」


 突然の言葉に、突如とした問いに、エヴィルダース皇太子は如実に動揺する。


「バカな。そんなことはない」

「……内定順位の公開は、公には禁止されています。だから、答えなくても構いません」

「……」

「私の皇位継承順位は、4位です。そして、リアム皇子は第3位です」

「……っ」


 その言葉に、エヴィルダース皇太子は驚いた表情を浮かべる。


「お前の言葉の保証は?」

「ともに内定宣告を受けた、ロレンツォ次官に契約魔法を結ばせましょう。先ほど、彼にはリアム皇子の順位も確認させました」


 契約魔法で嘘をつけば、その身を焼かれる。信憑性の高い情報の担保が得たいエヴィルダース皇太子には、喉から手が出るほど欲しい言葉なはずだ。


「……なぜ、にそのことを?」

「理由は2つ。1つは、リアム皇子の身の安全のためです」

「……が、次期皇太子候補に危害を及ぼすと?」

「ご想像にお任せします」


 デリクテール皇太子は、あえて、ユルゲル前皇太子の話をすることで牽制をした。


 常に見ているぞ、と。


 確証はない。デリクテール皇子も信じたくはない。だが、自身の心がどうしてもエヴィルダース皇太子を疑ってしまうのだ。


「……もう1つは?」

「ヘーゼン=ハイム」

「……っ」


 その名を聞くと、エヴィルダース皇太子の肩がピクリと反応する。


「もし、私の想像している通りであれば、最悪の事態が起きています」


 ヘーゼン=ハイム……あの男は得体が知れない。腹の底も読めない。果たして帝国にとって、幸運をもたらすのか、破滅をもたらすのか。


 だが、それを見極めるいとまもなく、あの男は、刻一刻と帝国の権力を手に入れようとしている。


「……あの男の息がかかった皇子が、皇太子になっているというのか?」

「……」


 わかりやすい男だと、デリクテール皇子は心の中でため息をつく。態度から、言葉から、仕草から、すでに自分が皇太子内定から漏れたことを示している。


 だが、こうした気質が、清濁を問わず、あらゆる者を群がらせるのかもしれないとも思った。


 権力とは、腐敗した無能にこそ集まってくる。


 それは、デリクテール皇子がこの1年で感じたことだ。


「……用事は済んだ。邪魔をしたな」

「そうですか。では、私の用件を」

「お前の?」


 部屋を出ようとする、エヴィルダース皇太子の足が止まる。


「取引をしませんか?」

「取引だと?」

「時間が惜しい。2手に分かれて皇太子の内定者を特定しましょう」


 互いの情報を契約魔法で明かし合う。そうすれば、時間は半分で済む。


「……お前を信じろというのか?」

「敵の敵は味方だ。今、この時は、少なくとも」

「……」

「……」


 エヴィルダース皇太子とデリクテール皇子は、少しの間、睨みあう。


「……は、これからルーマン皇子、ドナナ皇子と謁見する」

「では、私はバルマンテ皇子を」

「あとは……ミクシリアン皇子か」

「イルナス皇子もいます」

「はっ! あんなゴミが皇太子のはずがない」


 エヴィルダース皇太子は嘲ったように笑う。


「……では、私が後にミクシリアン皇子に会いましょう」

「夜が明ける前に……の元に来い」


 そう言い残し、エヴィルダース皇太子は部屋を出て行った。


「手の内を明かしてよかったのですか?」


 その場に同席していたロレンツォ次官が尋ねる。


「先ほども言っただろう? リアム皇子を守るためだ」


 あの獰猛な皇太子から身を守る術は、今はない。万が一にも殺されないよう、彼が皇太子でないことを示す必要があった。


「エヴィルダース皇太子、ルーマン皇子、ドナナ皇子はいずれも正室セナプスの息子だ。仮にいずれの2人かが皇太子でも、すぐに無茶はしないさ」


 少なくとも、だが。


「とすれば、本命はバルマンテ皇子という訳ですか。今の皇位継承順位は6位ですが……」


 同じく部屋にいたモルドド秘書官がつぶやく。


「あの皇子もまた才を隠しているからな。へーゼン=ハイムが目をつけても不思議ではない。念の為、ミクシリアン皇子とイルナス皇子も洗うがな」

「エヴィルダース皇太子に、イルナス皇子のことは言いませんでしたな」

「あの2人の仲は最悪だ。あえて、言う必要はない」


 当然、魔力がない童皇子が皇太子であるとは思わない。だが、イルナス皇子は真面目で、賢く、温厚な性格だ。万が一ということもある。


 ……それに、ヘーゼン=ハイムであれば星読みをだし抜いた不正すらあり得る。


「もし、仮に皇太子内定を特定したら、デリクテール皇子はどうなさるおつもりですか?」


 ロレンツォ次官が尋ねる。


「……とにかく、エヴィルダース皇太子よりも早く特定する。今は、そのことだけを考えろ」

「了解しました」


 カエサル伯、ロレンツォ次官、モルドド秘書官は全員お辞儀をする。


 エヴィルダース皇太子に次期皇太子を誅殺させる。


 そのモルドド秘書官の意見は、議論の末に、半分取り入れた。エヴィルダース皇太子の動きは止められない。ならば、皇太子内定者を一刻も早く特定し、こちらで主導権を持つ。


 殺すかどうか……それは、その人となりを見て判断する。


「……」


 ヘーゼン=ハイムの傀儡と成り果てるような者であれば、そうせざるを得ないとデリクテール皇子は考える。帝国を、あの男の玩具おもちゃにする訳にはいかない。


 その時、ジオリト筆頭秘書官が部屋に入ってきた。


「待っていた。ヘーゼン=ハイムの動向は?」


 内定宣告の後、デリクテール皇子は、見張りを指示していた。


「自室に籠り、おかしな動きは見られません」

「……確かか?」


 デリクテール皇子が尋ねる。


「間違いありません。数人の監視が常時見張っておりますので」

「……それは、=?」


 隣にいたモルドド秘書官が尋ねる。


「それは、どう言う意味だ?」


 デリクテール皇子が、怪訝な表情を浮かべる。


「いえ。あの男ならば、完璧な影武者を用意していても不思議ではないです」

「……そんなことが可能か?」

「相手は、怪物ですよ。できないことはないと見るべきです」


 モルドド秘書官はキッパリと答える。


「……ならば、問う。部屋にいるのが影武者だとして、君が、へーゼン=ハイムを探すとすればどうする?」
































「エマ=ドネアの動向を追います」

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