四伯(1)
*
「……不気味だいやむしろ不気味だ」
天空宮殿総務省の次長室で、ケッヌ=アヌがつぶやいた。ヘーゼン=ハイムが、また何かやらかすと思い、常に見張りをさせているが、滅茶苦茶、しっかり窓際帝国将官をしている。
私設秘書官の眼鏡小娘が、チョロチョロと立ち回っているらしいが、その他、なんの異変もない。
「そんなことあり得るかいやむしろあり得ない」
あのイカれ鬼畜
「ヤツめ……いったい、何を企んでるいやむしろ何を企んでいる」
ボソッと両手を組みながら、真剣な眼差しでつぶやく。もう、決して油断することはない。どんな企みだろうと、どんな謀略だろうと、必ず見破って見せる。
そんな彼に、目下、仕事はない。
*
*
*
南の最前線、戦地ライエルド。夥しい数の死体が転がる中、眼帯の老将が、圧倒的な殺気を纏いながら、歩を前に進める。
「はぁ……はぁ……なんて、化け物」
凱国ケルローの副団長ダルシア=リゼルが、息を切らしながら呆れる。20万の兵を前に、3万も満たない兵数で持ち堪えるなど、常人の業ではない。
驚嘆すべきは、狂剣マラサイの圧倒的な殺戮能力。十数人の軍長級が、ことごとく斬り捨てられ、戦線は一時、恐慌状態に陥った。
だが。
「そろそろ打ち止めかね」
ニヤッと、ダルシア副団長が笑みを浮かべる。マラサイ少将がどれほどの強さを発揮したとしても、所詮は多勢に無勢。この圧倒的な戦力差は埋まらない。
凱国ケルローの軍長級は未だ30人以上。一方、帝国側で歩みを進めているのは、もはや、マラサイと副官のブラッドのみ。
だが。
眼帯をした老将は、不敵な笑みを浮かべ、
「……っ」
未だ衰えぬ圧倒的な闘争心。これまで以上に集まる夥しい魔力。躊躇なく命を投げ打ち、歓喜するが如く魂を燃やし尽すその姿に、ダルシア副団長は身震いする。
「まったく……狂ってるねぇ」
「開ーー」
「そこまでです」
突如として。
マラサイ少将の隣に、中肉中背の男が出現した。
ラージス=リグラ伯。大陸最強と謳われる四伯の一角であり、南軍の総指揮官である。彼はマラサイ少将の手を掴み、首を横に振る。
「小僧が……何をしにきた?」
「久しぶりなのに、ご挨拶ですね。ここは、あなたの死に場所ではありません」
「……ふん」
面白くなさそうに、マラサイは
「マラサイ少将!」
副官のブラッドが近づき声をかけるが、眼帯の老将はピクリとも反応をしない。どうやら立ったまま気絶しているらしい。
「……ベルベッド。すぐに治療を」
「は、はい!」
同じくこの場に現れた芦毛パーマの美女が、すぐさま眼帯の老将の治療を始める。
「よくも、ここまで耐えてくれたものだ。ご苦労様でした」
ラージス伯は、狂剣マラサイに手放しの敬意を評し、疲弊し尽くした後方の精兵たちに向かって叫ぶ。
「戦線を下げる! 皆、退け!」
「そんな! マラサイ少将が死守した戦地ライエルドを放棄するのですか!?」
副官のブラッドが憤然と叫ぶが、ラージス伯の声に揺らぎはない。
「次の私たちの戦場は……砂漠だ。ここで果てなかったのを後悔するほど、灼熱の地獄となる。今は、退け」
「……」
中肉中背の、ごくありふれた中年男の風貌。とてもではないが、帝国最強の四伯を冠するとは思えない。マラサイ少将のような、圧倒的な威圧感もない。
この男に任せていいのだろうか。
ブラッドは、疑念の眼差しを浮かべる。
「やれやれ……やはり、オーラがないのかな」
「ククッ。あんた、本当に帝国最強の四伯かい?」
困ったように苦笑いするラージス伯を、ダルシア副団長が挑発する。
「そこのベルベッドにもよく言われるんだよ。『地味だ』とか、『普通だ』とかね。こっちは、威厳を出そうと頑張ってるのだが」
「そうかい……だが、あんたがその小娘だけを連れてきたんだったら、そこいらでくたばる雑兵と同じ運命を辿るねぇ」
そう言い放ち、彼女は双槍型の魔杖『
「私は、そんな勇猛な男ではないよ」
ラージス伯は淡々と答え、自身の手に持つ扇形の魔杖を軽く振るう。
瞬時に。
コブがある馬のような動物が、目の前に出現した。
「……何をした?」
「魔法使いが魔法を使っただけだよ。地味なもんだろ?」
ダルシア副団長の問いに、淡々と答える。
「魔獣ラーダ……砂漠の民があなたに?」
ブラッドが、信じられないような表情を浮かべる。
ラーダは、砂漠の過酷な環境に適応するため、コブの脂肪でエネルギーを蓄える魔獣である。数日間、水を飲まなくとも平気で、砂漠での速度は馬の倍ほどの速度を叩き出す。
そして、魔獣ラーダを所有しているのが、砂漠の民だ。
彼らは、戦地ライエルドと後方のドクトリン領との物資運搬を請け負うが、決して帝国人には心を開かない。物資運搬以外の事柄は、話すこともない。
そんな彼らが、なぜ……
「ヘーゼン=ハイムからの贈り物だそうだ」
そう言って、ラージス伯が再び扇型の魔杖を振るった。
「……っ」
瞬時に広がるその光景に、ブラッドは苦笑いを浮かべた。
眼前には、魔獣ラーダに乗った、数百の砂漠の民が立っていた。荷台もついている。不思議とラージス伯に対する反抗心も消え、冷静な思考を取り戻す。
これなら、マラサイ少将を初め、生き残った兵たちは撤退できる。
「ちょっと待ちなよ! 遊んでいかないかい?」
ダルシア副団長は、軽口を叩いて引き止めようとする。
「美女の誘いは嬉しいが、私の副官が嫉妬するのでね」
「だ、誰がしますか!?」
ベルベッドが顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「釣れないね……そう言わずに楽しもうよ」
いつの間にか、ダルシア副団長の周囲には5人の軍長が立っていた。
「やれやれ。ブラッド副官。早く行きなさい。後衛は引き受けた」
「で、ですが1人で……っ」
そう言いかけた時には、彼は遥か後方にいる魔獣ラーダの上に載っていた。ラージス伯とはいつの間にか、数十メートルほど離れている。
「……不気味な魔杖だねぇ」
「ミ・シル伯のように、手の内を見せて勝てるタイプではないからね。君たちが、この線まで近づかなければ、何もしない」
そう言って。ラージス伯は、魔杖で地面に線を引く。
「ふふふ……ふざけた男だ。私たちがそれで恐れるとでも? 行け」
ダルシア副団長が指示をすると、軍長たちが弾かれたように襲いかかってくる。そして、各々が自身の魔杖で渾身の一撃を振るう。
「
だが。
「「「「「……っ」」」」」
5人の軍長は絶句した。先ほど、ラージス伯が引いた線が変わらない距離にあるのだ。まるで、彼らが一歩も動いていないかのように。
「わかってくれて嬉しい。では、私が行くから」
笑顔を浮かべたラージス伯は、ラーダに乗って扇型の魔杖を振り、数百のラーダに乗った砂漠の民とともに姿を消した。
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