星読み グレース
翌日の早朝、一睡もできなかったイルナスは、寝ることをあきらめて瞳を開けた。必死に思い出さないように別のことを考えるが、気を抜くとお茶会での光景が脳裏に浮かび、気分が沈む。
「イルナス様……元気出してください」
側近が感情のない声で励ますが、イルナスにはなんの足しにもならなかった。最近は、側で仕えている人々も彼を見放し気味である。ただ、皇子という身分であるが故に、彼らは主従しているだけに過ぎない。
「……」
童皇子と影で笑われていることも、それを覆すだけの身分も能力もない。それも分かっていた。
イルナスの皇位継承権は第8位と最下位である。それでも、秀でた魔力、武力を持っていれば、皇族としてガストロ帝国のために尽くすことができる。
しかし、イルナスの魔力は未だ発現することなく、身体も未だ5歳のまま。
「はぁ……そう……だな」
イルナスは強引に自分を納得させた。マリンフォーゼは全然悪くない。そもそも、16歳まで婚約破棄を待ってくれたと言う自体に感謝しなければいけないだろう。
もともと、マリンフォーゼとの縁談は彼女側が望んだ完全政略結婚だ。恋愛感情は大きくないので、心の傷は深くない。むしろ、長い間婚約者として縛ってしまったことに申し訳なさが募る。
その時、扉が開いた。
そこには、家庭教師のグレースが立っていた。緑のローブをまとった彼女は、『星読み』と呼ばれる祈職である。
星読みは貴族同様に魔力を持つが、婚姻は許されず、生涯宮中に仕え、帝国の
「ごきげんよう、イルナス皇子殿下。では、始めましょうか?」
「……頼む」
帝国のために自分が役に立てるのは、勉強だけだ。魔力発現は、一般的には9歳の頃までに行われる。それ以上になってしまうと、発現する可能性が限りなく少なくなる。もはや、16歳のイルナスでは絶望的な年齢だ。
「それにしても、イルナス皇子殿下は勤勉でいらっしゃいますね」
「……それしかすることがないんだよ」
感心するグレースに、イルナスは自嘲めいた笑みを浮かべた。
もともと勤勉なイルナスだったが、最近は暇さえあれば勉強をしている。彼女がしてくれる話もすごく面白いので、進んで調べ物もするし帝立図書館にもしばしば足を運ぶ。
「知識は嘘をつきません。いつか必ず、イルナス皇子殿下のお役に立つでしょう」
「そんな日が……本当に来るのだろうか?」
「……」
駄目だとわかっていても、ついつい弱音を吐いてしまう。グレースはこの帝国で唯一愚痴が言える存在だ。
母のヴァナルナースはすごく優しいが、繊細だ。イルナスが弱音など吐こうものなら、気が滅入って塞ぎ込んでしまうだろう。その点、彼女はいつも励ましてくれるので心強い。
「今はお辛い状況でしょう。しかし、天は耐えられぬ試練を人には与えぬものです。イルナス皇子殿下には、それができるという天分をお持ちなのです。どうか、そのことをお忘れなきよう」
「……ありがとう」
イルナスは心からお礼を言った。単なる励ましだろうが、それが単純に嬉しかった。
もはや、父親である皇帝からも失望の眼差しで見られ、この宮殿で味方と呼べる人は彼女と母親しかいない。
そんな中、グレースは深緑の瞳でイルナスを見つめる。
「イルナス皇子殿下……一人、会わせたい人がいるのです」
「誰だい?」
「ヘーゼン=ハイムという者です」
グレースの話によると、非常に優秀な魔法使いであるらしい。平民としては10年ぶりに帝国の将官になり、3年で帝国第10位の地位である『
「昨年の反帝国連合国との戦における第2功者です。その実力は少なくとも四伯級であると噂です」
「それは……本当の話? にわかには信じがたいが」
「間違いありません」
「ヘーゼン=ハイム……聞いたこともないな。それほどの人物ならば、噂に聞こえて来ない方がおかしいと思うが」
「フフッ……いろいろ、ありまして」
彼女は、不可思議な瞳で柔らかく微笑む。
皇宮で聞こえてくるのは、エヴィルダース皇太子とデリクテール皇子の活躍ばかり。イルナスは、未だ成人扱いされていないので、皇宮から出たことはない。
必然的に、情報は執事や側近の報告や噂話になるのだが、その名前は、一度として出たことがない。
「その男は未だ、どこの派閥にも属しておりません。とにかく、奇異な宿星をもった者なのです」
「……」
グレースの本分は星読みである。そして、彼女の能力は星読みの中でも群を抜いており、『未来をも見通すと言われる力』を持つとも言われている。そんな彼女の紹介ならば、悪い話ではないはずだ。
「しかし、
16歳にも関わらず、5歳児の身体しか持たない。魔力も持たず、天空宮殿にはろくな後ろ盾もない。
派閥に属していないとは言っても、自分のような無能に仕えたいなどとは毛ほども思わないだろうと、イルナスは思った。
「それは問題ないと思います……しかし」
「なにか不安なことが?」
「星が揺らめいて見えます。それが、いい未来なのか、悪い未来なのか。ただ、今の状況が大きく変わることは間違いないのですが」
「……」
グレースは不安な表情を浮かべる。彼女がそんな風に言い淀むなんて初めてだった。
しかし、イルナスにとっては、今の状況が変わるだけでもよかった。こんな現状のまま過ごしていても、気持ちは暗くなるだけだろうし、なんとか打開しなくてはという思いもある。
「わかった、取り次ぎを頼む」
イルナスは意を決して、その話を承諾した。
「ヘーゼン=ハイム……か……」
イルナスは、ベッドの上に寝転びながら、過去のことを思い浮かべる。それほどの大人物ならば、噂レベルでは名前が飛び交っていても、おかしくはない。
「……」
そういえば、確か、皇宮の親衛隊が妙なヒソヒソ話をしていたのを、聞いたことがある。
*
『まさか……皇太子……土下……』
『それが、ヘー……』
『ば、バカ! き、聞こえるぞ!?』
『も、申し訳ありません』
『気をつけろ、新人……いいか、決してその名を出すな。出したら……』
*
「もしかして……『名前を言ってはいけないあの人』のことか」
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