職員室


           *


 授業後、ヘーゼンの仕事が始まった。生徒の授業は、あくまで特別業務。本業は学長としてのテナ学院運営である。


 職員室に入ると、教師たちは誰も帰っていなかった。どうやら、翌日の授業、テスト等に追われているようで、皆、忙しなく動き回っている。


 対して、ヘーゼンはポツンと席に座っていた。机の上は綺麗そのもの。ヴォルト学長からは、『特に何もやってない』と聞いたが、これが平常なのだろうか。


 そんな中、副学長のモスコフが、目の前に立つ。


「ヘーゼン学長代行、少しお話があります」

「なんですか?」

「今まで学長業務の代行は、言わば副学長である私の役目でした。ですが、学長代行と言うポストができましたので、仕事を明確にしておきたいのです」

「なるほど、道理です」


 ヘーゼンは納得した表情で頷く。要するに、新参の若者のお守りはしない、学長代行の業務を代行してやる義務はない、という意図の発言だろう。


「では、この資料の決裁をお願いしますね」


 モスコフはニヤリと笑顔を浮かべ、自身の机の上から数百の書類を置く。瞬く間に、ヘーゼンの机は並べられた羊皮紙の山ができた。


「わかりました。これが1日の量ですか?」


 パラパラと中身を確認しながら、尋ねる。


「い、1日? そんな訳ないでしょう。どう考えても1ヶ月分はあります」

「そうですか。ザッと見ましたが、1時間ほどで終わらせられるでしょう」

「……んへ?」


 モスコフ副学長が、謎の擬音を発する。


「まだ慣れてませんので、少し時間がかかってしまうところはご容赦いただけると」

「ご、ごめんなさい。その前の発言が、ちょっと聞こえませんでした。今……1週間かかると言いました?」

「そんな訳ないでしょう、この程度で。1時間です」

「……っ」


 モスコフ副学長も、割と歳なので耳が遠くなっているのかもしれない。ヘーゼンは少し言葉のテンポを緩め、気持ち声を大きくした。


「帝国将官試験を考慮すると、教師の誤字脱字はない方がよいので、添削はします。テストにおける感度は高い方がいいですからね。それさえなければ、もう少し早く終わらせられるでしょう」

「……っ」


 ヘーゼン自体、あまり細やかな指摘はしたくないが、採点者の誤字脱字などは生徒たちに侮られる懸念もある。こればかりは、教職の必須スキルとして身体に叩き込んでもらう。


「ご、ご冗談でしょう? い、1時間て。もしかして、盲印めくらいん押して、適当にやろうと言うことですか?」

「そんな訳ないでしょう……ブルー学年主任。ちょっと来てください」


 パラパラと書類を眺めながら、新任学年主任のブルー=マスキを呼び出す。


「全面的にやり直し」

「……っ」

「無駄な校則がハッキリ言って多すぎます。例えば、この制服の着方について。スカートの丈とか、高さとか、意味のない縛りが多過ぎる」

「せ、生徒指導の観点から学生にふさわしい格好をすべきかと思われます」

「恐らく、君だけには言われたくないと思うが」

「くっ……」


 ブルーは顔を真っ赤にしながら、歯を食いしばる。


「集団の同調圧力による規律の統制は否定しないが、基本的には、優秀であればそれでいい。時間をかける必要はありません。箇条書きでいいので修正してください」

「……はい」

「くれぐれも、あなたの個人的な趣味は排除してくださいよ」

「な、なんのことでしょうか?」

「あなたの胸に聞いてください」

「……はぅっ」


 グリグリと。


 ブルーの黒ブラを魔杖の先で捻る。どうやら、彼は知らないフリを決め込むスタイルらしい。たまに、明らかにヅラとわかるヅラを被る者がいるが、どうやら彼もその類らしい。


 モズコールから『彼はクロですよ』と報告を受けていたので、排除対象かと勘違いしていた。先ほど会って、よくよく話を聞くと、着用している下着の色のことだったらしい。


 単なる女子生徒使用済下着着用愛好家らしい。


 ただ、女子生徒の身の危険に及ぶリスクもあるので、監視は引き続き行っていく。その分の手間、工数はかかるので、できれば辞めて欲しかったが、本人のやる気があるのなら仕方がない。


 これも学長代行の務めかと我慢する。


「……ザッとこんなものですか。皆さんの提出資料の差し戻しです」


 やがて、ヘーゼンは添削し終えた書類を、教師たちの机の上に置いて行く。


「こ、こんなにですか?」


 教師の1人が泣きそうな表情を浮かべる。


「えっ? 極力甘めに通したつもりですが。普段は、どのくらいだったんですか?」

「ほ、ほとんど書類は返ってきませんでした」

「なるほど……モスコフ副学長」

「は、はい!」

「後で、決裁書類の承認基準を共有できますか? どう言う判断で行ったのか、今までの過去書類を見直しながらご教授ください」

「はぐっ……あっ……ええっ!?」


 モスコフ副学長は、不可思議な擬音を立て続けに発する。持病だろうか。一方で、ヘーゼンは教師陣に向けて説明をする。


「安心してください。すぐにやらないといけないもの以外は納期を決めてわけます。今は入学式の時期なので忙しいのはわかりますが、それでも19時には帰ってください」

「そ、そんな……そんなの、いつもよりも早いです。それだと……明日の授業の準備が……」


 教師の1人が不安そうにつぶやく。


「まずは明日の準備を優先にして下さい。次に納期の短いものから優先して、残す業務を決めてください。その中で、どうしても間に合わないものがあれば、僕が代行します」

「が、学長代行がですか!?」

「当然です。僕は皆さんのパフォーマンスを落とさないように管理する義務がある」

「で、でも……」

「差し当たってのあなた方の最優先事項は、生徒に対する授業の質を落とさないことです。そのために、最低限の休息は不可欠です」


 もちろん、戦場であればそうも言ってられないが、大事なことは1年を通して高い質の授業を行うことだ。特別クラス以外の生徒たちは、彼ら教師陣のレベルに依存する。


 ならば、職場環境を徹底的に整えなければいけない。


 教師たちに安堵の表情が戻ったところで、ヘーゼンはモスコフ副学長に尋ねる。


「他、学長としての仕事はありますかね?」

「えっと……まあ、それは……おいおい……ははっ」

「そうですか……」


























 


「で? 副学長は何をやるんでしたっけ?」

「……っ」

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