皇位継承編
童皇子 イルナス
*
「イルナス皇子。今日をもって、あなたとの婚約を解消させて頂きます」
「……えっ?」
天空宮殿の華やかな庭園で響く淑女の声が、一瞬にして周囲を沈黙させた。
5歳児ほどの少年ーーイルナスには、状況がよく整理できていなかった。招待されたお茶会の場で、上級貴族のマリンフォーゼから、突然の宣告。
よく、晴れた日だった。
「まあ、そう言うことだ。残念だろうが現実を受け入れろ。マリンフォーゼは、そなたにはもったいない」
「……」
高らかと宣言したのは、皇位継承候補第1位、エヴィルダース皇太子である。
燃えるような赤毛を持つ、頑強な肉体を持つ青年で、若干垂れ下がった細い眼光は、猛禽類のような鋭さを持つ。
そして。
まるで、見せつけるように、マリンフォーゼに近づき、婚約の誓いの口づけを躱す。その勝ち誇った視線は、彼女ではなく、明らかにイルナスの方へと向いていた。
「聞け! 本日、この場を持って、マリンフォーゼは
「……」
まるで、劇でも見ているようだった。悲劇ですらない、喜劇。それを証拠に、マリンフォーゼとエヴィルダースの執事たちは、下を向きながらクスクスと笑っている。イルナスの執事も、彼を擁護することなく下を向く。
マリンフォーゼの頬は、真っ赤に染まっていた。もはや、イルナスなどは眼中にもなく、一心にエヴィルダース皇太子を見つめている。他国から噂されるほど美しい彼女は、残酷なまでに女の表情をしていた。
「……」
イルナスは、黙って庭園を後にした。
部屋に戻ると、母のヴァナルナースが笑顔で待ち構えていた。金色の流れるような髪。透き通るような粉雪のような肌。『傾国の美女』とまで噂されている彼女は、皇帝陛下の側室である。
「早かったですね。久しぶりに会ったのだから、もう少し、マリンフォーゼとお話をしてくればよかったのに」
「……ははっ」
イルナスにできることは、精一杯作り笑顔を浮かべることだけだった。遅かれ早かれ、目の前の優しい母はこの事実を知ることになるだろうが、こんな自分が情けなくて、どうしても伝えられなかった。
彼女と親子のように仲がよかった母様は、どんなにガッカリされるだろう。
無論、恋愛事だ。そこには、いいも悪いも存在しない。要するに、マリンフォーゼがイルナスを捨て、皇太子であるエヴィルダースを選んだだけだ。
あのお茶会は、エヴィルダースが戯れに画策したのだろうが、そんな嫌がらせにも、もう慣れている。
ただイルナスの心に、母への申し訳なさと自身の情けなさが溢れてくる。
「……少し疲れているので、もう寝ます」
なんとかそうつぶやき、母に背を向けてベッドにダイブする。泣いている顔は見られたくない。自身の涙を布に吸わせて、寝たふりをした。
やがて、母が帰るとイルナスは仰向けに寝転んだ。そして、自分の姿を鏡で見て、はぁと大きくため息をついた。
「なんで……こんな身体に生まれたのだろう」
金色の流れるような髪。透き通るような粉雪のような肌。その中性的な顔立ちは、皇帝の寵愛を受ける側室ヴァナルナースの面影を感じさせる。
聡明さを感じさせる鮮やかな青の澄んだ瞳は、皇帝レイバースと瓜二つ。誰もが羨むような容姿だった。
しかし、彼の容姿は異常なほど異質だった。
ガストロ帝国の皇子として生を受け、国中が生誕を祝った。誰もが彼を羨望の眼差しで見つめた。その明るい未来を誰もが疑わなかった。
実際、イルナスは母と父の愛情を受けて、真っ直ぐに育った。その時、上級貴族のマリンフォーゼと婚約をして順風満帆な貴族生活を送っていた。
『イルナス皇子が病気である』と噂が立ったのは、8歳の頃だった。
母のヴァナルナースも心配し、国中の魔医に診察させたが原因はわからなかった。兄のエルヴィダースの嫌がらせは、この頃からどんどん酷くなった。
1つは、魔法が使えないこと。皇子として生まれながら、その歳まで魔法が使えなかったのはイルナスだけだ。父であり、皇帝であるレイバースもこれには、如実に失望の眼差しを向けた。
エヴィルダース皇太子は、本当に嬉しそうに笑い、『皇族教育』と称し、毎日のようにイルナス皇子の下へと赴いた。
なぜ、できないのだ。魔法の使えない皇子などあり得ない。そんな訳はない……いや、それは、下賎な血が混じっているからではないか、母のヴァナルナースを貶めるような発言を影で浴びせ続けた。
そして、もう1つ。
魔法が使えないことで、周囲からは嘲笑や同情の眼差しで見られるようになった。更に、2年後には誰もが確信した。
ああ、イルナスは異常なのだ、と。
誰もが羨むような容姿であるのは疑いない。このまま大きくなれば、誰もがため息をつくような美男子になる。帝国中の貴族の女性の羨望の的になり、容姿端麗なマリンフォーゼと美男美女のカップルとしてもてはやされるのは間違いない。
ただし、
鏡に映ったイルナスの姿は、小さな手のひら。細く短い手足。クリクリとした瞳。そして……女性が簡単に抱き上げられるほどの、小さな身体。それは、16歳とは思えないほど異常さである。
皇子の成長が5歳のまま止まってしまっているのだった。
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