帝国


         *


 遡ること10日前。エヴィルダース皇太子の第2秘書官であるアウラ=ケロスは、珍しく緊張した面持ちで情報を待っていた。


 逐一、戦況が伝書鳩デシトで知らされ、今が戦の佳境であることを知っている。ただ、このような重大事項は、明確な報が届くまでは先んじて動くことができない。


 その時、伝令が足早に新たな手紙を持ってきた。アウラは急いで、羊皮紙を広げて目を通す。


「……っし!」


 それは、ヘーゼン=ハイムからもたらされた、最速の戦勝報告であった。


 賭けに勝った。へーゼン=ハイムという怪物に全額ベッドし、見事に勝ち切った。普段から冷静な彼も、この時ばかりは拳を大きく握り締めて声を発した。


「すぐに、レイラクに連絡。この手紙の真偽の確認を取れ」

「はっ!」


 だが、そんな喜びも束の間。アウラは情報の裏取りを伝令に指示し、頭を高速に駆け巡らせる。まさか、偽報であるはずはないが、念には念を入れてだ。


 だが、これは大陸史上でも類を見ない下剋上だ。


 帝国が揺れる……いや、大陸全土に激震が起こると言っても過言ではない。紛れもない大国、イリス連合国が滅亡し、ノクタール国がその全土を喰らったという圧倒的な事実。


 アウラは今まで、エヴィルダース皇太子及び天空宮殿に対し、徹底的な情報封鎖を行なってきた。だが、このような話は、もはや留めておける規模のものではない。一刻も早く報告をして、今後の身の振り方を示さねばならない。


 隅々まで入っていた膨大な予定を全てキャンセルし、アウラは馬を全力で走らせ、皇太子の邸宅へと向かった。


 そした、到着するや否や、すぐに筆頭執事を呼び出す。


「エヴィルダース皇太子殿下はいるか?」

「あ、アウラ秘書官。いますが、今は皇太子殿下は取り込み中で……ちょ、ちょっと待ってください!」


 応対する執事の案内を振り切り、豪奢な邸宅内を足早に歩く。困り顔の筆頭執事は焦りながらも必死に制止しようとする。


「火急の事態だ。通してもらう」

「……っ」


 だが、有能秘書官は止まらない。強引に前へと進みエヴィルダース皇太子の寝室へと進む。


「あっ……こ、困りますーー」


 執事の声を無視し、部屋の前に立ってノックする。


「エヴィルダース皇太子殿下。突然の訪問失礼します。アウラです。少しでいいので面会の機会を頂けませんか?」

「……ああ、わかった」

「失礼します」


 部屋の中に入ると、そこには、裸体の美女が十数名いた。いずれも、平民の高級娼婦たちだ。しかし、アウラは気にする素振りを見せない。


 皇太子の女癖の悪さは把握している。


 選んでいるのは、第6秘書官のプギョーナだ。日夜、入れ替わり立ち代わり十数人を調達している。当然、全員が選りすぐりの美女であることはいうまでもない。


 皇太子ともなれば、上級貴族の令嬢の誘いなど腐るほど来るが、彼らもそれなりの身分であるので、もできない。平民であれば、どんな歪んだ性癖だろうと構わない。


 要するに使い捨てだ。


 アウラもまたそれには納得していた。むしろ、中途半端に上級貴族に種を蒔かれて、継承権争いの火種を作るよりも、平民との子を成し、隠匿したまま養う方が遥かに安上がりだ。


 この鼻につく香水と汗の匂いは我慢する。


「おお、アウラ秘書官。どうした? の限られた余暇を邪魔するほどの事態なんだろうな?」


 温厚な語り口だが、興が冷めたような表情を浮かべていた。お気に入りの娼婦でもいたのだろうか。だが、下手に礼儀などを守って、他から情報が漏洩されるよりマシだ。


「単刀直入に。ノクタール国がイリス連合国を滅ぼしました」

「……はっ!?」


 エヴィルダース皇太子が、絡みついていた女たちの腕を振り切って、立ち上がる。


「ああん! 皇太子殿下ー。痛いじゃなーー」

「貴様らは黙っていろ!」

「ひっ……」


 激しく怒鳴り、一瞬にして女たちを震え上がらせる。瞬時に相当な魔力の上昇を感じる。さすがは、皇位継承権筆頭。立ち昇る威圧感も半端ではない。


「どういうことだ!? なぜ、あのような弱小国がイリス連合国に勝てるのだ!?」

「へーゼン=ハイムがイリス連合国の首都アルツールに奇襲をかけました。結果、諸王全員を捕縛しノクタール国が取り込みました」

「……そんなはずない! あそこには、大将軍のグライドがいるだろう!?」

「ヘーゼン=ハイムが討ち取りました」

「……バカな! バカな……バカな……バカなバカなバカなバカな!」

「……」


 エヴィルダース皇太子に入った時の取り乱し方は、常軌を逸していた。その燃えるような紅の髪をぐしゃぐしゃにして、何度も何度もそう連呼する。


「ご安心を。手は打っております」

「ふざけるな! どうなっている!? 何が、いったいどうなっているのだ!?」

「……」


 落ち着くまで、もう少し時が必要か。アウラが一瞬そう思った時。


 突然だった。


 エヴィルダース皇太子が、飾られていた魔剣を抜き、怯えた娼婦に向かって振るう。


「きゃあああああああああああああああああああああ!」

「……待っ」


 アウラが制止する間も無く、次々と、魔剣を女たちを斬り刻んで行く。


 首が舞い。


 腕が。手が。足が飛び。


 血が、弾けたように降り注ぐ。

 

「お止め下さい! 落ち着いてください!」

「これが落ち着いていられるか! 同盟を破棄……破棄して……しまった……の……の無能な陣営が……皇帝陛下に……お父様に……が失態を犯したことになる……なるだろおおおおおおおおおおおお!」


 アウラの制止を振り切り、エヴィルダース皇太子は、逃げ惑う娼婦たちに向かって、追いかけ、なおも魔剣を振るう。


 怯え、叫び、慄く彼女たちは、一瞬にして肉塊となり、煌びやかな内装がドス黒い血でベットリと染まる。


 ……っ。


 尋常じゃない程の振る舞い。エヴィルダース皇太子の気性は確かに荒いが、ここまでとは。


「エヴィルダース皇太子! ご安心を! 同盟は破棄しておりません。ノクタール国との関係は未だ維持しております」

「……あ?」


 ピタッと、惨殺する動きを止め、振り返る。そして、アウラの首筋に魔剣の刀身を当て、尋常じゃないほど真っ赤な瞳で睨む。


「……」


 一言でも誤れば、死ぬ。アウラは、刀身の冷たさを肌で感じながら話を続ける。


「……ノクタール国勝利の可能性が完全に潰えるまで、判断を保留にしてました」

「本当だな? 嘘ではないな? 嘘だったら貴様もあの娼婦ばいたどものようになるぞ?」


 エヴィルダース皇太子は、圧倒的な殺意を持ってアウラに魔剣を翳す。


「嘘ではありません。むしろ、イリス連合国を滅亡させた功績の多くに寄与したことを皇帝陛下には、ご報告差し上げられます」

「どういうことだ?」

「今後の話を派閥で決めるのが第一かと思います。まずは、緊急の招集をかけることをお許しください」

「……わかった。すぐに、筆頭秘書官のグラッセを呼べ」


 そうつぶやき、エヴィルダース皇太子は凄惨な死体など見向きもせずに、寝室を後にした。


「……」


 アウラは、しばらく、動かなくなったバラバラの女たちの死体と、濃くドス黒い血で染まった寝室を眺めていた。

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