エマ(2)
*
エマは、愕然とした表情を浮かべる。目の前の爽やかな青年は、ボッコボコにしていた。ボコボコじゃなく、ボッコボコに。
学院時代から、敵とみなした者は、容赦なく、とめどなく、瀕死寸前と言うか心肺が停止しても、殴り続けていた(後に蘇生し、追い討ち)。
将官になってからも、多分、いや、絶対にそう。
「ううん……違う違う」
必死にエマは首を振る。聞き違いかもしれない。そうに決まってる。彼女は、すー、はー……と小さく深呼吸して、恐る恐る尋ねる。
「あの、ブギョーナ秘書官がされた仕打ちに対して、『酷い』と思うの?」
「えっ? 思うよ」
「な、なんで!? あなたも、まったく同じことやってるじゃない」
「当たり前じゃないか」
「……っ」
あたり前。あたりまえ。アタリマエ……どんな単語に変換したところで、エマとヘーゼンの『当たり前』の隔たりは大きかった。
そんな戸惑いを悟ったのか、ヘーゼンは大きくため息をついて話し出す。
「はぁ……エマ。僕をなんだと思ってるんだよ? 少し誤解してないか?」
「ご、誤解というか……え? ええ?」
自分が間違ったことを言っているのか? あまりの混乱に、なんだかよくわからなくなってきた。
ただ、紛うことなき
「僕は、『酷い』と思ってやってるんだよ? 相手に肉体的、精神的なダメージを与えるために。まあ、あくまで、完全服従、徹底的な屈服の手段だがね」
「……っ」
より酷かった。想像以上に狙って、効果的に、計算してやっていた。
「だが、エヴィルダース皇太子はどちらかと言うと、自身のストレス発散の側面が強いだろうな。精神的な苦痛を内に溜めておけない気質なのだろう」
「だ、だから可哀想って思ったの?」
「可哀想? 僕は酷いとは言ったが、可哀想などとは少しも思わないな」
「な、なんで!?」
「敵だから」
「……っ」
ヘーゼンの瞳には迷いがない。
「戦場で敵と出会って、殺して、可哀想などと思うかい? だったら
「せ、戦場じゃないもん」
「常在戦場、舞台が違うだけで、僕の心持ちは変わらない。そうあるべきだと思うし、実際にそうだ。そして、『やられる前にやる』、がモットーなのでね」
「……っ」
どうでもいいけど、めちゃくちゃ爽やかな顔で話してくる。そこには、一欠片の迷いもない。
「と、話が逸れたな。と言う訳で、僕は敵のブギョーナ秘書官に同情する気はない。ましてや、容赦する気など毛頭ない」
「あ……悪魔」
「仕方ないさ。あの老人は、エヴィルダース皇太子の最古参だ。忠義心も大分厚いので、寝返ることも考えにくい。とすれば、ただの敵だからな。絶対に、徹底的に、あらゆる手段で排除する」
「ち、違った……悪魔中の悪魔」
エマが引きつった表情でため息をつく。
「それより、エヴィルダース皇太子派閥以外の動向も知りたいな」
「まあ、どこも似たりよったりだけど。ヘーゼン=ハイムとは何者だって騒いでる。私も同院卒だから結構聞かれたし」
天空宮殿は噂の宝庫だ。大陸中を揺るがす衝撃的な事実なので、職場でも、社交でも、その話が飛び交っていないことはない。
しかし、当の本人は冷静な表情を浮かべ頷く。
「そうか。上級貴族とは、可能な限り社交を開きたい。来れば、応じると伝えてくれ」
「め、珍しいわね。そう言うの、大分嫌っていたと思うけど」
「この機会に、クラド地区の特産品である酒をアピールしたいんだ。あと、どの貴族がどのような人となりか、今の機会に知っておきたい」
「……」
本当に抜け目がない。今の時期であれば、格上の貴族でも、自領に足を運ぶと算段してのものだろう。
「できれば、近隣の貴族でエヴィルダース皇太子派閥以外の貴族がいいな。まあ、贅沢は言わないが」
「……十分に条件を指定してると思うけど。でも、好戦的なヘーゼンらしくないというか。クラド地区周辺貴族の領地を奪って拡げていくのかと思ってた」
当然、貴族同士の抗争は禁止されているが、頻繁に領地の奪い合いが起きているのも事実だ。謀略でハメて攻めさせるなど、ヘーゼンならばやりそうな手だ。
「今の状況で敵を多く作るのは好ましくない。敵対よりも協調だ」
「……全然、らしくないし、絶対に出来なさそうだけど」
常に戦と騒動の渦中にいるような強烈な性格だ。本人の意思とは無関係に争いを作り出すような気もする。
だが、ヘーゼンは明確に首を横に振る。
「他の派閥を結集しなければ、勝ちきれない。今後、エヴィルダース皇太子の派閥は強くなるからな」
「今までよりも勢力を伸ばすってこと?」
「ああ。かつては、ブギョーナ秘書官が中心になり、爵位の高い名門貴族を集めていたが、アウラ秘書官が完全に取って変わったからな」
「な、なるほど」
アウラ秘書官は、完全能力主義で有名だ。今までは、爵位や家の格式を重視する傾向だったが、今後は派閥の様相も実力重視へと移り変わっていくだろう。
「ヘーゼンは、対抗する勢力にも力を与えちゃったってことね」
「まあ、仕方ないさ。実際にアウラ秘書官は有能だ。こちらも、かなり譲った部分も大きい。ハッキリ言えば痛み分けだな」
「……」
あれだけの大勝利に対して、そんな表現を使う意味がわからないが、これがヘーゼン=ハイムだとも思う。
「あとは、私兵の拡充だが……可能であれば
ヘーゼンは淡々と話を続ける。
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