膠着
*
天空宮殿。総執務に、足早に伝令が入ってきた。
「申し上げます! 四伯が戦地に到着! 北、南は防衛圏を一つ下げましたが、その場で接戦を繰り広げ、東は膠着状態、西は逆に攻勢に出ております……持ち堪えました!」
彼がそう叫んだ瞬間、総執務室の面々から大歓声があがる。エヴィルダース皇太子もホッと胸をなでおろし、デリクテール皇子も安堵の表情を見せる。
四伯さえ間に合えば、戦線は維持できる。それほどの安心感が帝国には存在した。
「ハハハハッ! さすがは、我が至宝ミ・シルだ。逆に武国ゼルガニア軍を押し返すとは、常軌を逸している」
エヴィルダース皇太子が満足気に笑う一方で、デリクテール皇子が、他の面々と違い緊張した表情を崩さない男を見る。
「……アウラ秘書官、懸念が?」
「なんだなんだ、心配症だな、そなたは。我が帝国の四伯は最強。今よりも負けがこむことはあるまい」
「先遣隊を壊滅させずに間に合い、その武威を示したのはさすがかと。ですが、五聖とどれだけ渡り合えるか……」
四伯と同格とされる五聖は、帝国外の最強戦力と呼ばれる存在である。北には武聖クロードが。南には海聖ザナクレス、東には魔聖ゼルギスが、そして、英聖アルフレッドが西へと配置している。
「……幻聖は未だ見つからないのか?」
アウラ秘書官は担当秘書官に尋ねる。
「も、申し訳ありませんが、影も形も……」
「ヤツがつけば、帝国は更なる苦境に立たされる。草の根分けてでも探し出せ」
「は、はい!」
*
*
*
カカオ郡東のメーラン城。老将マドンが指揮する本陣に、アルバス=ノーブスがぎこちない手綱捌きで、馬を走らせてくる。
そして。
「ようようよう! ようようようよう! おっ……ようようようよう!」
止まるに止まらずに、必死で手綱を引くが、結果、止まれそうで止まらない様子を遠くで眺めながら。
「……アレ、なんだと思います、
弟子のセシルは、困惑気味に尋ねる。突如として単騎で出現したアルブス=ノーブス。なぜか、指揮官の1人が大層な魔杖も持ち、ポツンと馬でこちらに向かっている。
いったい、なんの意図があって、あのような暴挙に出るのか判断に苦しむ。
「やってみたかったのだろう」
老将マドンは冷静に答える。
「そ、そんな愚かなことあり得ます? いくら何でも、バカ過ぎません?」
「上級貴族の多くに、ああいう輩は多い。特に、地方将官はな」
ほとんどの上級貴族が、現場を知らず、現地に行くこともなく、現実を受け入れず、下級貴族の統治を任される。
自分達が上級貴族の名門家であるという自負心を抱えたまま『戦場などこんなものか』と思い込み、このような愚行を犯す。その結果がこれだ。
「どうします?」
「上手く相手をして差し上げろ。1人か2人だけ、倒されたフリをして、その間に取り囲めば逃げて行ってくれるだろう」
「……はぁ」
セシルは呆れながらも、深くため息をつく。
「反帝国連合国の戦は、激しいものだと聞きました。将官の間で、これだけの格差があるのは、にわかには信じがたいのですが」
「それだけ、帝国の支配層は歪なのだよ」
人口比で言えば、大陸の優秀な者は帝国に最も多い。だが、中央での腐敗は特に上級貴族の地方将官を増長させ、腐らせた。
賄賂、忖度の横行。上級貴族にとって都合のよい法律・優遇措置が作られ、いつしか下級貴族が日の目を見ることはなくなった。
「ですが、四伯のほとんどが上級貴族ではないですか。軍神ミ・シルは下級貴族出身ですが、他の3人は一様に上級貴族出身です」
「怪物は、どこで生まれても怪物だ」
確かに、上級貴族に魔力が強い者が生まれる傾向は高い。だが、それだけでは四伯にまでのし上がることができない。
超優秀な一部の存在で下支えしているのが、帝国の縮図だ。
「レイバース陛下がご健在であった頃は、改善傾向が見られたが、それも一時的なものに過ぎなかった」
組織腐敗の大きな波は、毒のように帝国中に駆け巡っている。この大きな流れが止まることはなかった。
「……皇帝陛下は、今もまだ、政務を取り仕切っておられますけど」
セシルが、声を小さくして囁く。この子は、機転がきく。どこにでも、耳があることを知っている。
「本当にそうだったらいいが」
「どこか、お身体が悪いのですか?」
「……陛下の苦しみは、陛下にしかわからんよ」
皇帝レイバースの治世は、90年という異例の長さで続いている。最側近であった当時の四伯ヴォルト・ドネアを筆頭に、ジオラ=ワンダ伯、すでにこの世にはいない、ゾルべ=スケル伯、ドマル=ゴリア伯が一丸となり、領土を大幅に拡大した。
だが。
近年では明らかに切り取れる領土が減少している。
「ここ十数年……あの方も我慢しておられるのだ」
壮絶な皇位継承権争いに勝利してこそ、真に皇帝たる資格を持つと。エヴィルダース皇太子は、野心が強いが、思慮に欠ける。
だからこそ、譲位を決断しないのだろう。
「星読みが次期皇帝を決める権限を持つのですから、陛下に行えることはないのでは?」
「……いや」
マドンは首を横に振る。
確かに次期皇帝を決める皇太子を選定するのは、星読みだ。5年に1度の真鍮の儀で、彼女たちが皇子たちの適性を判断して決める。
だがそれは皇帝陛下を決めるものではない。
皇帝は譲位のタイミングを、自身で決められる権限を持っている。皇太子は、5年に1度で入れ替わるので、安定的に皇帝の座を狙うのならば、長期に渡って皇太子の座を保持する必要がある。
すなわち、崩御するまでは、皇帝のみが次期皇帝を選ぶ権利があるのだ。
エヴィルダース皇太子が、過度なまでに皇帝陛下の動向を気にするのも、そのせいだ。実質的な最終決定権を、皇帝レイバースが有しているからこそ、失態を極度に恐れる。
「陛下は、デリクテール皇子を待っておられるのでしょうか?」
「……いや」
デリクテール皇子は、思慮深く聡明であるが、覇者たる大事なものが欠如しているようにも思える。エヴィルダース皇太子と同様に。
「全ての皇太子、皇子の現状に対し満足していないということを、身をもって示し続けておられるのだ」
以前は、積極的に政務の情報なども仕入れ、最前線に赴き兵たちを労うなど、紛れもなく名君だった。だが、ある時を境に、天空宮殿に閉じ籠り、政務全般を皇太子に預けるようになった。
「……もしかしたら」
「それ以上は言うな。類推をすること自体、危険だ」
マドンは、厳しい目で口止めをする。
「なんにせよ、帝国は変わらなければならない。でなければ、この反帝国連合の戦を境に、衰退の一途を辿る」
「そのきっかけが、ヘーゼン殿だと?」
「……あるいは、その他の全ても吹き飛ばそうとしているのかも」
白髪の老将は静かにつぶやいた。
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