エマ


           *


 ノヴァダイン城。その頃、ヘーゼンは未だ自領で過ごしていた。


 陽の光で起き、朝食を済ませ、書斎へと引き籠り、昼食を済ませ、魔杖工房へと入り浸り、夕飯を済ませ、研究室に立て篭もる。


 日によって多少は異なるが、概ねそんな生活を送っていた。政務は基本的にはラスベルに任せ、時々は顔を出す程度。外には一切出なかった。


 そんな中。


「あ、あの。ヘーゼン、おかえり」


 書斎で魔法書を読んでいると、エマ=ドネアが立っていた。同学院卒の親友である彼女とは、半年ぶりの再会だ。


 どこか緊張した表情を浮かべたブラウンヘアの美女は、頬が若干赤くなっている。


「ただいま……ところで、熱でもあるのか?」

「……っ」


 ヘーゼンが手のひらを彼女の額に当てると、なおのことドンドン熱くなる。エマは慌てて、首を左右に振ってその手を払う。


「な、ないよ! ないない!」

「そうか。それならよかった」

「……」

「……」


           ・・・


 そう答え、ヘーゼンは淡々と読書の再開をする。それから、30分ほど熟読し、本を読み終えた頃には、怒り顔のエマがいた。


「あ、あなたって人は……」

「どうした?」

「もう! 知りません!」

「な、なんだよ」


 意味不明な会話のやり取りに、ヘーゼンは首を傾げながらも、そういえば学院の頃もこんな感じだったなと少し懐かしさも覚える。


 それから、構わずに1時間ほど読書を続けると、だんだんエマの機嫌も戻ってきて、いつも通り、会話が続けられる。


 これも、学院の頃と同じだ。


「いつ天空宮殿に来るの?」

「帰還命令が下りれば行くさ」


 ヘーゼンに出された辞令は、ノクタール国の将官として働くことだ。厳密に言えば、未だ指示が取り消されている訳ではないので、敢えて帰還の報告する必要性もない。


 エマは腰に手を当て、呆れた表情を見せる。


「そんな悠長な。天空宮殿ではとんでもないことになっているのに。今、大陸で一番有名よ、あなた」

「そうだろうな」


 予想はつく。なんせ、紛れもない大国の大将軍を、帝国の大尉格が倒したのだ。どれだけ隠そうとしたところで隠し切れるものでもない。


「混乱の最中に戻ったところで、説明と報告に終始しないといけなくなるからな。面倒くさいんだよ」

「め、面倒くさいって、あなたのことじゃないの?」

「己の功績を己でひけらかすほど愚かではない」


 評価とは他人にされることで、初めて意味を為すものだ。ただ、その場にいれば、話を聞きたがってくる暇な上級貴族や皇族もいる。


 そんな輩の相手などまっぴら御免だし、その間に自領の状況を整えて、魔杖製作や魔法研究などに力を入れた方が遥かに有意義だ。


「でも、不在の間にエヴィルダース皇太子派閥から何をされるかわからないでしょう?」

「その辺はアウラ秘書官と事前に打ち合わせているから心配はない」


 今回、裏で握っているのは、階級を抑え、爵位と財を多く獲ると言うものだ。可能であれば、ここで上級貴族の爵位までは勝ち取ってもらいたい。


 それは、互いのニーズを探り合った故の結果だった。


 当面の目的は、自領の拡大と私兵の強化だ。今後、エヴィルダース皇太子の派閥に参加しないことを考えると、中央の要職となるのは難しい。


 恐らくは、中央の有名無実な仕事を押しつけられ、身動きが取れなくなる可能性が高い。


 一方で、アウラ秘書官も、ヘーゼンが再び地方に左遷され破格的な功績を叩き出されるのは都合が悪い。次期皇帝にエヴィルダース皇太子が選ばれるまでは大人しくしておいて欲しいと言うところだろう。


 まあ、大人しくする気などは毛頭ないが。


「他国からの勧誘も、かなり来ると思うけど」

「受けないよ。どんな条件を提示されてもね」

「……」


 その答えを聞いて、エマはホッとしたような表情を浮かべる。


「どうした?」

「ん! えっ……ああ、なんでもない! で、でも、大将軍級を打ち破ったなんて、破格の条件をつけられてもおかしくはないでしょう?」

「それが目的であれば、将官になどなっていないさ」


 帝国人として、帝国に根差し、一からキャリアと地盤を作っていくこと。そうでなければ、広大な超大国の中枢を牛耳ることはできはしない。


 そして、今のところは、順調に力を蓄えている。


「……」


 あとは、期待している皇子が、どのような成長を見せてくれるかだが。


 その時、伝書鳩デシトが窓のガラスをトントンと突く。


「また、来たか」


 ヘーゼンは多少嫌気が刺した表情を浮かべて手紙を開く。


「何が書かれてるの?」

「下級貴族の娘からの婚姻申込だ」


 !?


「な、な、なっ……」

「何を驚いている? ある程度、有名になったので当然の流れだと思うが」


 結婚は自分の家の地位を上げるための重要な施策だ。特に下級貴族たちは帝国将官としてキャリアを築ける有能な人材を求める傾向にある。逆に上級貴族などは家柄を重視して、婚姻を決める家が多い。


「それで! 受けるの、受けないの!?」


 エマは鬼気迫るような表情でヘーゼンに迫る。


「う、受けないよ。僕には、やることがあるからね」

「そ、そ、そうなんだ。へー……ふーん……」


 なんだか、急に機嫌がよくなったブラウンヘアの美女に、ヘーゼンはよくわからず首を傾げる。


「ところで、エマ。天空宮殿の生の情報が知りたいな。奴隷(セグゥア)からは伝書鳩デシトで随時聞いているが、君から見てどうだ?」

「うーん。やはり、エヴィルダース皇太子の陣営は相当バタバタしているわね」


 聞くところによると、ヘーゼン=ハイムの扱いについて相当難儀しているらしい。だが、アウラ秘書官と条件は握っているので、大番狂わせがない限りは望むべき褒賞は得られるだろう。


「ブギョーナ秘書官は、相当虐げられているみたいね。聞いてて可哀想になるくらい。噂によると、瀕死になるほど殴られ続けたんだって」

「それは酷いな」

「ええ」

「……」

「……」



























「あな言う!?」

「ん?」

 

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