ロレンツォ次官補佐官
*
天空宮殿の法務省。1人の男が、足早に廊下を歩いていた。ロレンツォ=ラーグレー。法務省の次官補佐官である。
元々は最前線の北方カリナ地区で軍人として従事していたが、功を買われて半年前に天空宮殿で従事していた。
相当な激務で、息を吐く暇もない中。
「お久しぶりです」
「……っ」
ロレンツォは、即座にクルッと身を翻し、逆方向に歩き出す。疲れているのだろうか……今、見てはならないものを見た気がする。
「お久しぶりです」
「……っ」
幻覚じゃなかった(幻覚であって欲しかった)。
やはり、目の前にいたヘーゼン=ハイム。と言うか、さっき、反対側にいたはずなのに。
ヘーゼンは北方カリナ地区にいた頃の部下である。まさしく、トラウマ級の衝撃で、忘れたくても忘れられない。
元上官は、今後起こるであろう厄介ごとを予想して、大きくため息をつく。
「毎回、信じられない噂を耳にしてるよ。正直、会いたくはなかったな」
「私が会いたかったから来ました」
「……そう言うところなんだよなぁ」
ロレンツォは、なんとも言えない苦笑いを浮かべる。わがまま過ぎるところが、なんにも変わっていない。
「天空宮殿の宮仕えはどうですか?」
「正直、堅苦しいな。最前線で戦っていた時の方が、色々と気にせずにやれた」
「私は心強いですけどね。優秀な元上官が、同じ天空宮殿の内政官にきてくれて」
ヘーゼンは、ニコーっと満面の笑みを浮かべる。
「……何を企んでいる?」
「デリクテール皇子と面会したいんです」
「……」
ロレンツォは、クルッと振り返り歩き出す。やっぱり、会うんじゃなかった。と言うか、もう、一生会いたくない。
「さすが、話が早くて助かります。案内してくださるんですよね」
「……っ」
ピッタリと、ついてきている。なんだろう……全力で逃げたところで、ずっと後ろからついてくる気がする。
「アポもなしに、皇子と面会ができるはずがないだろ。私に、そんな非礼は犯せない」
「でも、これからデリクテール皇子と会うんですよね?」
「くっ……」
なんなんだ。なんで知ってるんだ、この男は。違う方向に歩いてるのに、なんなんだ。
「それは、皇子が法務省の管理をしているからであって、個人的に会う訳じゃない。もちろん、業務上の報告があるのだ」
ただでさえ、超権力者との謁見は、神経がゴリゴリ削られる。ヘーゼン=ハイムなど連れて行こうものなら、寿命が縮まる自信がある。
「少しだけでいいんです。ほんのちょっとだけ」
「なお怖い。絶対にダメだ」
「……」
「……」
・・・
め、めちゃくちゃ、ついてくる。
「ヘーゼン=ハイム。私は、今、ダメだと言ったんだぞ?」
「いや、でも、面会したいんです。なんとかなりませんか?」
「……っ」
なんと言う鋼の
「だいたい、何を話すつもりだ? 言っておくが、デリクテール皇子は非常に公正で清廉な方だ」
「エヴィルダース皇太子とは違ってですか?」
!?
ロレンツォは、慌てて首を振って周囲を見渡し、誰もいないことを確認してホッと胸を撫でおろす。
「き、貴様……不敬罪で極刑になりたいのか?」
「いや、そう言いたそうでしたから」
「くっ……」
絶対に、この男にだけは会わせたくない。だが、なんでか知らないが、絶対にこの男は引かない。むしろ、『絶対に会ってしまう』と思ってしまう自分がいて怖い。
「……」
「……」
・・・
き、気まずい沈黙にも強いのかこの男は。
やがて。
「はぁ……」
深く深くため息をついて、ロレンツォは観念する。
「失礼なことを言わないって、約束できるか?」
「もちろん、します」
「……」
ウソくさい。ここに、ヤン=リンでもいれば、まだマシだったが。単品でヘーゼンはキツい。
ロレンツォは、あきらめてデリクテール皇子の部屋に向かって歩き出す。
「ところで、ジルバ大佐はお元気ですか?」
「……元気もクソも、退任したよ」
ヘーゼンの代行で、ロレンツォが完全従属契約を結んではいたが、キチンと敬意は払っていた。だが、その後、急速にショボくれてしまった。
北方カリナ要塞から去る時も、トボトボと歩き、寂しそうな背中だった。
「シマント元少佐はどうですか? 元気にしてますか?」
「……元気にしてると思うか?」
彼こそ、ジルバ大佐の
「しかし、ロレンツォ次官補佐官がデリクテール皇子の派閥にいるとは意外でした」
「元々、ジルバ大佐がそうだったからな」
派閥は、その貴族の家によって、ほぼ決められている。その中で、裏切りや凋落などはあるが、ロレンツォはそのままデリクテール皇子に仕えている。
「……派閥に入るのなら歓迎するが?」
「いえ。そう言う訳ではありません」
「はぁ。だと思ったよ」
デリクテール皇子のような清廉な方に、ヘーゼン=ハイムが合う訳がない。
これから起こる出来事に不安を感じつつも、ロレンツォは皇子のいる部屋のドアを開けた。
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