停戦交渉
*
エヴィルダース皇太子との謁見後。ヴォルト=ドネアは邸宅に戻るや否や、轟音響き渡る声で叫ぶ。
「エマ! エマ、いるか!」
「ど、どうしたのお父様!? 近くの人、鼓膜破れちゃうわよ」
ブラウン髪の淑女が呆れながら、部屋から出てくる。
「戦が始まる。デカいヤツじゃ! クハハハハッ! 血湧く血湧く」
「……そう。無事に帰ってきてね」
「もちろんじゃ。だが、もしワシが死ねば、当主はお前じゃ」
「わ、私!? えっ、なんで!? 末っ子よ、私」
「関係ない。お前には、息子たちの誰よりも才がある」
「無理よ! 無理無理無理!」
エマがブンブンと首を振る。
「なんじゃ、欲しくないのか? ヘーゼン=ハイムを助ける力が?」
「……そ、それは」
「ヤツは、どんどんデカくなるぞ。まったく、小気味のいい」
「……」
「ドネア家の力がなくても、ヤツとお前の関係は変わらんじゃろう。だが、お前は、本当にそれでいいのか? ヤツの力になるには……強大な力がいる」
「……」
エマは真っ直ぐにヴォルトを見つめる。
「ふっはははは! その顔を見てればわかる! さすがは、ワシの娘じゃ。答えは受け取った。バショウ、行くぞ!」
「はっ!」
そう言い残して、白髪の老将は、副官とともに去って行った。
*
*
*
遡ること、半日前。マドン陣営の下に、ドスケ=ベノイスたち上級貴族が乗り込んで来た。
「ドスケ様、いったいどうされてーー」
ぺちっ。
「……」
ビンタを喰らったマドンは、頬を横に振る。
「はぁ……はぁ……貴様ーが! グズグズとしていーるせいでー! 殺すぞこのカース! このクソゴミカース!」
「ちょっと待ってくださいよ! マドン様の作戦は小まめにあなた方に報告をーー」
「やめろ、セシル!」
マドンは先ほどの様子とは打って変わって凄んだ声で制止する。そして、ドスケたちに向かって深々とお辞儀をする。
「本当に申し訳ありませんでした」
「ふん! 無能過ぎるボケ老人のせいで、我々が軽く見られたのだーぞ! この責任は取ってもらうからーな!」
「……はっ」
「すぐに、停戦交渉に入ーる。ヘーゼン=ハイム側に連絡を取ーれ!」
「わかりました」
「いいーか! 我々が、『本物の交渉』と言うものを見せてやーる! 耄碌し腐ったジジイはジッと我々の手腕を見ておーけ!」
「……了解いたしました。セシル、早くヘーゼン=ハイム側に接触し、場を整えなさい」
「で、でもっ」
「いいから、早く」
「くっ……わかりました」
セシルは納得いかない表情を浮かべて、カカオ郡の主城ゼノバース城へと向かった。
半日後、その会談は実現した。ヘーゼン=ハイムが、ラスベル、ヤンを引き連れて、馬で乗り込んできたからだ。
「ふーん! ノコノコと来たーか……まったく、忌々しーい」
陣営に入ってくるや否や、ドスケ=ベノイスが立ち上がって、ヘーゼン=ハイムの方に向かう。
「反帝国連合が結成されて、帝国は未曾有の危機に陥っていーる。本当に不本意だが、貴様と一時的ーなーー」
「マドン殿! いや、お会いしたかった」
「……っ」
どスルー。
完全に、ドスケを、どスルーし、ヘーゼン=ハイムは後方にいるマドンに向かって話しかける。
「さすがは、ガルサール戦役で奇跡の大逆転劇を起こした宿将だ。『大勢のある時は、粘り強く』と言う定石を心得ていらっしゃる。正直、非常にやりにくかった」
「ふっ……それを言うなら、私もです。まさか、テナ学院の生徒たちを動員して、戦うなど思っても見なかった。日に日に成長する敵と、どのように対峙するかに、どれだけ神経をすり減らしたか」
「うおおおおおおおおいひいいいーぃ! い、いい加減にしろーー!」
和やかな歓談に、ドスケが甲高い声で叫ぶ。
「申し訳ないです。少し、不肖の弟子たちと戦術論を交わしていてください。くだらぬ用事を片付けてきます」
堂々と笑顔で言い放ち。ヘーゼンはクルリと踵を返し、ドスケをはじめ上級貴族の面々と対峙する。
「何か?」
「……っ」
圧倒的な上から目線。上級貴族の上位の方々にも取られたことがない、圧倒的無礼な振る舞いに困惑する一同。
「だっかーら! 反帝国連合が結成されて、帝国が未曾有の危機でー!」
「聞きましたよ、だから、何ですか?」
「……はっ……くっ」
なに、こいつ、超無礼。
「だかーら! 条件によってーは! 停戦交渉に乗ってやらなくもーー」
「停戦交渉? しませんけど」
!?
「……っ」
ドスケが愕然とした。
「えっ……な、な、なにを言ってーる? 貴様ーは! 自分の置かれてる立場ーを! わかっているのーか!?」
「そうだ! 貴様、わ・か・っ・て・い・る・の・か! わかっているのか!?」
「……」
バッド=オマンゴが、後方から援護する。
「それ、私の台詞ですけどね。もしかして、あなたたち、自分たちの立場、わかってないんですか?」
ヘーゼンは怪訝な表情で尋ねる。
「た、立場だーと?」
「このまま、停戦交渉しなければ、あなたたちの身分は下級貴族に落ちる。大方、アウラ秘書官にでも脅されたんでしょう?」
「そ、それーは!」
「一口グミみたいなあなた方の小さな脳みそで、必死に考えて見てください。私が停戦しない理由を」
!?
「……はっ……くっ……きゃっ。き、貴様! な、なんたるーー」
「っと。爵位が上の人に使う発言ではありませんでしたかね? 失礼しました」
そう言ってヘーゼンは、姿勢を下に動かすどころか、むしろ、背筋をピンと伸ばす。
「……っ」
逆謝罪。
失礼が過ぎる。
謝罪と物言いが、全然釣り合ってないどころか、マイナスになっている。
「まあ、圧倒的に私が有利になりましたんで、今日は、無礼講と言うことで」
「……っ」
勝手に分析して無礼講。
「な、な、何をふざけたことを言っていーる!?」
「やっぱり、わからないんですよね。いや、大丈夫です。あなたみたいに、自己分析ができてない上級貴族の方はこれまでにもいましたから。無能耐性はついてるよな、ヤン?」
「……あう……あう」
ガビーンとした黒髪少女は、何も言わない。
「……ねっ? 慣れてるんですよ、我々は」
慣れてなさそうな弟子を見なかったことにして、ヘーゼンは淡々と話を進める。
「……き、きしゃまーぁ」
「いや、懐かしいな。知ってます? モスピッツァ=ランデブ?」
「……っ」
ドスケは、その名前を聞いて、ビクッと肩を振るわせる。
「40代前半。馬術もできない。剣術も弱い。頭も悪い。将官試験をくぐり抜けただけで、自分はエリートだと言う、凝り固まった自尊心のまま威張り散らして、性格まで歪んでいる。元上級貴族で、今は上級奴隷です」
「……っ」
「あれ? もしかして、知り合いですか?」
「くっ……」
知っている。と言うより、同学院同年卒の間柄である。ドスケは、そのまま帝国将官試験を落ち続け、ヤツだけが合格していた。
その後、事あるごとに帝国将官である日々を自慢され、毎年手紙を送りつけてきた。
その時の屈辱と言ったら忘れられない。
「なるほど、アレは陰険なゴミでしたからね。あなたが帝国将官にコンプレックスを抱くのも不思議じゃないな。どうせ、他も似たような、くだらない僻みでしょう? 失礼ながら」
「……っ」
ど失礼。
「アレ? でも、あのゴミは一応、帝国将官だったな……それよりもヤバいとしたら……私、思うんですけど、失礼ながら、少し贅沢では?」
「ぜ、贅沢?」
「あなた方が、帝国将官に対してコンプレックスを持ってるのは理解します。ですが、上級貴族という圧倒的なアドバンテージを持ちながら、7年連続で帝国将官に落ち続けたんですから、コンプレックスを持つならミジンコとかのがいいと思うんですよ。失礼ながら」
「……っ」
なんたる暴言。
「いや、いくら努力しても駄目だったと言うなら、そんな失礼なことは言わないんですけど、どうせ、『明日やろう』って勉強先送りにして7年間ロクに勉強せずに、自身の領の圧倒的なコネで、地方将官になった生粋のクズでしょ? 失礼ながら」
「……はっ……がっきぃ……」
圧倒的に
「おっと、一応、我が領の領民なので、ついつい苦言を。失礼しました」
「……っ」
その背筋は少しも下がらずにむしろ、そる。
逆謝罪。
「ついつい、脱線しましたが、停戦交渉はしません。まあ、勝手にやめるのなら勝手ですが、我々は戦いますよ」
「き、き、貴様は帝国将官としての誇りはないのか! 帝国存亡の危機に、そんな身勝手なことを!」
「まあ、忠誠の仕方は人それぞれですから。少なくとも、あなた方のような価値観でないことは確かですな」
「……っ」
「どうしてもと言うのなら……まあ、総資産の半分で手を打ちましょう」
「……っ」
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