策略


           *


 その頃、テナ学院の特別クラスでは、日常が戻ってきつつあった。ヘーゼンの授業は、いつも通り厳しかったが、その座学は圧巻かつ魅力的で、生徒を惹きつけるには余りあるものだった。


 昼休憩になり仲良し3人組が、いつもの席へと着席する。


「こ、これが夢にまで見た学食の味」


 ヤンが目をキッラキラに輝かせながら、クリュリー牛饅を頬張る。


「ウフフ。そ、そんな大袈裟な。お、おっかしぃですね」


 ロリー=タデスの口調も、だんだん緊張が解けたものになってきた。童顔少女もまた、ピロキロ酵母パンをちぎって口に放り込む。


「……でも、私たちって本当にこんなことしてていいのかなぁ」


 ヴァージニアが、未だ納得のいっていない様子でコリー豆でこしたコーヒーに口をつける。


「いいに決まってるって。私たち学生なんだから……ウムウム……はぁ、美味しい」


 ヤンが至福の表情でため息をつく。


「でも……」

「ヴァージ。反帝国連合戦で戦っている人だけじゃないよ。みんな、各々の場所で、何かしら戦ってる」

「……」

「それを気にして、私たちが目の前のことに集中できないのは、よくない」

「……うん。そうね……そうよね!」


 ヴァージニアも、やっと、納得した表情を浮かべて同じくクリュリー牛饅を頬張る。


「お父様も、すごく大変そうだけど、ヘーゼン先生に出会って大分変わったって」

「……そ、そう」


 ヤンの手が、ピタリと、止まる。


「仕事は、もっと大変になったんだけど、やり甲斐があるって。手紙の文章がすごい生き生きしてるの。ヘーゼン先生って本当に素晴らしいわ」

「……あっ! そう言えば次の授業なんだっけ!?」


 震えた声で、強引に話題の転換を試みる。


「武器の授業だって。いや、本当に変わってるわよねー。あの先生って、本当に魔法だけじゃない」

「まあ、魔杖って様々な形があるから、本人の適性を見出そうとしてるんだろうけど。私は苦手だなぁ。ヴァージは何か得意な武器ある?」

「……ふふっ」


 ヴァージニアが、なんだか楽しそうに思い出し笑いを浮かべる。


「どうしたの?」

「実は、お父様も鞭について造詣が深くて。子どもの頃に、かなり厳しく仕込まれたなーって思って」

「あの鬼ち……そ、そう」


 ヤンは、しっかりと空を見上げた。


「こんなことじゃ、立派な女王クイーンにならないぞって。普通はお姫様とかでしょ? 今、思い出すとおかしくて」

「そ、そ、そうね」


 震え声でそうつぶやき、黒髪少女は、震える手でコップを掴んで液が数滴机に溢れる。


「わ、私も! ま、前に研修させて頂いた上級貴族のご主人様に、鞭については結構講義を受けました!」


 ロリーも自慢げに話す。


「そうなんだ。上級貴族の嗜みなのかしら……ヤン、知ってる?」

「さ、さあ。見当もつかないな」


 ヤンは全力で興味津々のヴァージニアとロリーから瞳を逸らした。


 そんな、ほのぼのとした、午後の時間だった。


           *

           *

           *


 天空宮殿にある総執務室の大広間では、派閥を超えた面々が集い、日夜戦略について激論を繰り広げている。


 最奥に座しているのは、エヴィルダース皇太子。


 総指揮官という立ち位置の彼だが、やることはあまりない。その場で座って報告を聞き、気になることがあれば指摘をする。


 実際、表で取りまとめをするのが、最側近のグラッセ筆頭秘書官。裏で実務を取り仕切るのが、No.2のアウラ秘書官である。


「……くぁ」


 エヴィルダース皇太子が、小さくあくびを浮かべる。すると、隣で座る副総指揮官のデリクテール皇子がボソッとつぶやく。


「お控えください。皇太子殿下の行動は、一挙手一投足まで注目されております」

「相変わらず、固いな。そんな小さなことを気にする者などおらんよ」

「皇帝陛下がくしゃみをすれば、民は凶兆を思い浮かべ、お怒りになれば、数万の民の首が飛びます。皇太子殿下は知見を広げ、自らの影響力を知るべきですな」

「くっ……」


 エヴィルダース皇太子が、ソッポを向き不機嫌そうな表情を浮かべる。一方で、デリクテール皇子がアウラ秘書官を呼び出す。


「おい、我が秘書官を名指しで呼ぶなど、どう言うつもりだ」

「陛下のお言葉を聞かなかったのですか? 今は、派閥、立場など無関係で議論を深めるべきです」

「ぐぐっ……」


 さらにさらに不機嫌な表情を浮かべるエヴィルダース皇太子を無視して、デリクテール皇子はアウラ秘書官に尋ねる。


「ヘーゼン=ハイムの動向は?」

「……未だ停戦をしていないようです」


 そう答えると、エヴィルダース皇太子が非常にご機嫌な表情を浮かべる。


「くくく……愚かなことだ。この未曾有の危機で、未だ自領すら治められず、我が帝国になんの貢献をもたらさないとは」

「……本当にそうなのだとしたら、そうですね」


 デリクテール皇子がつぶやく。


「どう言うことだ?」

「言葉通りの意味ですよ」

「くっ……当たり前のことを言うな! 実際、上級貴族たちはヤツの言うことに真っ向から逆らい、法廷闘争にまで発展している。しかも、こんな有事にも関わらずだ!」


 エヴィルダース皇太子が大きな声を出して、周囲は一瞬静寂が訪れた。


「……まあ、事実はそうですから否定はしませんが」


 デリクテール皇子が冷静に答えると、エヴィルダース皇太子は何かを思いついたように話を続ける。


「決めた、この戦が終われば、ヤツからゼルクサン領とラオス領を接収する」

「……」

「当然だろう? このような有事にも関わらず、自領すら治められない無能なのだ。それとも、異論があると?」

「ありません」


 デリクテール皇子もキッパリと答える。


「ふふふ……そうだろう」

「……この先、我々がヘーゼン=ハイムへの派遣を要請してもですか?」


 アウラ秘書官が尋ねる。


「変わらない。いや、変わるわけがない。当然、先陣をきった四伯を筆頭とした軍が第1の功績となる。第2功は、当然、第2陣である。遅く戦地に駆けつけた者など、評価に値しない」

「……」


 エヴィルダース皇太子は、至極当然のことを口にしている。アウラ秘書官もそれについて反論する気はなかった。


 そして、デリクテール皇子も同調する。


「皇太子殿下の言う通りだ。たとえ、この先グライド将軍級の首を挙げても、イリス連合国クラスの大国を落としたとしても、その評価は覆るものではない」

「ククク……その通りだ。もし、ヘーゼン=ハイムが帝国の危機に瀕した時に出陣し、功を掠め取ろうと画策するならば、これほど傲慢で卑劣なことはない」

「……了解しました」


 両殿下に頭を下げたアウラ秘書官は、自身の机に戻った。


「ヘーゼン=ハイムめ……何を考えている」


 忌々しげにつぶやくと、隣にいた副官のレイラクが反応する。そして、小さな声で、2人にだけ聞こえる声で話を始める。


「エヴィルダース皇太子の憎しみが思ったよりも強過ぎて、目算が外れているのではないですか?」

「それはない。考慮には入れているさ」


 もしかしたら、この内乱すら計算に入れていたのではないのだろうか。だが、肝心のヘーゼン=ハイムの行動に合理性がない。


 ヤツはこれまで、自身の功を最大にするように立ち回っていた。反帝国連合との戦で最も功績を挙げるには、四伯とともに出陣することだったはずだ。


 それなのに、なぜ、停戦をしない……


「両殿下のお話を聞いている限り、ヘーゼン=ハイムがどのように立ち回っても、統治している領は取られるのですよね?」


 副官のレイラクが尋ねる。


「……いや、背に腹は変えられない。本当に追い詰められた時には、ヘーゼン=ハイムを使う。どんな手を使ってでも」


 エヴィルダース皇太子は、その憎しみから、デリクテール皇子は、原理原則を最重視する性格から、そのように断言しているが、最悪、亡国になり得るシナリオもあり得る。


 その時は、ゼルクサン領とラオス領の統治権継続も約束せざるを得ないだろう。それで、上級貴族たちの内乱は平定し、統治も完了する。


「だが、亡国の危機に瀕する事態を、ヘーゼン=ハイムが望むとはどうしても思えないのだ」


 アウラ秘書官は唇に手を当てながら答える。これは、直感でしかないが、ヘーゼンが12大国の中で帝国を選んだのは、大陸で最も国力があるからではないだろうか。


 そうであるならば、滅亡の危機まで国土を削られた帝国が、ヤツにとって魅力的に映るとは思えない。


「何を企んでるんですかね?」

「……わからんが、今は、ヤツにそこまで割いている時間はない。停戦しないならしないで、他の戦力をアテにするだけだ」


 予想では、今回の戦で領土は多く切り取られるが、亡国の危機までには至らないと予測している。無論、帝国将官として領土を少しでも守るために、ヘーゼン=ハイムの力は欲しいが、無いものねだりをしても仕方がない。


 その他に、やるべきことが山ほどある。


 アウラ秘書官は、一旦、ヘーゼン=ハイムのことを思考の外へと置いた。

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