デリクテール皇子
*
「失礼いたします」
2人が部屋に入った。室内は、皇子の部屋とは思えないほど簡素だった。むしろ、他の上級貴族たちの部屋の方が、豪奢に彩っているくらいだ。
「よく来てくれたな、ロレンツォ次官補佐官」
端正な顔をした男が、机に本を置き立ちあがる。長身で、身体が引き締まっている。歳はすでに30代後半のはずだが、まるで青年のように若々しい。
デリクテール皇子。この男が、皇位継承候補者第2位であり、この帝国で3番目の権力者である。
「本日は、貴重なお時間を頂きありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。身分を気にせずに、忌憚のない意見を聞かせて欲しい」
「はい」
ロレンツォは緊張しながらも返事をする。
そんな中。
グイグイ。
グイグイグイと。
「くっ……」
腕で制止しているにも関わらず、強引に目を引こうとする同行者が1人。
「こ、こら……まだ、待て」
「君は?」
計算通りに、デリクテール皇子の注目を勝ち取り、黒髪の青年は深くお辞儀をする。
「ヘーゼン=ハイムと言います」
「ああ、そうか! 噂には聞いている」
明瞭かつ温かみのある声で、デリクテール皇子は歓迎の意を示す。
「突然、申し訳ありません。ぜひ、一度デリクテール皇子に謁見する機会を頂きたくて、ロレンツォ次官補佐官に同行を許可頂きました」
「なるほど。確か、君たちは北方カリナ地区では上官、部下の関係だったな」
「そんなことまで、知っていらっしゃるのですか」
ヘーゼンは素直に驚く。
「ひと通りの情報は調べたよ。あのイリス連合国のグライド将軍を倒すほどの新鋭だ。そのまま、弟の派閥に入ると思ってヒヤヒヤしたが」
「……」
「愚かな弟だろう?」
「……っ」
言い放った瞬間、ロレンツォの肩がブルッと震える。ヘーゼンも数秒沈黙したが、やがて、答える。
「そんなことはありません」
「ハハハ! いや、失礼。言える訳はないな」
デリクテールは笑う。
「エヴィルダース皇太子殿下は、気性が荒く、短慮な所がある。武芸と魔力は秀で、大将軍に劣らぬほどの魔法使いであるのだが」
「ハッキリと物を言われるのですね?」
「そうか? 皇位継承争いとは、互いを切磋琢磨し、帝国のため最も優れた皇帝を選出するための制度だ。立場や身分を気にしていては、成長には繋がらない」
「……」
「それに、皇子という身分は、家臣から叱責されることもない。したがって、自ら行動を戒め、他の候補者たちとも指摘し合う間柄でなくてはいけない」
「素晴らしいお考えです」
ヘーゼンはニッコリと笑顔を浮かべる。
「それで? ただ、『
デリクテール皇子は、椅子に座り足を組む。
「はい……我がゼルクサン領とラオス領で起きていることをご存知ですか?」
「もちろん。前代未聞の訴えを受け、法務省は厳しい対応と議論に追われている。話題に事欠かない男だな、君は」
「はい、ですから、法務省の管理をされてるデリクテール皇子のご意見を伺いたく思いまして」
「……おい」
ロレンツォが、ヘーゼンの服の裾をギュっと引っ張る。
「気にしないでくれ、ロレンツォ次官補佐官。なるほど、率直な男だな。
「ありがとうございます」
「では、結論から言ってもよいかな?」
「お願いします」
「このままだと、君は負けると思うな」
「……」
デリクテール皇子はキッパリと言い切る。
「爵位不遵守に対抗して、領主命令不遵守をぶつけたのは面白い試みだった。陛下とエヴィルダース皇太子殿下から賜った土地というのも考慮され、なかなか結論は出ないだろうが、最終的に勝つのは上級貴族たちだろう」
「……」
「勘違いしないで欲しいが、
「なるほど。では、仮に、私があなたの派閥に入ると言ったらどうですか?」
ヘーゼンがそう尋ねると、デリクテール皇子は即座に首を振る。
「同じだよ。結論は、変わらない。それに、派閥とは、駆け引きで入ったり出たりするものではない。君には申し訳ないが、力にはなれないな」
「……わかりました。もう一つ、質問をいいでしょうか?」
「なんだ?」
「力を得ようとは思わないのですか?」
「あるに越したことはないが、無理に得ようとは思わないな」
デリクテール皇子はキッパリと答える。
「……そうですか。わかりました」
「よし、この話は、終わりだな。あらためて、1つ提案がある。
「……」
「この裁定が降った後、君は領地なども没収されて爵位も下級貴族に落ちるだろう。だが、君が優秀なことには変わりない。
「ありがとうございます。ですが、申し訳ございません」
そう答えて、深く頭を下げる。
「そうか。それは、残念だな。
「いえ」
「すでに、エヴィルダース皇太子殿下の派閥に?」
「いえ」
ヘーゼンは、2度、首を横に振る。
「ふむ……ならば、理由を教えてくれないか? 無理にとは言わないが」
「失礼は、ロレンツォ次官補佐官に禁止されておりますので」
「おい……ちょ、まっ……」
「構わない。話してくれ」
狼狽するロレンツォを、デリクテール皇子が悪戯っぽい笑顔で眺めながら答えた。
「……」
ヘーゼンは少しだけ考えて、やがて、話し始める。
「デリクテール皇子は、帝都の歓楽街に行ったことがありますか?」
「ん? いや、ないな。ああいうところは、どうも水が合わなくてな」
「私もです。ですが、あの場所に渦巻く活力みたいなものは気に入っているのです。貴族を騙し、金を稼ぎたい。女を抱き、快楽を得たい。上官に取り入り出世をしたい」
「それは、欲望だな。彼らは、いずれ、それに身を焼かれるぞ」
「そうかもしれません。ですが、私は焼かれながらも這うように、前に進むような生き方が好きなのです」
「……」
「それに比べ、ここの水は、私には少し綺麗すぎるようです」
「……」
ヘーゼンの答えに、デリクール皇子は怒りもせず、ただ興味深い様子で頷いた。
「わかった。だが、考えが変わったら、いつでも訪ねてきてくれ」
「ありがとうございます。お会いできて光栄でした」
「しかし……歓楽街か。君の話を聞いていると、少しだけ興味が出てきたな」
「お時間があれば、今度案内させますよ」
「ああ、ぜひ頼む」
ヘーゼンは、深くお辞儀をして、颯爽と部屋を出て行った。
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