ケッノ=アヌ(2)


 ケッノは一瞬唖然としたが、すぐに正気に戻って胸ぐらを掴む。


「おい、貴様! お尻が泣いている? バカも休み休み言えいやむしろ休み休み言え!」

「意味を知りたいですか? では、ご案内しましょう。あなたが満足できる本物のお店パラダイスに」

「……」


 アーナルドは颯爽と身を翻して歩き出す。


「馬車はすでに用意してあります。もし、お気に召しませんでしたら、煮るなり焼くなり縛るなり、お好きにしてください」

「ふん! 平民にしてはいい度胸だ! その言葉、忘れるなよいやむしろ決して忘れるな」


 そう言いながら、ケッノはワイン瓶を片手に後へとついていく。


 ガララララララッ。


 馬車の車輪の音が回る。メインの路地からは、少し離れて、道はだんだん狭くなる。


「……おい!」

「はい」

「なんでしょうか?」

「お前……どこかで私と会ったか?」

「申し訳ありません。私の記憶が確かならば、ケッノ様とは初対面かと」

「……ふん」


 ケッノは、面白くなさそうにワインを喉で転がす。やはり、気のせいだ。どこにでもあるような平民顔だから、以前、見たような気がするだけだ。


「言っておくが、私は玄人プロには興奮しない。素人なんだろうないやむしろ素人中の素人なんだろうな!?」


 ケッノはワインをグビグビとラッパ飲みしながら凄む。


「ふっ……そんなことを思っていた時期が私にもありました」


 アーナルドと名乗った男は、フッと懐かしそうな笑みを浮かべる。


「疲れていたんですね。当時、妻との離婚も重なり、なかなか満足できる品質の店もない。上官のパワハラもキツかった。そんなストレスに耐えることができず、私はオプションにない様々なプレーを強要しました」

「……」

「フフ……言い訳ですね。全ては私が弱かったせいだ」

「……いや」


 ケッノは、なんとなく、わかる気がした。競っていた同期には先を越され、常に上官の顔色を伺う毎日。部下たちからは無視され、『忙しいから』と相手にもされない。


 無理を言われた分、理不尽に罵られた分、溜まっていく黒いナニカ。それを、どこかで発散しなければ、どうにかなってしまうような気がした。


「ただ、残ったものは莫大な訴訟費用。結果として、大金貨300枚の損害賠償を背負うハメになりました」

「……っ」


 高い。あまりにも凄まじ過ぎる金額だった。アヌ家が保有する総資産の半分に相当する規模だ。そんなものは、平民が何回転生したって返せない。


 いったい、どんな変態プレーを強要すればそうなるというのだ。


「しかし、若さゆえの過ちを、金で解決できるのなら安いものだ。ですが、背負った負債は莫大。私は、あなたにはそうなって欲しくないのです」

「わ、私は上級貴族だぞ! そんなもの、揉み消してーー」

「揉み消せましたか?」

「……っ」


 その瞬間、ケッノは、ヘーゼン=ハイムの顔がフラッシュバックする。あの、悪夢のような時間。確か……いや、肝心な場面にモヤがかかり思い出せない。


「1つだけ聞いてもいいですか?」


 アーナルドは澄んだ瞳でケッノを見つめる。


「なぜ、挟まれたいのですか?」

「……それは」


 愚問ではないか。目の前にけつがあれば、挟まれたいと思うのは、当然じゃないか。


「っと。会話の途中ですが、着きましたね。ここです」


 アーノルドは颯爽と降りて、店を案内する。外観は、ごく普通だ。もったいつけた割には、と拍子抜けした。


 『はみケツ』


「ふん! 俗な店名だ。こんなもので私を満足させられるとでもいや満足できるわけないだろう」

「ふふっ……では、いってらっしゃい」


 アーナルドは、扉を開き、まるで観劇の案内員ナビゲーターのようにケッノを送り出す。


 中は薄暗く、誰もいなかった。出迎えも寄越さないのに、不満を抱きながらもそのまま歩き出す。


 突然。


 パッとスポットライトがつき、1人の女性が宙に浮いていた。どこか神々しさを感じる雰囲気の美女で、ケッノに向かってニコリと笑いかける。

 

「アナターノー ハサマレタイー オシリーハー コチラデスカー」

「……」


 右のけつ


 振り返ると、こちらも劣らぬほどの美女だった。金髪のブロンド。整った輪郭。間違いなく歓楽街でも相当な高級妓婦に入る部類だろう。


 だが、モノ足らない。


 肝心なお尻のボリュームが足らない。少し、痩せているからだろう、ケッノの求めるようなボリューム感が表現できていない。


「ククッ……お尻が泣いている? よくもまあ、百戦錬磨の私に向かって大言を吐けたものだないやむしろ大したものだ」


 嘲りながらもそう吐き捨てるが、真ん中の女性はなおも満面の笑みを浮かべる。


「ソレトモー コチラーノー オシリーデスカー」


 左のけつ


「くっ……はっ……」


 振り返れば、ブサイク。一般的な美女とほぼ対局にいるような、キツい容姿だ。どう贔屓目に見ても、50代後半。


 ただ、お尻は。


 弛み切った一歩手前。程よく熟れた、そして、丸みの帯びた、どことなく憂いているような、物悲しげな儚さもあり、理想郷いやむしろ今にもむしゃぶりつきたい。


 いや、だが。いくら、お尻は最高でも顔面がブサイク過ぎる。いくらなんでもあり得ない。物事には、限度がある。


「と、当然、みぎっーー」


 その時。


『こっちだよー』

「……バカな」


 けつが……喋った。ケッノは耳を疑った。そんなハズはないいやむしろそんなハズは。だが、明らかに、


『早く、こっちに来なよー』

「……っ」


 間違いない。喋っている。まるで、生き物のように、プリプリと……誘っている!?


「……がっ……ぐうっ……い、いや嘘だ。」


 瞬間、金縛りに襲われたように身体の身動きがとれなくなる。


 そして、自分の意識とは全く異なり、まるで吸い寄せられるように、身体だ左のけつに吸い寄せられていく。


 だんだんと。


 視界には、お尻しか入らなくなって行く。


 まるで、生きているようにプリプリと肉感のある弾力のあるお尻が近づいている。身体の自由は効かないいやむしろ身体が求めているような……


 そして、身体の力が抜け、今にも挟まれるその瞬間。


「……」


 ……お尻が……笑った気がした。













           *


「お疲れ様でした」

「ああ」


 透明鏡マジックミラー越しに。アーナルドは、無我夢中でお尻を貪るケッノを見つめる。


「それにしても、驚きました。あの男、オーナーのことをすっかり忘れてましたからね」


 店長は驚きながら答える。


「ご主人様は……恐ろしい方だ。私の存在を記憶から消し、あの男を再び帝都に放った」


 最後までクズ枠として奴隷牧場から逃れ続けたケッノは、エヴィルダース皇太子陣営の弱点として戻した方がいいと言う判断だ。


 もちろん、弱みは全て握っている状態だ。


 要職について、脅すか。もしくは、資産を全て使い果たした後に処分するか。それは、ヘーゼンの意思に委ねられる。


「でも……どうやってやったんですか?」


 店長が不思議そうに尋ねる。


「至極単純なトリックだよ。突き出したお尻の前のお股に、人を仕込んで話をするんだ。そして、私の魔杖、亀甲ノきっこうのしばりで身動きを取れなくして、強制的にお尻に向かわせる」

「そ、そんなチープな」


 呆れ果てる店長に、中年老紳士は笑顔で首を横に振る。


「不思議な現象は1度は否定される。だが、2度起きれば、案外、簡単に信じてしまうモノだ」

「……」

「あとは、雰囲気ロマンティック自己陶酔ノスタルジック。そして、数滴のワイン願いで人は簡単に騙される。なぜだかわかるかい?」


 アーナルドは店長に尋ねる。


「……いえ」

「人は騙されたがってるんだよ。いや、むしろ、騙されるために歓楽街に来るんだ」

「……」

「彼はこの不思議な現象を快楽として毎日のように、ここに来るだろう。人は新たな刺激を求めるものだからね」

「……勉強になります」

「あとは、売上がイマイチなあの嬢をここにスタンバイさせて、同じことをすればいい。上級貴族だから、搾り取ればかなりの額になる」

「……アーナルド=アップさん。あなたは、いったい」


 店長は尊敬の眼差しで見つめる。


「私は、単なる風俗店のオーナーだよ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……大金貨300枚の借金って、本当ですか?」

「ええ。精神的苦痛も含めて、信じられない額を要求された。でも、言ったとおり、金で解決できるのならば、これほど素晴らしいことはない」

「そ、それはそうですが、そんな大金どうやって……」

「私のご主人様が全て支払ってくれた。だが、代わりに立て替えてくれそうな人が現れたので、ちょうどよかった」


 アーナルドはそう笑い。


























「さて。けつ穴の毛まで抜いてやるとするかな」


 




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