エヴィルダース皇太子
*
「う゛わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ひときわ豪奢なエヴィルダース皇太子の邸宅で、断末魔の叫び声が響く。部屋に置いてある、ありとあらゆる家財道具が、滅茶苦茶にぶち壊される。
「殺す…… 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すうううううううあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
エヴィルダース皇太子は発狂したように、魔剣を振るう。壁や絵画は、無惨なほどズタズタになり、周囲の執事たちも怯え、部屋の隅でブルブルと震えている。
「……」
そんな中、アウラ秘書官が部屋に入ってきた。彼はエヴィルダース皇太子の凶行を、冷静に観察して、淡々と話しかける。
「ことの顛末は、グラッセ筆頭秘書官から聞きました」
「……っ」
その声に反応したエヴィルダース皇太子は、血に染まった手で、アウラ秘書官の胸ぐらを掴み怒鳴る。
「殺せ! 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せーーーーーーーーーーー! 今すぐだ! 今すぐに! 早く! 一刻も早く! ヘーゼン=ハイムを抹殺しろ!」
「不可能です」
キッパリと。
アウラ秘書官は答える。
「……なん……だと!?」
「まだ、おわかりにならないのですか? ヘーゼン=ハイムを抹殺するためには、ヘーゼン=ハイムが不要なほどの力を蓄えねばならないのです。今の帝国には、存在しない力です」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! 貴様、誰に向かって口を聞いている!?
エヴィルダース皇太子は、何度も何度も何度も何度も顔面を殴る。だが、アウラ秘書官は一向に動じない。身体は微動だにしない。
やがて、彼は血が混じった唾を吐き、その腕を止め、エヴィルダース皇太子の狂気的な紅の瞳を見据える。
「いい加減、お気づきになってください。あなたが変わらなければ、ヘーゼン=ハイムに勝つことはあり得ません」
「アウラ……貴様も……
エヴィルダース皇太子は、天井に向かって吠える。その怒りで燃えるような赤髪はすべて逆立っていた。その目は、血よりも濃い赤に染まっていた。
だが、アウラ秘書官は落ち着き払った様子で頷く。
「現時点では、その通りです」
「……っ、アウラ、貴様ぁあああああああああああああああああああ!」
エヴィルダース皇太子は、掴まれた手を強引に振り払い、魔剣を突きつける。
「現実を直視し、前に進まねば勝機はありません。反帝国連合国も、この大戦の傷を癒すのに、数年の時を要するでしょう。だが、その後は、確実に我らに向かって牙を向きます。その時、ヘーゼン=ハイム抜きで戦い抜くほどの力がなければ、また、同じことの繰り返しです」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!
エヴィルダース皇太子は、思いきり魔剣を振り下ろした。瞬間、壁に数滴の鮮血が飛び散った。執事の誰もが目を背ける中、静かな瞳だけが不動だった。
アウラの首元には、数滴の血が滴れ落ちる。
「なぜ……避けない?」
「私の覚悟です」
「かく……ご?」
「エヴィルダース皇太子。私は、あなたを皇帝にします」
アウラ秘書官は、真っ直ぐに見る。
「……」
「ヘーゼン=ハイムは、小手先でなんとかなる相手ではない。あなたに足りないのは、覚悟です。皇帝として、この帝国を背負っていく覚悟。ヘーゼン=ハイムだけではない。あなたが、皇帝としてどのような道を歩むのか覚悟を持って示さぬ限り、誰もあなたを真なる皇帝とは認めない」
「うぐ……ぐう……あがっ……ぐうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ」
「……」
エヴィルダースは手に持っていた魔剣を落とし、涙を流し、嗚咽し始めた。
「うううううう……皇帝陛下がぁ……お父様が……
「……」
地に伏して。拳を床に叩きつけながら、さめざめと泣き始める。アウラ秘書官は、しばらく黙って眺めていたが、やがて、エヴィルダース皇太子の肩に手を優しく添える。
「必要なのは、王道です」
「王……道?」
「今からでも、遅くはありません。皇帝とはどうあるべきか……皇帝とはどのような存在かを学ぶのです。そうでなければ、皇帝陛下があなたをお認めになることはないでしょう」
「……
「人は変われる。変わることができる。エヴィルダース皇太子、私はあなたを信じています」
「アウラ秘書官……
「もちろんでございます」
そう答え。
エヴィルダース皇太子に、満面の微笑みを見せた。
*
アウラ秘書官が部屋の外に出ると、グラッセ筆頭秘書官が待ち構えていた。
「……荒療治だったな」
「数は力です。あの方しかいないなら、あの方に真なる皇帝になっていただく他ない」
皮肉な話だ。あまりにも、エヴィルダース皇太子に権力が集中してしまった。目を覆うほどの軽蔑すべき人物でも、吐き気がするほど醜悪な本性でも、許し難き悪辣の限りを尽くしたとしても……アウラには、あの男以外に皇帝になる者を見出すことはできない。
「君はデリクテール皇子の派閥に行くと思っていた」
「……あの方は、あまりにも真っ当過ぎる。血を血で洗う皇位継承争いには、勝ち抜くことはできないでしょう」
足りないのは、渇望だ。誰を蹴落としても、どんなことをしたとしても、皇帝になる。清廉潔白なあの皇子には、無理だ。あらゆる謀略を企てでも、なりふり構わずに権力を取りに行く。それほどの強さがなければ。
あの男のような……
「……クク」
「何か?」
「いや、なんでもありません」
不意に。
あの男の放った言葉が脳裏によぎる。
『私の言葉を覚えておいてください。いずれ、あなたの前に、皇帝に足る器を持つ者が現れるでしょうから』
「あり得ない」
あのデリクテール皇子ですら、覆すことができないのだ。他の皇子の力など、大海に小石を投げ込むような無力なものだ。
「もう……時は戻せないのだ」
アウラ秘書官は、自嘲気味に笑った。
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