ミクリシアン皇子(2)


           *


 数時間後、エマは馬車でミクシリアン皇子邸宅に到着した。そして、中に入るや否や、中年巨漢皇子は猛然と彼女へと近づく。


「おーぅいん! 待ってたぞおぅん」

「ひっ……」


 距離感が、めちゃくちゃ近い。かなり大きな顔面である分、なおのことそう思うのかもしれないが。


「エマ=ドネアぁん……大きくなったなぁん」

「あ、ありがとうございます」


 ミクシリアン皇子は、殊更に彼女の胸を凝視してつぶやく。せぐりくる悪寒を必死に抑えながら、彼女は、それでも満面の微笑みで応える。


「いや、本当に久しぶりだなぁん」

「……はい」


 エマにしてみれば、ミクシリアン皇子との思い出は皆無に等しい。『久しぶり』というか、ほぼ初対面の印象すら受けるので、曖昧な返事を浮かべつつも必死に過去の記憶を振り絞る。


「……っ」


 いや、ほぼ、思い出ない。


「あの、早速ですが、本題をーー」

「まあ、待てぇん」

「……っ」


 ツナギの話がなさすぎて、早速、本題に入ろうとするエマに、ぶっとい5本指が制止する。


「少し……昔話をしようかぁん」

「む、昔話ですか?」

「あぁん。ヴォルト=ドネア伯に連れられてきたお前は、まだ3歳だったぁん。覚えているかぁん?」

「え、ええ。確か、3歳ですとレイバース陛下の誕生日の宴でしたかね?」


 それは、朧げには覚えている。ただ、可愛がってくれたのは、当時皇太子だったユルゲルと第2位のデリクテール皇子だ。


 エヴィルダース皇子たちは、同世代の女性との社交に夢中だったし、ミクシリアン皇子も同じような感じだった気がする。


が抱っこしたこともあるのだぞぉん」

「……そ、そうでしたね」


 それは、すっごく、覚えている。


           *


 あの時は、皇帝レイバースが、ミクシリアン皇子を公然と説教し始めたのだ。ユルゲル皇太子とデリクテール皇子が、帝国の将来さきを激論している一方で、彼は公然と酔っ払い、上級貴族の美人どころにダル絡みしていた。


 皇帝レイバースは、エマを抱き抱えながら、不味そうに酒を飲む。


『呆れるな、ミクシリアン。未だ若いエヴィルダースなどと同じ行動を未だしているか? お前の手に抱えているのはなんだ?』

『……』

『わからないか? 皇族が手に抱えているものは?』

『……』


 沈黙。怒られた時に、断固沈黙するムーブを体得しているミクシリアン皇子は、さも、申し訳なさそうで、ただ、怒りの嵐が過ぎ去るのを待っている。


『ふぅ……ユルゲル。そなたはわかるか?』

『帝国の未来です』

『なるほどな。デリクテール、そなたはどう思う?』

『揺るがぬ帝国への信頼かと』

『……そうだな。だが、は、今、手に持っているものだと思う』


 皇帝レイバースは、抱き抱えられているエマに笑顔を向けながら答える。


『帝国国民の命。皇族には、彼らが紡ぎ、育てる命を絶やさぬ使命があるのだ。わかるか?』

『はぁいん』


 ミクシリアン皇子は、待ってましたと言わんばかりに、ここぞとばかりに頷く。説教の終わりの終わり。さっさとこの場から離れて、今思えば、女の乳を揉みしだきたそうな表情を浮かべていた。


『こんなことは言いたくはないが、そなたもユルゲル、デリクテールと同じく年長組なのだから、若い皇子たちに規範を見せなければいけない立場なんだぞ?』

『……あはぁいん』


 若干、不貞腐れた様子を見せるミクリシアン皇子と皇帝レイバースの間に、ますます微妙な空気が流れる。


『……っ』


 必然的に、2人の間で挟まれた幼少エマは、すっごく、気まずかった。


『皆の者、すまなかったな。あまりにも、目に余ったので、ついな』

『陛下は全く悪くありませんぞ! ガッハッハ!』


 豪快に酒を飲みながら笑うヴォルトに、場が若干和む。皇帝レイバースも自身の怒りが場にそぐわないことを感じたのか、ため息をついてミクリシアン皇子に笑いかける。


『この子を抱いてみろ。この可愛い童を抱けば、いかに皇族というもの重責が重いものかわかるはずだ』

『はぁいん』

『……』


 皇帝レイバースの腕から下ろされた幼少のエマ、空気を読んで、笑顔でミクリシアン皇子に抱っこされる。


『……乳臭ぇなぁん』

『……っ』


 ガビーン。


 もちろん、皇帝に聞こえる声ではなかったが、耳元でそんなことを囁かれた当時の、赤ん坊エマは大いに傷ついた。


           *


「……やはり、大きくなったなぁん」


 ミクシリアン皇子は、殊更に彼女の乳を凝視してつぶやく。


「お、思い出というのは、本当に美しく映るものですわね」


 エマは全力で曲解した回答に辿り着く。


「いや、本当はわかっていたのかもなぁん」

「……何がですか?」

「初めて見た時から、は、そなたに特別なものを感じていたのかもしれぇん。そう考えると、縁というのは、もの凄く不思議なものだなぁん」

「……っ」


 キッつ、とエマは全身で悪寒を感じる。


「でぇん? 今日は、なんの用件だぁん?」

「は、はい」


 エマは胸を撫で下ろす。やっと、本題に入れる。


「それがですねーー」

「待てぇん。当ててやろうかぁん?」

「……え?」

は、何事も当てるのか得意なのだぁん」


 そう言ってミクリシアン皇子は、指をエマの片乳に対し指差す。


「お前が欲しいのは……お前の胸のトキメキの原因ぅん……すなわちぃん、のぉんーー」


 バキバキボキッ!


「あんぎゃあああああいあいあいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!」






























「失礼しました。彼女に指一本触れさせないと約束したのでね」

「……っん」

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