「……」

「……」

「……」


        ・・・


 ヤン、カク・ズ、そして、エマは総執務から出た後、無言を貫いていた。


「……」


 そして、ヘーゼンも同じく無言。だが、納得がいかなかった。同じではない。同じでは……この男以外の誰もが、等しく同じ感情に支配されていた。


 なんで、この男は、こんなに冷静でいられるのだろうか。帝国のNo.2であるエヴィルダース皇太子、そして、全大臣を全力で敵に回しておきながら。


 しかも、何の予告もなく、あんな場所に連れ込まれて。


 なんか、言うこと、あるだろうが。


「あ……ヤン、宿題が4週間分溜まってるから、明日までに片づけなさい」

「……っ」


 ブチっ。


すー…… すーすーすーすーすーすーすーすーすーすーすーすーすーすーーー」

「うるさい」

「……っ」


 ガビーン!


 ヤンは、雑に言い払われた。


「正気なの!? いえ、あなたはいつになったら正気に戻るんですか!?」

「んー、すまない。ちょっと言ってる意味がよくわからない」

「はっ……だっ……えええええっ!?」


 エマは、自身の正気を見失った。


「せめて一言くらいあったっていいじゃないか! 一言くらい!」

「言ったら反対するだろう? だったら言わない方がいい」

「……っ」


 カク・ズの正論は、暴論で封じられた。


「そんなことよりーー」

「「「……っ」」」


 あんな未曾有の事態を、そんなこと呼ばわり。


 とんでもない、異常狂人サイコ・○チガイである。


「皇帝陛下との会食の件について少し話そう」

「そ、それについては申し訳ないと思っているけど」


 エマはバツの悪そうにつぶやく。


 そもそも、この会食はヘーゼンにとっても予期してないことだった。半日前にヴォルト=ドネアが言い出し、急遽予定が捩じ込まれた次第だ。


「いいよ。せっかくの機会だから、利用させてもらったし。まあ、一押ししないでも、結果自体は変わらなかったと思うがね」


 エヴィルダース皇太子は、皇帝レイバースには頭が上がらない。その点を強調し、最終的にはアウラ秘書官がことを収めただろう。


「まあ、しかし。殊更に、取り乱していたな。想像以上に酷い器だ」

「だ、誰のせいだと思ってるのよ。少なくとも、以前はあのようなお人柄ではなかったわよ」


 エマは深々とため息をつく。


「人を見る目がないな。本性が出てきたんだよ」


 自身でコントロールができなくなって、完全に素顔を曝け出している。帝国全土に甘やかされて育ったエヴィルダース皇太子は、今や、ただの駄々っ子だ。


「わからないものですね。デリクテール皇子の方が、次期皇帝にふさわしいように見えますけど」

「や、ヤンちゃん……めっ!」


 エマが慌てて口を塞いで嗜める。具体名で、こんな発言を聞かれようものなら、不敬発言と捉えかねられない。


 だが、ヘーゼンは落ち着いて話を続ける。


「星読みの選考基準は、何も能力だけとは限らないさ……少なくとも、グレース様は、真鍮の儀を次期皇帝選びだけの儀式とは見なしてはいない」

「……どう言うことですか?」

「君はわからなくていい」

「くっ……教えてくれてもいいじゃないですか。ケチンボ!」


 ヤンが口を尖らせながら文句を言う。


「まあ、僕自身は第1功などに、そこまでのこだわりはないのだがね。貰えるものは、すでに決められているのだから」


 事前に取り交わした契約書がある。それで、取れるだけ踏んだくったのだから、それ以上を求めることは、少なくともヘーゼン側からは提示できない。


「でも……第1功をジオラ伯にすれば、丸く収まったと思うんですけど」


 ヤンは素直な疑問を口にする。


 大病を患いながらも、北を命懸けで守り抜いた。彼を第1功とすれば、へーゼン=ハイムでなくても大陸に言い訳がきく。


「ああ。アウラ秘書官もデリクテール皇子も気づいてはいたが、敢えてあの場では言わなかったな」

「何でですか?」

「皇帝レイバースへの信頼だろう。臣下の分を心得ているのさ」


 彼らの仕事は審査をすることだ。それを提案して実行させるのは臣下の分を超えている。公平を超えた権力を有するのは、あくまで、皇帝という建て付けだ。


「提案しちゃダメなんですか?」

「政治だよ。あえて臣下が口に出さない方がいい時もある」


 特に、皇帝レイバースとジオラ伯は長年の付き合いだ。皇帝自身がそうしてやりたいという思いを汲むような形になるだろう。


「他、何人かの大臣たちは気づいていただろうが、同じ理由で言わなかったのだろう。まあ、エヴィルダース皇太子については、本気で考えつかなかったようだが」

「今日の会食で、皇帝陛下が提案するってことですか?」

「このタイミングでは、それしかないだろう」


 だからこその非公式な会食なのだろう。長年旧知の仲であったヴォルト=ドネアも同じ想いだからこそ、あえて『第1功を祝う会』などと言う題目で開いたのだろう。


「そんなの、アウラ秘書官がエヴィルダース皇太子に言ってあげればよかったのに」

「今の状態で、あの方が冷静な判断ができるとは思えないな。同じ立場だったら僕も言わなかったと思う」


 そのことを耳打ちした時点で、得意げに、意気揚々と、皇帝に報告するだろう。それくらいに、エヴィルダース皇太子の今の精神状態はヤバい。


「本当は、あの場で決まらずに、上層部の無能を曝け出すのが最善だったのだが、アウラ秘書官に上手くまとめられたな」


 未だグダグダ引き延ばされていることを知れば、エヴィルダース皇太子と大臣たちは確実に叱責を喰らう。


「そ、そんなこと考えてたの?」


 エマが呆れた様子で尋ねられ、ヘーゼンは頷く。


「もう一つ。アウラ秘書官がデリクテール皇子に鞍替えしてくれるよう種を蒔いた。そうすれば、派閥間でのバランスが縮まるからな」

「ぬ、抜け目ない。そんな誘導をかけたんですか?」


 ヤンがジト目で尋ねる。


「権力争いは、最も勢いのある所から削いでいくのが定石だ」


 へーゼンの見立てでは、エヴィルダース派閥が6、デリクテール皇子派閥が2、皇帝派が1、残りの皇子派閥が1というところだ。


 ジオラ伯が亡くなって、多少差は埋まったかもしれないが、それでも圧倒的な多数を占めているのはエヴィルダース派閥だ。


「……反帝国連合国との戦で、デリクテール皇子も少し変わられた」


 非常に聡明で勇敢、そして公平な皇子だ。おおよそ、賢帝である器は備えていると言っていい。


 そして、ヘーゼンに対し、明らかに敵意が見える。


 敵の敵は味方という訳にはいかない。むしろ、厄介な候補が増えたと警戒をしなくてはいけない存在だ。


「いっそのこと、すーもデリクテール皇子に鞍替えすればいいんじゃないですか?」

「絶対に無理だな。エヴィルダース皇太子よりも無理」


 キッパリ。


 ハッキリ。


「ひっ……はわわわわっ……」


 エマが、クルクル、クルクルと回りながら周囲を気にする。


「デリクテール皇子の評価低いですね」

「エヴィルダース皇太子陣営の評価が高いんだ。アウラ秘書官と同じくな」


 すでに、レームダッグは始まっている。次の真鍮の儀で、エヴィルダース皇太子が第一継承権を維持すれば、ますます彼の権力は強まるだろう。


「いいか? 数は力だ。そして、権力というのは、いつの時代だって、腐敗している多数の方が強い」


 歴史が証明している。清廉潔白な善政をしている期間など、ごく限られた短い期間でしかない。


 それは、人の一生と似ているとヘーゼンは思う。


「人の本質は汚濁に塗れることだ。権力が集中すれば、なんとかそれを維持しようとする。徒党を組む。多数で、少数を排除しようとする。そうして、多様性を失い、腐る」


 賢帝とされる皇帝レイバースの治世でも、善政と呼ばれた期間は数十年ほどだ。残りは、多数の大臣たちによって天空宮殿は忖度と賄賂で汚濁に塗れた。


「……どうするんですか?」

「大臣級の大多数を握られていれば、今は手も足も出ないさ。今のうちに、種を蒔いておくぐらいしか」


 ヘーゼンは小さくため息をつく。


「種?」



































「モズコールだ」

「……っ」



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