シオン


 シオンは思わずガビーンとした。なぜか、天井に張り付いているヘーゼン=ハイムは、まるで、当然かのようにスッと地面に降りてくる。


「な、なんで天井に?」

「いや、確認」

「……っ」


 何の!? とシオンは思うが、隣のヘーゼン(2号)は、平然と淡々と答える。


「だから、言ったじゃないですか。ずっと、見てるって」

「いや、だから、ずっとは見てないですって」

「いや、ずっと見ていた」


 !?


「ずっと見てたんですか!」

「うん」

「な、なんでですか!?」


 いや、さっき馬車で『僕はもういないから。あとは、2人で頑張りなさい』って言い残して、颯爽と去って行ったじゃないか。


「あれは、油断させるためのブラフだ」

「はっ……くっ……」


 なんという異常者サイコパス


「初日だからな。君たちの確認ももちろんだが、相手の反応も見ていた。瞳孔の動き・大きさ、挙動などもくまなく見ていたが、まず疑ってはいないだろう」

「……っ」


 怖っ。


 いや、めっちゃ怖い。


「初期管理、変化点管理は大事だぞ? ポイントを抑えリスクをなるべく減らすこと。それが、いい仕事ができるポイントだ。肝に銘じなさい」

「は、はい」


 その教訓は衝撃的なインパクトを持って、シオンの心に刻まれた。ヘーゼン(オリジナル)は、そのまま話を続ける。


「だが、予想通り、重要な仕事はできそうにないな」

「まあ、そうですけど。このまま2号さんをヘーゼン=ハイムとして認識させればいいんですよね?」

「そうだが、シオン。君は、この仕事から派生して行える仕事を模索してくれ。可能ならで構わない」

「ど、どういうことですか?」

「総務省自体の仕事内容は悪くない。特に地方将官たちに関係する仕事は人脈を作りやすい。横のつながりで、仕事の幅を広げられれば今の部署でも活躍することは可能だ」

「……わかりました。でも、そんな時間あるんですか?」


 目下、ヘーゼンは内乱の真っ最中だ。シオンと2号のために、時間を割く暇があるとは到底思えない。


「僕は不可能なことを自分に課すほど愚かではない。そして、可能性のあることは、可能な限りやるようにしている」

「……わかりました」


 こういう所は、見習うべきだろう。このヘーゼン=ハイムと言う男は、ただの天才ではない。シオンより、ナンダルより、ラスベルよりも……ヤンよりも目的のための努力を厭わない。


 天才の上に努力を積み上げた怪物だ。


「報告書を、伝書鳩デシトで送ってくれ。アドバイスで済むものは、それで済ませるし、交代しなければいけないポイントがあれば交代する」

「……はい」


 シオンは緊張感を持って頷く。基本的にヘーゼンは、細かい指示をあまりしない。上級内政官のような上位階級の全業務を、こんな少女に任せると言うのだから驚きだ。


 だが……自分にやれるだろうか。


「不安か?」

「正直に言うと、はい」

「やれる。君なら」


 ヘーゼンは、漆黒の瞳を彼女に向ける。


「ナンダルからのお墨付きだ。ヤンも君の内政能力を買っている。彼らは嘘は言わない。僕も君の功績に満足している。平民の不能者でなければ、僕は迷わず帝国将官の試験を受けさせただろう」

「……」


 その言葉に、グッと涙腺が緩みそうになる。違う。これは、自分を安心させるための気休めだ。そうはわかっていながらも、こんなに自分を買ってくれるヘーゼンに、泣きそうになる。


 2年前。それまでは、自分の境遇を呪いながら生きてきた。そんな中、この人が現れた。まるで、嵐のような日々だった。


「平民の不能者は、帝国将官にはなれない。平民と貴族。魔法使いとそうでない者。その差別は間違いなく存在し、それは、紛れもない現実だ」

「……」


 そう。


 その通りだ。


 だけど、この人は違った。


 シオンに、クラド地区の政務全般を任せてくれた。ナンダルの下に師事させてもらい、商人としてのノウハウも積ませてもらった。


 給料も十分な金額を貰い、今では食うに困らないどころか、孤児院の子たちが、学校に通えるまでになっている。


 目の前の人は、冷徹だけど、冷徹なだけじゃない。


「だが、平民であろうと、不能者であろうと、君の内政官としての能力は確かだ。君は私設秘書官としての内政官のトップを目指しなさい」

「はい」


 涙を拭って、迷わずに頷いた。


「恐らくだが、これから本格的な侵攻が始まる。敵は慎重だな。僕が総務省の上級内政官に就任するまで待っていたんだ」

「……強敵ですね」

「ああ。予想よりも地方将官の寝返りも少ない。上手くコントロールできている証拠だ」

「勝てますか?」

「このままだと、厳しいな」

「……私、頑張ります」


 少しでも……この人に与えてくれたほんの少しでも恩返しができるように。だが、相変わらずヘーゼンは淡々と答える。


「君が頑張ることは知っている。だから、無理をする必要はない」

「内政官として、もっともっと勉強して、もっともっと役に立てるように頑張ります」

「十分に役に立っている。十二分にやると、身体を壊すから、君はそこを注意しなさい」

「……」


 こんなの、また涙が出てしまうじゃないか。だが、ヘーゼンはそれについては何も触れず、ただ、シオンが上を向くのを待ってくれた。


「……えへへっ。何だか、元気が出てきました」

「なんだかよくわからないが、それなら結構だ」


 眼鏡少女は、満面の笑顔を浮かべる。そして。何となく、何となくだが、ヘーゼンの無表情も、ちょっとだけ綻んだように見えた。


「あと、2号」

「はい」




























「バレたら、処分する」

「……っ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る