ヘレナ


          *


「許してください! 許してください! もう、無理です許してください!」

「……」


 暗闇の中。冷たい床が広がる部屋で、ヘレナは何度も何度も懇願する。だが、目の前にいる黒髪の青年は、爽やかな笑顔で首を横に振る。


「お願いします! お願いします! お願いします! もう、本当に……許してください」


 謝っているじゃないか。懇願してるじゃないか。こんなに反省をしているのに。なんで……この男は許してくれないんだ。


 泣いて、喚いて、叫んで、嘆いて、頭を下げて、土下座して、懺悔して……それなのに、これ以上、何をしろと言うのか。


 その時、優しい声が響く。


「……あ、顔を上げて」

「ほ、本当ですか!?」


 ヘレナが、顔を上げた時。


「……っ」


 瓢箪型ブサイク。


          *


「きゃああああああああああああっ」


 遡ること1週間ほど前。ヘレナは、ベッドの上で目が覚めた。


「はっ……はぁ……はぁ……夢……か……」


 いや、物凄い悪夢だった。信じられないほど強烈なブス顔。一度、見るだけで嗚咽と鳥肌が止まらない程の圧倒的嫌悪感。


「ここは……」


 そんな恐怖に苛まれつつも、ヘレナは周囲を見渡す。豪奢な部屋だった。いかにも高級な家具や絵画が……そして、超一流の装飾が施された鏡の自分。


「……」


 なぜか、自身の体勢が、四つん這いだった。


 そして。


「……っ」


 鏡越しに映るのは、先ほど夢にまで見た瓢箪型ブサイク。ぴょこん、ぴょこんとズボンのチャックを必死にあげようとしている。


「……」


 だが、よくよく見てみたら、先日から見慣れた……いや、いつまでも見飽きないブス顔だった。ヘレナは、恐る恐る問いかける。


「ね、ネト様?」

「あ、いや。あ、申し遅れました。あ、私はブギョーナといいます」

「……もしかして、ゴスロ家当主の?」

「あ、はい! あ、そうです!」

「……」


 状況がよく、わからない。記憶を遡ると、その日は、分家当主であるネトの邸宅にいたはずだ。それで、見知らぬイケメンの暗殺者に連れてこられて……そこから記憶がうろ覚えだ。


「あ、いや、ネトのやつが、あ、美しいあなたに婚姻を迫ったと聞きまして。あ、私が強引に結婚式を中止させたんですよ」

「……そうだったんですか。本当にありがとうございます」


 ヘレナは深々とお辞儀をする。ことの真偽は定かではないが、あの邸宅に居続ければ結婚させられていたのは、間違いない。


 そして、今は、このブサイクの言うことを信じる以外に選択肢はない状況だ。


「あ、あの。ただ、ネトの方も、かなりしつこい男なので、あ、しばらくはここに、あなたを匿おうかと思っております」

「……お願いします」


 あのブス顔で、しつこいのか。最悪だ。かなり紳士に見えたのだが、やはり、顔面と性格は比例するらしい。ヘレナは素直にお礼を言い、ブギョーナの言うことに従った。


 その間、ブギョーナはブサイクだが、非常に紳士的だった。数時間に一度様子を見にきて、『あ、元気ですか?』とか、『あ、足りないものはないですか?』と気にかけてくれる。


 それから、数日が経過した。


「あ、クソ……あ、クソ……あ、クソ……」


 泥まみれのブギョーナが、怒り肩で帰ってきた。何やら、メイドたちを怒鳴り散らしており、いつもの温厚な性格とは、真逆だ。


 『怖いな』、とは思いつつ、部屋の中で過ごしていると、ブギョーナが様子を見にきた。


「あ、どうだ? 調子は?」

「だ、大丈夫です。快適に過ごしてます」

「あ、そうかそうか。あ、何か困ったことがあれば、あ、すぐに言ってくれ」

「……わかりました。ありがとうございます」


 ブサイクではあるが、やはり、優しく、紳士的な老人だ。おそらく、メイドたちが失態を犯したのだろう。確かにロリー=タデスという新人メイドは結構なオッチョコチョイだ。


 その日の夜。ヘレナが寝ていると、隣の部屋で自分を名を呼ぶ声を聞いた。


「……ナ……レナ……ヘレ……ナ」


 ベッドから起きて、部屋を出る。声のしている方に向かうと、少し扉が開いていた。恐る恐る、覗き見をすると、思わず息が止まった。


「……っ」


 ヘレナの肖像画を見ながら、笑顔を浮かべ、何度も何度もエアで腰を振っている。


「あ、ヘレナ……フンフンフンフフン! あ、フンフンフンフンフン! あ、ヘレナ……レナァ……フンフンフンフフンフンフン! あ、フンフンフンフンフン! あ、フンフンフンフフンフンフン……あ、ヘレナ……あ、フンフンフンフンフン! あ、フレナ…… フンフンフンフンフン!」

「……はっ……くっ……」


 あの温厚な形相ブス顔とは、打って変わったような必死な形相ブス顔。本能のまま、唾液と鼻水と汗を、ふんだんにまき散らし、アヘ顔を浮かべ、まるで発情期の犬のように腰を上下に動かし自○行為に勤しんでいる。


「うぷっ……」


 ヘレナは、とめどなく逆流してくる胃酸で強烈な吐き気を覚える。


 犯される。


 このままでは、強烈なブサイクに、めちゃくちゃに犯される。


 震える足を、なんとか動かしながら、ヘレナは自室に戻ってベッドに潜り込んだ。


 これは、夢だ。


 まだ、悪夢が続いているのだ。


「神様……神様……神様……」


 シーツを被りながら、圧倒的恐怖感に苛まれながら、ヘレナはひたすらに『助けて』と願った。誰かが、自分を迎えにきてくれることを。


 イケメンが助けてくれることを。


 後生だから、このブサイクの輪廻を断ち切ってくれと、心の底から願った。身分も、年齢も、性格も問わない。ただ、イケメンであってくれればいい。


 ただ、それだけを強く、ひたすら、神に祈った。


「……」


          ・・・


 気がつけば夕方になっていた。どうやら、眠ってしまっていたらしい。部屋の扉を開けると、忙しなくメイドたちが動いていた。全員がテキパキと書類や道具などをまとめている。


 ……いや、何かを必死に探している感じだ。


 ヘレナは、恐る恐る筆頭執事のオバーサに尋ねる。


「あ、あの……どうかしました?」

「もう、まもなく新しい主人が来ます」


 そうとだけ言い残して、オバーサは忙しなく、メイドたちに指示を出す。


「……え?」


 あの変態から、主人が変わった? と、言うことは、もう犯されない。強制的に犯されない? ヘレナは瞬間、とめどない安堵感に包まれた。


「神様……」


 ヘレナは願った。贅沢は言わない。ただ、この瓢箪顔の男にだけは犯されたくない。イケメンであれば、もうなんでもいい。


 イケメンを。


 頼むから、イケメンを。






























義母かあさん、迎えにきたよ」

「……っ」

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