戯れ
翌日。第6秘書官のブギョーナは、いの一番にエヴィルダース皇太子陣営の執務室に到着した。筆頭秘書官のグラッセから緊急招集を受けた瞬間、馬車を走らせ可能な限りの最短で来た。
いち早く馳せ参じることこそ、臣下のあるべき姿。
そうやって何十年も、地道に、真摯に、心から、エヴィルダース皇太子を支えてきた。生まれた時の赤ん坊であった時から。手のひらが紅葉ほどの幼児の頃も。
成人され、凛々しくなられたこの瞬間も。
確かに、最近は失態を犯し、降格させられた。だが、ブギョーナには自負があった。『生まれてきた時から、皇太子を支え続けてきたのは自分である』と。それこそ、真鍮の儀で皇太子殿下となられる前の遥か昔から。
エヴィルダース皇太子が、無事に皇帝となれば、誰が一番の功臣であるかを思い出してくれるはずだ。
邸宅の中に入ると、そこにはエヴィルダース皇太子。そして、筆頭秘書官のグラッセと……第2秘書官のアウラがいた。
心の中で、ブギョーナは舌打ちをする。招集者のグラッセはともかく、なんでアウラまでが。最近、この新参の若造は本当に調子に乗っている。
しかし、不愉快な表情などおくびも見せず、瓢箪型の老人は満面の笑顔を浮かべ、仰々しくお辞儀をする。
「あ、お待たせしました」
「……」
無視。エヴィルダース皇太子は、まるで、虫けらを見るが如く無機質な瞳を浮かべ、とんでもなく無視をしてくる。
邸宅内は、重苦しい空気が蔓延しており、グラッセ秘書官もアウラ秘書官も一言も発さない。
ブギョーナはダラダラと脂ぎった汗をかきながら、なんとか場を和ませようと明るい声を出す。
「あ、緊急招集だと言うのに、遅いですなぁ。あ、最近の秘書官は少し風紀が弛んでいるのではないのかな」
「……貴様の三十段腹ほどではない」
「あ、はははあぁ! あ、エヴィルダース皇太子殿下は相変わらずお厳しい」
ニヘラヘラと顔面を皺くちゃにして笑う。エヴィルダース皇太子の言葉は、常にありがたく好意的に受け取る。これまでプギョーナが貫いてきたスタンスだ。
そんな中、アウラ秘書官が真面目な表情で口を開く。
「ブギョーナ秘書官。ノクタール国がイリス連合国を滅ぼしました」
「……」
「……」
「あ……へ?」
こいつは、いったい、何を言っているのだ。
あの大国、イリス連合国が、極弱小国のノクタール国に滅ぼされる? そんな天地がひっくり返ったってそんなことはあり得ない。
あり得べきではない。
!?
「あ、くくくくく……くきょきょ! あ、くくくくくくくくくきょきょきょ……あ、くくくくくくくくくきょきょきょきょきょ! あ、くきょきょきょきょ! あ、くきょきょきょきょきょきょ! くくくくくくくくくきょきょきょ……あ、くくくくくくくくくきょきょきょきょきょ!」
ブギョーナは腹を抱えて笑い出す。もちろん、演技である。だが、こいつらは面白いと思ってやっているのだから、このような反応が正解……いやむしろ、大正解だ。
「あ、くくくくくくきょきょ! あ、くくくくくくくくくきょきょきょ……あー、くくくきょきょ、くくくくくくきょきょきょきょきょ! くきょーーーーーーーーー! ああ、可笑しい! また、お三方。人が悪いですなぁ」
いつもの戯れだ。どうせ、エヴィルダース皇太子が考案したのだろう。自分がへーゼン=ハイムを毛嫌いしているのだと知っていて、そんな風に焦らせる。
しかし、同時に腑も煮えくりかえる想いだった。通常、アウラが、このような戯れに加わっていることなど見たことがない。
それは、信頼の証と言っていい。エヴィルダース皇太子からの指示で秘書官たちに趣味の悪い冗談を行ってきたのが他ならぬブギョーナだったからだ。
ヤツのような新参者の若造が、そのような立ち位置に座っていることは、自分の立ち位置に取って代わられているのは、心の底から嫉妬した。
だが、同時にブギョーナは安心もした。こんな風におちょくって来るのは、大分エヴィルダース皇太子の機嫌がいい証拠だ。
瓢箪型の老人は、ビシッと親指をたてて歯を見せながら爽やかな表情を浮かべる。
「あ、ナイス
「……」
「……」
「……」
・・・
「……おい、豚」
エヴィルダース皇太子が満面の笑みを浮かべて近づく。そして、後頭部を左手で掴み、右腕を思い切り後ろに振りかぶる。
「あ、えっ?」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ! オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラアァーー」
「あ、ホゲエエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー! あ、ホゲエローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
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