奇貨


 ロレンツォが部屋から出ると、前にはヘーゼンがおり、深々と頭を下げてくる。


「本当にありがとうございました。助かりました」

「わざわざ、礼を言うためだけに待ってたのか? 律儀だな」

「いえ。もう1つお願いがありましたので」

「……っ」


 瞬間、ロレンツォは足早に廊下を歩き、ヘーゼンを置き去りにする。なんなんだ、次から次へと厄介ごとしか持ってこない、この元部下は。


「……」

「……」


           ・・・


 ぴっ、ぴったりついてくる……


「ヘーゼン=ハイム。私は、君を引き離そうとしてるのだぞ?」

「はい。だから、引き離されまいとしてます」

「くっ……『君のお願いなど聞く気がない』と言う意思表示だ。わからないか?」

「そこをなんとかお願いします」

「はっ……くっ……」


 これが、『お願い』と呼べるのだろうか。


「……はぁ。話だけは聞く。歩きながらな」

「ありがとうございます」


 深く深くため息をつくロレンツォに、ヘーゼンはニッコリと満面の笑みを浮かべる。


「では、ついでに私も1つ聞かせてもらおう。デリクテール皇子をどう見た?」

「素晴らしい方ですな。見識も人柄も一級品です。恐らく、優れた魔法使いでもあるのでしょう?」

「ああ。現時点での実力はエヴィルダース皇太子と遜色はないだろうと見られている」

「ですが、先に行われた真鍮の儀で、皇太子争いに負けました」

「……その通りだ」


 皇太子を選定する星読みは、潜在魔力も見通すと言われている。魔法使いとして成熟機に入ったデリクテール皇子よりも、エヴィルダース皇太子は、もう一化けすると言うところか。


 そして、もう1つの大きな理由は、派閥の大きさだろう。皇帝が交代した時には、その派閥が大きな求心力を持つ。デリクテール皇子が皇太子になった時に、政権運営が不安視されているのだと推察する。


「あの方は、『皇帝になりたい』と言う野心が強くないように映りました。自身の理想の生き方を体現している方というのか」

「……いい見立てだ」


 デリクテール皇子は、『最も優れた者が皇帝になるべき』と言う確固たる考えがある。そして、それを選ぶのは完全なる中立者『星読み』であるとも。


 ヘーゼンは、淡々と話を続ける。


「今の情勢で、必死に皇帝争いに加わらないのは厳しい。私が派閥に入ったとしても巻き返すのは厳しいと感じました」

「……そうだな。だが、あの方のお人柄に心酔し、それでもいいという者も多い」


 ロレンツォ自身もそうだ。以前、エヴィルダース皇太子派閥のアウラ秘書官から誘われたことがあったが、丁重に断った。


「はぁ……」


 深いため息をついた後、ロレンツォは本題を進める。


「それで、頼みとは?」

「シオンと言う私設秘書官がいます。彼女に力を貸してあげて欲しいのです」

「総務省と法務省では畑が違う。力になってやれるとは思えないな」


 即座に首を横に振る。


「デリクテール皇子の派閥は、エヴィルダース皇太子派閥の次に多い。総務省にも、相当数の帝国将官がいるでしょう?」

「……ヘーゼン=ハイム。私が君に力を貸すメリットは?」


 ロレンツォが尋ねる。もう、すでに上官と部下の関係ではない。派閥も異なる。いくらヘーゼンだからと言って、デリクテール皇子の力にならないことに、力を貸す気はない。


「このままの一騎打ちですと、デリクテール皇子は負けるでしょう。今や、エヴィルダース皇太子派閥との勢力差は覆せないほどの差が開いている」

「……」


 確かに、エヴィルダース皇太子の派閥は勢いが凄い。元々、彼らは古参の名門貴族たちの地盤を中心としていた。


 だが、近年はデリクテール皇子の地盤であった、中堅の上級貴族層、下級貴族層を取り込み始めている。


「第3勢力が生まれれば、皇帝争いは面白い局面になりますよ。私が保証します」

「……」


 ロレンツォは、少し沈黙する。ヘーゼン=ハイムが、提案すると言うことは勝算があってのことだろう。


「だが、他の皇子で担げる有力な候補者など果たしているのか?」


 レイバース皇帝の直系は多数いるが、抜きん出ているのが、エヴィルダース皇太子の派閥とデリクール皇子の派閥だ。他は、どんぐりの背比べと言ったところだ。


 その時、ヘーゼンは少しだけ声のトーンを抑える。


「ここからは、内々の話にして欲しいです」

「……わかった」

「私が担ぐのは、イルナス皇子です」

「童皇子か。いったい、なぜ……」

「簡単です。誰も手につけていない皇子の方が、勝ち取った時の益が大きい」

「……傀儡にすると言うのか?」

「取るに足らぬ器であれば、それも考えます。ですが、私の見立てでは、あの方は化けます」

「……」


 皇族、名門貴族からは取るに足らぬ存在として蔑ろにされているイルナス皇子だが、ロレンツォの心証は悪くない。


 デリクテール皇子も、何かと気にかけているようで、数度ほど会話をする場面もあったが、他の幼い皇子とは違い見事な立ち居振る舞いだった。


 ヘーゼンは話を続ける。


「イルナス皇子に対するエヴィルダース皇太子の執着は異常だ。あの方がデリクテール皇子の奇貨として果たす役割は非常に大きい」

「……」


 この男。大胆な駆け引きに出ている。デリクテール皇子はこのような取引を好まない。部下としては、彼のような人格は望ましいが、同時に、そのような清廉潔白さがもどかしい。


 2つの感情に揺れるジレンマを、利用されている。


 やがて。


「……数人。総務省の知り合いを紹介しよう。いずれもデリクテール皇子に心酔しており、信頼ができる男だ」

「ロレンツォ次官補佐官の見立てに、お任せします」

「ぬかせ」


 こちらの思惑を見抜かれていて、面白くない。デリクテール皇子が白だとすれば、ヘーゼン=ハイムは黒。


 当然、ロレンツォ自身は、白でありたいと願うが、あの方のように純白にはなり得ない。そして、エヴィルダース皇太子もまた黒。


 黒に対抗するためには、よりドス黒いものを奇貨として置くべきだ。


「わかって頂けて嬉しいです。それならば、よろしくお願いします」

「……ああ」


 油断は禁物だ。この男は、元上官であろうと、平気で背中から刺してくる。掲げる旗が違う以上、最大の敵ともなり得るのだから。


 ロレンツォは、笑みを浮かべ。


 ヘーゼンもまた、笑みを浮かべた。

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