刺客
*
ノヴァダイン城。領主代行のラグ=ユーラムは、この日も深くため息をついた。ヘーゼンが帰ってきたその日に、『代行が終わった』とホッとしていたが、『領主が面倒だから、そのままでいてくれ』と言われた。
ヘーゼン=ハイムが領主になり、クラド地区は大きく変わった。
麦の収穫量は3倍以上に増え、酒造業も軌道に乗った。税金を支払っても余りあるほどの金を住民が持つようになり、闇市で物を多く買うようになった。
闇市自体は、お抱え商人のナンダルが仕切っている。なかなか手に入らぬ貴重品の他、非合法の割には質が高く安い物が流通しているので、クラド地区の民にも人気だ。
また、購入者に対しては、契約魔法を結び情報漏洩がないようにしているから外部に漏れるリスクも少ない。
寂れていた領地が嘘のような復興を遂げ、領民も今の生活に満足しているようだ。
だが……
「どうしたの!? 元気ないね!」
「……お前は、悩みなさそうでいいよな」
たまたま通りがかった幼馴染の執事の元気娘、セシルの頭をポンポンと叩きながら、ラグはトボトボと城の中を徘徊する。
彼には、やることがないのだ。
領主代行とは名ばかりで、クラド地区の実務運営は秀才眼鏡少女のシオンが執り行っている。更に、途中からヘーゼンの弟子兼秘書官のラスベルも加わり、日夜高度な内政議論が意見交換されている。
一方で、ラグは武芸には自信があるのだが、勉学はからっきしだ。言ってみれば、戦うしか脳がない。
なんてだめな男なんだと自己嫌悪に陥りながら、『城の警護』と自分を騙して廊下を徘徊していた時、書斎に明かりがついていた。
何気なく覗くと、そこには猛勉強しているヤンと、隣でウトウトしているカク・ズがいた。
突然、大きくなって帰ってきた少女は、うーんと大きく伸びをした時に、こちらの存在に気づく。
「……あ、ラグさん」
「な、何をしてるんですか?」
「エヘヘ。勉強です! 私、学校に行くんです」
心底嬉しそうな様子で、黒髪少女が胸を張る。そんな悩みの欠片もなさそうな様子が、ラグは心底羨ましく感じた。
「そっちこそ、どうしたんですか? こんな夜遅くに」
「いや、俺なんて全然やることなくて、その……城の警護するしか能がないというか……」
「大丈夫です」
ヤンはニパーっと弾けるような笑顔を見せる。
「そ、そうですか? 無駄じゃないですかね!? 俺も役に立ってますかね?」
「いえ! そこで酒飲んで倒れてるラシードさんだって、なんの役にも立ってませんけど堂々と生きてますから」
「……っ」
こうはなりたくないという姿が、そこにはあった。かなり熟睡しているようで、ぐーぐーとイビキをかいている。
圧倒的な役立たず。
なぜか、ヘーゼンが連れてきた猛烈なタダ飯ぐらい。そうなのだ。この男を見ていると、自分もいつかそうなりそうで怖くて堪らないのだ。
「お、俺はこんな風にはなりませんよ!」
警護というのは、一瞬の油断が命取りになる。そのため、絶えず忍耐が必要になるものだ。ラグは自分の心を守るために、反射的にそう言い放つ。
相当な平和ボケなのか、あんな体たらくでは、一生の後悔をすることになる。そういう意味だとうたた寝しているカク・ズもまた緊張感が足りていない。
自分はこの土地に必要なのだ、とラグは何度も自分に言い聞かせる。
その時。
褐色の剣士がムクリと起きる。そして、窓の側へと近づいていく。先ほど馬鹿みたいに寝ていた表情とは打って変わって、真剣そのものだ。
「……」
この男、聞くところによると有名な剣士らしい。
ひょっとして、何か異変が……
「う……うお゛お゛お゛え゛え゛っ……」
!?
びちゃびちゃびちゃ。っと、窓の外にゲロを吐く。
「あー、ラシードさん。もー、キチンとトイレで吐いてくださいよ。私が掃除する羽目になるんですから」
ヤンが呆れたように声を出すが、褐色の剣士がムクリと戻り、フラフラと帰って寝転び、ガーガーとイビキをかきはじめる。
ダメだ、この男は。
「……っ」
そう思った時、殺気が漏れ出たのをラグは感じた。窓の外に、一瞬だけ。カク・ズの方を見ると、彼はすでに起きており魔剣の鞘に手を置いている。
「5人か……おい、窓の外を
「……っ」
振り返ると。ラシードもまた抜刀の構えを見せていた。瞬間、全方位に放たれた剣気で、確かに敵の気配を複数感じた。
ラグは即座に斬撃型の魔杖『
「孤月」
その抜刀は誰にも見えることがなかった。ただ、三日月のような太刀筋が、まるで絵画のように残像として映え、窓の一帯をくり抜いた。
次の瞬間、窓の外の地面に、大きな物が落下する音を聞いた。
誰の目にも追えないほどの高速抜刀。
だが。
「なるほど。いい魔杖だ」
「……っ」
そのラシードの声に振り返ると、すでに4つ。死体が転がっていた。扉ごと胴体が真っ二つに斬られた2つの死体。首を斬られた死体。そして、心臓ごと貫かれた死体。
カク・ズの方を見るが、彼が動いた様子はない。
ラグが急いで窓の外を見ると、地で絶命していた刺客の頭に、ゲロが浴びせられていた。
「刺客だな。お前らでも
「……ワザと窓を開けたんですか?」
ラシードだけが、刺客の存在に気づいていた。あえて、暗殺者を挑発して殺気を放たせ、カク・ズとラグにその存在を教えるため。
「ん? 偶然だよ」
だが、褐色の剣士は笑いながら、またしても酒を飲み始める。
「……」
魔杖、
だが、ラシードの抜刀は、それすらも遥かに凌駕するほどの速度を容易に叩き出す。その次元の違う目の前の剣士に、ラグは思わず戦慄を覚えた。
「まだ、お前らは魔杖に使われてるな。いい魔杖だから使いこなすように精進しろ」
一方で、ラシードはあっけらかんと笑い、またしても酒をガブ飲みした。
ちなみに、ヤンは、めちゃくちゃガビーンとしていた。
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