生き方
*
「はぁ……肝を冷やしたぞ」
玉座の間を出たところで、アウラが声をかけてくる。ノクタール国の同盟条件見直し。これは、打ち合わせにはなかったことがらだ。
「仕方がありません。突発的なものでしたので」
「恐らく、陛下は、今回の褒賞が不足だと思ったのだろうな」
アウラにとっても、それは予想外だった。バランスは偏っているが、今回の論功は、ヘーゼンの功績を最大限に引き上げたものだ。
外部から受け取る情報が精査される分、皇帝は幾分か世相離れし始めている。特にエヴィルダース皇太子が皇位継承第一になってからは、それが顕著だ。
「私も意外だったのですよ。だから、少し面を喰らってしまった」
「……それにしては、スラスラと答えていたが」
アウラは多少皮肉を込めて言う。
「常に戦略的な思考は巡らせてますので。念には念を入れて。その方がアウラ秘書官も都合がいいでしょう? 約1名。説明しないと情勢のわからぬ方もいらっしゃいましたし」
「はぁ……確かにそうだがな」
非公式にとは言え、帝国は一度ノクタール国を裏切った身だ。同盟破棄をなかったことにするには、それなりの譲歩をしなくてはいけない。ただ、皇帝や他の派閥はそのことを知らない。
そうであれば、『なぜ条件を見直すのか』という声も出てくる。
ヘーゼン=ハイムは、その前に皇帝の
これは、政治的なセンスの問題だ。エヴィルダース皇太子の武勇は問題ないが、その辺が非常に鈍いと言わざるを得ない。
当然、ヘーゼンとしても、帝国におけるノクタール国において、自身の影響力を弱めたくないとの想いもあっただろうが。
「やはり、やりにくい相手だ」
こちらの得になる動きに、自身の益を巧妙に織り交ぜてくる。数手先の先まで読んでいたとしても、更にその先の手を打ってくる。『他に自身の褒賞を得ない』と言うエヴィルダース皇太子に対する配慮も完璧だ。
あれ以上に要求すれば、エヴィルダース皇太子の条件に不満であったのだと、皇帝に捉えられる可能性もあった。
「私にとっても、やはり、あなたはやりにくい。爵位と土地は希望通りですが、階級と褒賞についてはキッチリと抑えられましたしね」
「十分だろう。我が派閥に迎えられるのならば、今からでも考え直すが」
「いやいや、無理でしょう。あれだけ怒らせたのだから、多少の嫌がらせは覚悟はしてます」
「……皇太子殿下は、あまり、物事を深く考えない
まあ、後から思い出して云々、と言う粘着性もあるが、ここではまあ、言わないことにする。
「それは、単純と言うか……まあ、長所なんでしょうな」
ヘーゼンは呆れながらも苦笑いを浮かべる。ただ、アウラとしては本気だ。これほど有能な人材ならば、自分がギリギリまで無理をしてでも入れ込む覚悟だ。
「あらためて。我が派閥に入らないか?」
「死んでもごめんですね」
「……頼むから、もう少し声のトーンを落としてくれ」
一言一言が気が気ではない。聞く人が聞けば、即極刑に取られても、不思議ではない。
「人の気配はないので安全です」
「……隣のエマ様が死にそうな表情をしている」
アウラ秘書官はため息をつきながら、青ざめてアウアウしている美女を指差す。それでも、ヘーゼンは動じずにフッと微笑む。
「では、便宜上、あの方とでも呼びましょうか。感情が抑えられないのは、明らかなマイナスです。周囲に恐怖を見せつけるのはいいが、どのような場合にそれを見せるかによって、行動の指針が決まる」
「……」
その瞬間、娼婦たちを惨殺した夜の出来事がフラッシュバックする。ヘーゼンの方もすでに情報を知っており、あえて言っているのだろう。こちらが勧誘しているのに、逆に勧誘を仕掛けてくる。
「上に立つものの激励と叱咤は、対象、程度、時、場合、様々な要素を鑑みて慎重にやらなくてはいけない」
「……」
「あの方の武勇は認めます。魔力量も魔法使いとしての力量も皇帝足り得るものなのでしょう。そのために研鑽したであろう激しい修練も否定はしない。だが、肝心な資質が抜けているように感じます」
「……それは?」
「器です」
「……っ」
アウラ秘書官は再び、周囲を見渡す。すでに、エマは立ったまま気絶し、背中の袖をヘーゼンが掴んでいる状態。恐らく、関係者に聞こえれば即極刑。そんな不敬な発言を、堂々と天空宮殿内で言い放った。
それほどの強烈な勧誘だった。
「……」
爵位、階級、年齢、全て遥かに格下であるにも関わらず、不快な感情は浮かばなかった。むしろ、高揚した心地でいる自分に、アウラは気づく。これほどまでの能力を持つ男に、そこまで欲せられていることに。
アウラもまた、相応の覚悟を持って応じる。
「ならば、私も。ヘーゼン=ハイム。君はこれから閑職に回されるだろう。恐らく内政畑の中央だ。大した功績を積み上げることもできずに、その生涯を終えるだろう」
「……」
「エヴィルダース皇太子が人事院を握っているのだ。当然、そうなる。そして、どこの派閥に属したところでヘーゼン=ハイム。君が重用されることはない」
「……」
「あまりにも危険なのだよ君は。そんな男に、実権を握らせるほどの器を持つ者は帝国にはいない」
惜しむらくは、この帝国にはノクタール国国王のジオスのような賢王がいないのだ。そして、ノクタール国の国力では決して帝国に及ばないことも知っている。
だから、ヘーゼン=ハイムは戻ってきたのだ。
「今のタイミングなら私の権限で、君を重用することができる。やりたいことがあるのだろう? 権力がなければ、なすべきことはなせない」
「……」
「仮に、皇帝に足る皇太子候補が出現した場合は、私も覚悟を決めよう。だが、それまでは……こちらに来い。ともに歩み、なすべきことをなそう」
この発言をすること自体が裏切りだ。この天空宮殿は魔窟だ。どこで耳があるかなんて言うことはわかりはしない。
だが、互いに、これが最後の勧誘の機会だ。次のエヴィルダース皇太子の謁見のタイミングで、ヘーゼンの将来が決まる。
だが、黒髪の男は首を横に振った。
「……お断りします」
「なぜだ?」
「私がヘーゼン=ハイムだからです。今まで、そうやって生きてきましたし、そのやり方を曲げるつもりはない。そして、これからも、そうやって生きていきたいのです」
「……そうか」
「残念です」
「こちらの台詞だ。と言うより、頭が痛いな」
こんな内なる敵を孕むなんて、本当に。
「では、エヴィルダース皇太子の謁見に行くか」
「いえ……まだ、少し時間がありますので、私は席を外します」
「……これ以上、なにか仕掛けてくれるなよ」
アウラは、もう別の方向に歩き出しているヘーゼンに対し、大きくため息をついた。
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