ジオラ=ワンダ伯


           *


 それから、2週間ほどが経過して、反帝国連合軍は全面撤退した。北軍と南軍の撤退を受け、西と東も攻略をあきらめた。


 その圧倒的な逆転劇に、帝国国民は、帝都の民は、熱狂の渦に包まれていた。


 ヘーゼン=ハイム。


 もはや、大陸に知らぬ者などいない。北方の窮地を救い、五聖クロードを圧倒的な実力で打ち破った。西、東、南に竜騎兵と有能な将を派遣し、それぞれの戦場で圧倒的な存在感を示した。


 英雄の凱旋帰国。


「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」

「……」


 周囲の熱とは裏腹に、黒髪の青年は、ゆっくりと静かに竜騎5千を率い闊歩する。そして、隣にはジオラ伯が乗った馬車が並んで歩く。


「容体は?」


 ヘーゼンは、中にいる副官のラビアトに尋ねる。


「安定してます」

「……では、起こしてください」

「な、なんでですか?」


 彼女の声に、不穏と不信が垣間見える。


「凱旋パレードに、ジオラ伯がいた方が盛り上がるでしょう。あと、彼と並んだ方がより民衆受けがいい。一部では、功を掠め取られたなどと噂する輩もいるでしょうから」

「……っ」


 圧倒的自分本位。


 というか、死にかけているのだけど。


「絶対に安静なので、断固、許可できません」


 ラビアトは強い口調で言い放つ。


「……いいのですか?」

「何がですか?」

「ジオラ伯は、凱旋パレードに出たいかもしれませんよ?」

「……」

「僕は、この熱狂を見ても特に何も感じませんが、ジオラ伯は何十年も帝国のために戦って来たのでしょう?」

「……」

「どの道、もう長くは持たない。この凱旋帰国、皇帝陛下との謁見、それとも、その後の療養の後、家族と近親者に別れを告げるか。死に方は色々ある」

「……」

「それを、ジオラ伯に聞かないでもいいのですか?」


 ヘーゼンは、静かに問う。


「まあ、僕は参加して欲しいですが、僕が決めることでもありませんから。判断はジオラ伯の一番弟子であるあなたが決めればいいでしょう」

「……」


 彼女はしばらく考え、やがて、優しく痩せ細った老人を揺り動かす。


「ジオラ伯」

「……夢を見ていた」


 静かに目を開けた老人は、ボソッとつぶやく。


「なんの夢ですか?」

「若き頃のことじゃ。天下太平を夢見て、大陸中を駆け回っていたあの頃の……」

「……ジオラ伯は、なぜ、これほどまでに戦ってこられたのですか?」


 かつての四伯のうち1人は戦死し、1人は引退した。そして、残ったヴォルト伯は、後継をミ・シルに譲り、最前線を退いた。ジオラ伯に代わる後継者はおらず、彼だけが取り残された。むろん、自分では力不足だったのは言うまでもない。


 だが、引退はできたはずだ。


 それでも……ジオラ伯は四伯を返上せず、病魔に侵されながらも、帝国のために戦い続けた。


「人は誰しも戦をなくしたいと願う。若い頃に誓った……夢じゃ」

「……」

「不思議なものだの……誰しもがそう願っているはず。なのに、戦というものが、この世から消えたことはない。ワシも、また、その一人じゃ。戦というものをなくすために、戦に身を投じ続けた」

「……」


 その言葉を聞いた時、ヘーゼンがボソッとつぶやく。

 

「かつて、僕の弟子が言っていましたよ。『人は誰しも戦をなくしたいと願う。だからこそ、この世に戦がなくならないのだ、と』」

「……ククク、面白い弟子じゃの」

「退屈はしませんでしたね」


 黒髪の青年は、フッと小さく微笑む。


「……申し訳ありません。私は、とるに足らぬ不肖の弟子でした」


 ラビアトは、瞳を潤ませて下を向く。


「そうだな。才能はあるが、あまりにも性格が優し過ぎる。次期、四伯となるには程遠い」

「……」

「だが、愛している」


 そう言って、ジオラ伯はラビアトの頭を優しくなでる。


「病に冒されたワシに、慈しみと安寧をくれたのはお前じゃ。懸命な看病で、ここまで、生きることができ……面白き若者にまで会わせてくれた」

「……」

「ラビアト……手を」

「はい」


 痩せ細った老人は、彼女の力を借りて、ゆっくりと身体を起こそうとする。


「……ヘーゼン=ハイム。もう、満足に立ち上がれもせんようじゃ。ヌシの薬とやらを借りてもいいかの?」

「ジオラ伯!?」


 ラビアトが泣きそうな表情を浮かべる。


「すまんな……最後のワガママじゃ。ワシが守った帝国国民を見たい。そして……元気なワシの姿を見せたいんじゃ」

「……」


 ヘーゼンは、懐から魔薬を取り出し、馬車の中に投げ入れる。ジオラ伯は、ユックリとそれを飲み込み、身体の感触を確かめる。


 そして、馬車を降り、ラビアトと2人乗りで馬に跨がる。


「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! ジオラ伯! ジオラ伯! ジオラ伯! ジオラ伯! ジオラ伯! ジオラ伯!」」」」」」


 帝国国民の熱狂は、最高潮に達した。


 ヘーゼンの隣に並んだジオラ伯は、彼らに向かって力強く手を振る。


「ああ……いい笑顔じゃ」


 痩せ細った老人はつぶやく。


「満足ですか?」


 黒髪の青年が尋ねる。


「……」


 その問いの答えは返ってくることはなく。


 ラビアトがギュッと身体を握り。


 笑顔で目を瞑ったジオラ伯に。




































 ヘーゼンは竜騎を降り、片膝をついて礼をした。

 

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